まつりごとは誰の骸も必要としない
先週(10月30日放送、第41回「義盛、お前に罪はない」)、
義時がまた、おぞましいことを。
和田一族の乱。結果は北条の圧勝。
惨殺死体であふれる鎌倉の町を歩きつつ、涙を流す現・鎌倉殿=源実朝。
実朝「まつりごとというのは、かくも多くの者の骸(むくろ)を必要とするのか」
義時「鎌倉殿(=実朝)がお生まれになる前から、多くの者が死んでいきました。
それらの犠牲の上に、この鎌倉はあるのです」
ここだ。
半年前から私が、このダウナーなマガジンで言いつづけているのはここだ。