今年のまとめ今年のうちに ~『鎌倉殿の13人』最終回、わが相方の大予想が的中した件~
私事[わたくしごと]だが、しばらく入院していた。
そのてんまつはこの記事の最後に、そして別の記事に改めて書こうと思う。
ようするに軽く死にかけた。
さすがに集中治療室のベッドからスマホでぽちぽちnoteを書く力がなかった。
まあ今現在もベッドでぽちぽちではあるのだが(今週ようやく退院はしました)、note事務局さんから
「今年の活動をふりかえりませんか?」
「今月以内に記事を書くと、6ヶ月連続更新になりますよ?」
「書かないならこちらにも考えがありますが?」
と、いつもどおり親切で前のめりなお声がけをたてつづけにいただいたので(もちろん3番目のはウソ)、
生き延びられた感謝をこめ、いつもの雑文をちょこっと書いて今年のnoteおさめにしようと思います。
『鎌倉殿の13人』最終回、わが相方の大予想が的中した件
もう誰も覚えていないだろうから、念のために書くと、
『鎌倉殿の13人』は今年2022年のNHK大河ドラマだった番組のタイトルだ。
あ、そこは大丈夫ですか、まだ。
失礼しました。
その最終回。
うちの相方Mの大予想が的中したのには、私も仰天した。
『鎌倉殿の13人』最終回が、
『どうする家康』の初回。
証拠の過去記事がこれ!
うちの相方天才かよと思って、本人に知らせたら、顔色ひとつ変えず落ちついて言ったものだ。
「そんなことだろうと思った。
ずいぶん内輪ウケの多い現場みたいだったから」
なんと! 当てずっぽうではなく、ちゃんとシミュレーションした上での予想だったのだ!
たしかに裏トーク番宣に、佐藤二朗と完全にキャラかぶってるあんた誰なディレクターがホカホカ出てきて「俺なんかが出ていいんでしょうかねえ」とくりかえしつつはしゃぎまくり、本物の佐藤二朗さんを押しのけて本物におよびもつかないド下手な司会でかきまわすという、
あれには私もドン引きしたのだが、
わが相方の視線はその先を見ていた。
鋭い。
基本が温厚な男なので私も本気で驚いている。
私にではなく、彼に拍手をいただけたら嬉しいです。
かくいう私の予想も当たらずと言えども遠からずだった
まあ私の場合はいちおう台本[ホン]書きのはしくれとして、たんにプロット上での計算値からはじき出した予測だ。
○義時は女房に毒を盛られる
○義時は政子に殺される
自分で書いときながら「まさかこのダブルヘッダーはないわなテンコ盛りツユだくすぎ、あはは」と思っていたから、その
まさかのダブルヘッダー
だったので素で驚いた。
○義時は薄れていく意識の中で、畠山重忠以下、自分が殺した何十人の人間に謝る
これは半分しか当たらなかった。
義時、謝りはせず、ただ懐かしんでいた。
「みんないなくなってしまった……」
あんたが殺したんでしょうが。
○義時、「俺が外道に堕ちたのも、息子よ、お前のためだ。お前と鎌倉を守るためだったのだ」と言い訳する
これは当たった。まあ当たると思った。
義時「私がこの世の呪いと怒りを背負って、地獄へ堕ちていく。(ハアハア)
北条義時の名が汚れるほど、
北条泰時の名は燦然と輝く」
(みたいな。記憶で書いててすみません)
だから。
その「息子のため」っていうのやめようよ。気分悪いから。
子どもにしたら、親のマイナス遺産からスタートさせられるの迷惑でしかないよ?
親がふつうに善人のほうがどんだけありがたいか。
しかも。
「この世の呪いと怒りを背負って」とかって、なんか他人の罪をまとめて引き受けてあげた感ふかしてるけど、
ぜんぶあんた自身の罪だからね?
背負うの当然よ?
ひとことで言うと、これが嫌だったな。一年とおして。
この論理のすりかえが。
「鎌倉のため」
「息子のため」
「他に方法はなかった」
選挙カーみたいに連呼されていると、視聴者も脳がやられてくるわけだけど、
けっきょく義時が(そして頼朝が)
「うざいから殺す」
「ほっとくと何されるかわかんなくて怖いから先に殺す」
というだけの理由で、人を殺しまくる。
ひとことで言うと、そういうドラマでしたね。
残酷とか冷徹とか言うより、
たんなるチキン。
そんな男たちの話でした。
残念。
いちおう証拠として、過去記事リンク貼っておきます。
私が死にかけた件
まあドラマなんてファンタジーふかしてなんぼのもんなんで、
べつに死にかけた人間がえんえんとクサい台詞をしゃべってもいい。
そこにツッコむほど私も野暮じゃない。
だが今回、本当に自分が死にかけてみて、
人間死にぎわとなると、頭ではいろいろ考えててもそれを口に出してぺらぺら言うのは難しい
ということを実感しました。
冠攣縮性狭心症。
心筋梗塞と似ているが、冠動脈が詰まる(梗塞)のではなく、痙攣するという発作だ。
天海祐希さんがこれだったといううわさを聞いて、
憧れの天海さんに一歩近づけた気がした。
そこはどうでもいいのであって、
天海祐希でもなんでもない私ごときを、渾身の努力で生き返らせてくださった多くの方々に、
この場を借りて心からの感謝を捧げます。
ほんと涙出る。
病や死を前にしては、人間どうしようもなく平等なのだが、
そのルールを徹底してつらぬいている医療スタッフのもとに搬送されたことは、
あり得ないほどの幸運であったとしみじみ思う。
(亡き父が生前入っていた病院とは雲泥の差だったという意味だ。
父もこの病院に入院させてあげたかった。)
現実世界に、主人公も脇役もない。
ただただ、ひたすら、平等なのだ。
ただし、そのルールがつねに守られるとは期待できない。
最後に、病室で読みふけっていた大好きなマンガの台詞を引用させてください。
「死んでいい命など一つもない」
マガジン「鎌倉殿の13人つれづれ」を応援してくださった、少数精鋭の(笑)皆さま、
本当にありがとうございました。
このぶんだとたぶん、もうしばらくは生きていられそうなので、
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を!