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蒼い運命1991 〈1〉

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

あらすじ
1991年人気を博したジェットコースタードラマ感覚のティーンズノベル

横須賀のクラブでエイジと出会った瞬間、きららは、運命を感じた。
傷だらけになってつかんだ恋なのに、エイジは突然姿を消してしまった。
やっと再会できたエイジは、ドームのステージの上。
トップアーティストとして、活動させられていた。
エイジはきららを守るために組織に従うしかなかったのだ。
まさか、あんな秘密があるなんて、こんな運命が持っているなんて。
真実を知ったきららは、自らの命を絶とうとする。
血縁と宿命に翻弄される二人の恋の行方は、、、


    初めて、彼と出会ったとき、
      わたし……運命を感じたの。
   この世で、たった一人の同じ瞳の男のコ。
   そんな、デジャ・ビュ……
   そんな宿命……

 きららは、一生……忘れないと思った。
 エイジと出会った、あの瞬間を……。
 あの、彼の瞳を……。
 震えた、あの胸のトキメキを……。

破れたハートは空を飛ぶ 

それは、小さな事件だった。
 
 彩菜は、きららの腕をぐいとつかんで、こう言った。
『なんだ、きららって、まだ横須賀のクラブに行ったことないんだ』
 このクラブって、外人ばっかりの大人のディスコのことだ。
 彩菜はまるで、きららのユラユラする行き場のない気持ちを、見透かすみたいに。
 挑発するみたいに、キラっとした視線を、きららに向けた。
 彩菜は、とんがった少女でクラスの問題児だ。 
 放課後の教室。
 ぴりりとした空気が、あたりを包む。
 クラスのみんなが、きららたちを息を飲んで見ていた。
 由梨ちゃんは、不安げにきららの横顔をみつめた。

「ねえ、きらら。今晩、本当に行くつもりなの?」
 由梨ちゃんは、突然思い出したみたいに、ポツンと言った。
 二人で駅へ向かう帰り道。
「うん、約束しちゃったし…」
「コワくないの?」
「少しコワイ。けど、彩菜にあー言われちゃったら、引っ込みがつかないし…」
 由梨ちゃんが心配してくれる気持ち、きららはよくわかってた。
 だから、ウソをついた。
 二人は、中等部からずっと親友で、今はクラスメートで。
 いつも、学校帰りはつるんでミチクサ。元町、横浜、自由が丘、二子玉。
 乗り換えのたびに、雑貨屋さんでかわいいグッツを探す。ステラおばさんのカートうさぎだって、雑誌より先に二人で買っていた。
 いつも、一緒だった。まるでツインズみたいに。
 髪の長さも、ソックスのラルフマークも、バックにつけたババールも。
 でも、あの日を境にきららは変わり始めた。
 腰まで伸びたストレートヘアを、切ろうとしない。
 そして、いつも大きな瞳を潤みがちにし、小さな唇を怒ったようにツンとさせてる。
由梨ちゃんは昔のまま。
くせっ毛でゆるいウェーブのセミロング。砂糖菓子のような優しい笑顔で。
 きららは、そんな由梨ちゃんを見ると、胸の奥が苦くなる。

    由梨ちゃんは、わたしが変わってしまうのがイヤだと思うんだ。
   でも、そんなことを言うコじゃない。
   いつだって、わたしのそばにいてくれる。心配してくれる。
   ごめんね。由梨ちゃん。
   自分でもどうしようもないの。ハートが落ち着かない。
   どこにいても、何をしても。由梨ちゃんといても。
   だから、反発したフリして行くんじゃないの。
   わたしの中で、何かが行きたいって、ささやいたから。
   何かが起こるって、そそのかしたから。


 
 きららは、広いエントランスを通り抜け、マンションの階段をコンコン上がる。
 ドアの前で一呼吸。そっと開けてみる。
   ……やっぱりあった。
 赤いハイヒール。その片っぽは、倒れたまま。
  きららはそっと、抜き足差し足。パパの仕事部屋の前を通り抜ける。
 クスクス…… 笑い声が、ドアの向こうから聞こえて来る。
 パパの年下の恋人。で、きららの年上のアカのオバサン。
「オイオイ、そろそろ…きららが帰って来るから……」
 ちょっと困ったパパの声。
「もう、昴ったら。私とあのコとどっちが大切なのよ」
「もちろん君だよ。君より大切なものが、この世にある訳ないだろ」
 ビリッ ちぎれる。きららの中で、また音をたてて……。
 痛い。ヒリヒリする。久々にこたえる。
 きららは、今のパパを別人28号と思うことにしてる。
 きっとパパは、エイリアンと合体したんだ。あの日から……。
 きららは、ダッと自分の部屋に逃げ込んだ。
 ドレッサーの上の写真立てを振り返る。
 その中で、きららのママが優しく微笑んでいた。

    わたしのママ、去年死んじゃったの。
   残ったパパとわたしは、捨てられちゃった子猫みたいにピーピー泣い 
   てて…。
   情けないくらい、くちゃくちゃになってた。
   だってうちは、ママが全てだったから。
   ママは、雑誌の編集長をやって、働きに行ってた。
   6つ年下のパパは、売れないイラストレーターで。
   ずっと家でゴロゴロしてた。
   で、突然…ママが……。
   それで、パパは、仕事に燃え出したの。
   イキナリ、売れっコになって。テレビに出る人になって。
   深夜番組のトークショーなんかに、コンセプターとか、空間プロデュ 
   ーサーとかの、カタカナに混じるようになって。
   何が本業だか、わかんないほど。
   あのジーンズに、ヘインズのTシャツに、Gジャンしか着なかったパ
   パが…。
   今はブキミ。
   センスはイイんだろうけど、派手なデザインのインポートものを着だ
   したの。
   口を開けば、『最近は……』の5段活用。
   まるでテレビのアンテナでも、頭にはやしてるみたいよ。
   一番大切なものを、どっかに忘れちゃってる。
   有名になるってそーゆーことなの?
 
  業界人らしくしないと、自分が守れないの?
   わたしとパパの関係って、あの日を境に、
   『K』のタテボウ、『I(愛)』を取ったみたいにバランスを失った。
   わたしのハートも、行き先不明の迷子になった。

ふー きららは、大きく深呼吸。
 いっぱいたまった想いを、一瞬だけスーとさせる。
 そして、フローリングの床に、
 ストンと濡れたスカートを脱ぎ捨てた。


 あの瞳が忘れられない

 
 きららは横須賀のクラブに来ていた。
 そこは、深い洞窟みたいに薄暗くて…。
 レンガの壁に、古いポスターがいくつも貼ってあって…。
 狭い板張りのフロアに、大勢の大人たちが、ひしめきあっている。
 熱気と、タバコや汗の匂いで息がつまりそうになる。
 彩菜に連れて来られた『ガラージュ』は、ハンパじゃなくって……。
 きららは、そこに立ちつくしてしまった。
 コワくて金縛りにあったみたいに。
 もし、その時。彼をみつけていなければ、絶対逃げ出していた。

 赤いスポットライトが、一人の男の子を捕えた。
 ドキン 
 きららのハートが感電する。
 彼のダンスに、瞳が釘づけになる。
 その男の子は、18ぐらいで、あの中では明らかに少年で。
 ロングスリーブTシャツに、ひざのやぶれたジーンズ。
 パトリック・ユーイングのスニーカーで。
 多国籍の大人の波の中で、逆らって泳いでる。
 ハマーをコピーしてる男の子たちとは、まるでダンスの次元がちがう。
 きららのハートが、ジンジン、熱くなってく。
 リミックスの一瞬のブレイク。
 彼がきららのほうを振り向いた。
 瞳が交わる。
 キュン 
 きららのハートが、悲鳴をあげる。
 ずっと迷子のハートが、そのワンシーンにピンナップされる。

    その瞬間、わたし、なぜか思ったの。
   『やっと出会えた』って……。
   運命を感じたの。
   同じ瞳の、この世でたった一人の男の子。
   そんな予感。そんな宿命。

 ギュッ、突然腕をつかまれて、きららは振り返った。彩菜が立ってた。
「踊らないの?」
「えっ……。あ…そのうち」
「ねー、あたしの友達なの。紹介するわ」
 二人の大学生っぽい男の子が、彩菜のそばに立っている。勝手に自己紹介する。
 でも、きららには、よく聞き取れなかった。ラップにもみ消されて。
「この子が、星野きららよ。あの星野昴の娘」
 彩菜が、きららのことを紹介する。
「へえ、かわいいじゃん。あのパパから想像もつかないね。まだまっさらってタイプで」
「きららって名前がまたいいよな。いかにも少女って感じだぜ。同じ16でも彩菜とはエライちがいじゃん」
「大きなお世話よ」
 三人は好き勝手なことを話す。
 男の子たちの視線は、ねちっこくきららにまとわりつく。
 キャプテンサンタのトレーナーに、チェックのプリーツスカート。
 その場違いなスタイルに、ニヤニヤしながら耳打ちしあって。
 けど、きららには、言葉の切れ端しか聞こえてこなかった。聞きたくもなかった。
 きららは、フロアを振り返る。
 でもそこには、もう彼の姿はみつからなくて。
   ウソッ!!もう、いない。
    いやっ、いやよ。わたし、彼のこと何も知らないのに。
   もう一度会える保証なんて、どこにもないのに。
「きららちゃん、はいっ」
 男の子の一人が、動揺するきららにグラスを差し出す。ピンクの液体がその中で揺れる。 ゾクッて、きららの背筋をなにかが走る。
   もう、これ以上、ここにいることはないはずよ。
   ここに来たのは、きっと彼と出会うためだったのよ…。
 きららが、とまどっていると、
「きらら、飲みなよ。せっかく持って来てくれたのに」
 彩菜は、有無を言わさない感じで、きららの腕をつかむ。
 仕方ない、きららは口をつける。
 甘いピーチのフレーバー。オイシーけど、少しだけ口の中に苦味が残った。
 促されて、またグッと飲まされる。
 今度は、のどの奥が熱くなる。ナニカがマヒしていくみたいに。
「いい子ね、きららって。あたし、ずっと友達になりたかったのよ。あんたと」
 きららはちょっぴり意外な気がして、彩菜をみつめた。
 彩菜の瞳がイタズラっぽく光る。
「ねー。ずっと、あたしといてくれるでしょ」

拾われたハートの切れはし 


 フロントガラスに、真っ黒な海が開ける。
 星がひとつも出ていない。垂れ込めた、低い空。
 湘南道路。トンネルをぬけると、材木座海岸が見えて来た。
 黒いBMWが、きららを乗せて走っていた。
   ヘンだわ…。何か道が違う気がする……。
   もうすぐ終電がなくなってしまう。
 きららのすぐ隣で、彩菜がチューインガムをかんでいる。
 前の座席には、さっきの男の子が二人。
 きららは、シートに体を堅く縮こませていた。でも心はもっと、ガチガチになって居場所がなくなってた。
   ついて来なければよかった…。
「ねえ、横浜まで後どれくらいで着くの?」 
 きららは時計とにらめっこしながら、助手席の橋本ていうコにきいた。
「心配しなくていいよ、きららちゃん。ちゃんと家まで送ってあげるから。なあ」
 橋本は、運転してる吉川ってコに同意を求める。
「あー。もちろん。後でな」
 吉川はニヤリとして、バックミラー越しにきららを見る。
「えっ、後でって、どこへ行くの?」
「きららったら、何びびってんのよ」
 彩菜は、明るい栗色のストレートヘアをかきあげながら、きららを軽く睨む。

   ! バカなわたし。
   こんなこと、最初っから決まってたんだ。
   クラブで偶然をよそおって出会って、そして……。
   あ、めまいがする。さっきのお酒が入ってたんだ。
   どうする!?
   パパのことで投げやりになって、こんなことにも頭が回らなくって。
   だって、彩菜が……。
   いえ、どっかでどーでもいいって気分になってた。
   でも……。イヤよ! こんなの、絶対イヤ!
   逃げたしたい。


 10M先の信号が赤に変わった。
 車が止まる。誰もいない横断歩道。
 アクセルが踏み込まれる瞬間、きららはドアに手をかける。
 発進と同時に、BMWから飛び降りた。
 反対車線のアスファルトに投げ出される。
   痛い!
 右肩に激痛が走る。
 そう感じた瞬間、きららはまばゆいヘッドライトを浴びてた。
   ! 
 思わず顔を背ける。
 キキィー 2つのブレーキの音。
   ? 痛くない? わたし、死んじゃったの?!
 きららがフッと目を開けると、横倒しになったバイクのそばに男の子が倒れてる。
   うそ! わたしをよけるために?
「許して、だいじょうぶ……?」
 きららはあわてて、そのコにかけよった。震える手でその肩先に触れる。
「……ッカヤロー……」
 彼はうめきながら、きららを見上げた。
   あっ
 メット越しに瞳が重なった瞬間、きららのハートがスパークする。
  彼!? さっきガラージュで踊ってた…あの…。
「きらら!!」
 20M後方から、彩菜の声がした。
 振り返ると、吉川たちが車から降りて来る。
 きららはガチガチ震えながら、彼の腕にしがみついていた。
「……たすけて……」
「おまえ……」
 彼は、きららと黒いBMWを交互に見る。
 ガバッとバイクを起こす。
「乗れ!早く」
 きららに手をさしのべた。
「あっ……」
 きららの体が一瞬、震える。
 迷わず、彼のバイクのタンデムシートに飛び乗る。
 バイクのフロントがフッと浮いて、急発進する。

 あのBMWと彩菜が、見る間に小さくなっていった。
 
 海沿いの国道134。潮風を裂いて、彼のバイクが突っ走る。
 きららのハートは、ものすごくドキドキしてて。
 息が苦しい。胸の奥が痛い。頬が熱い。
 彼の背中の温もりが、肩をきる風の冷たさより、ずっときららを熱くさせて。
   さっきまで、あんな思いをしてたのに…。
   やっぱり運命だったんだ。彼と出会うために用意された。
   このまま、時間が止っちゃえばいい。

 カチッ ウィンカーが左に出る。バイクは、コンビニの駐車場に止まった。
「待ってな」
 彼は、コンビニの中に入ってく。
 きららは現実に引き戻されて、呆然と彼の背中をみつめていた。
 店の中の時計が見える。もう、電車なんかとっくになくなってる。
    わたし、どうなっちゃうのかな。
   何も考えたくない。何もしたくない。

 きららは下を向いて、頭を左右に振った。

「ほらっ」
 目の前にコーラのCAN。
 彼が差し出した手の甲に、血が生々しくにじんでいる。その肌は、濃いめのカフェオレ色をしていた。
「ごめんなさいっ。わたしのせいでケガを」
「たいしたことねーよ」
 彼はすぐ手を引っ込めて、自分のコーラのプルを起こす。
 コンビニの明かりに照らされた横顔は、とても端正で、ちょっと野性的で。
 目のほりが深く、鼻筋もスッと高い。
   やっぱ、ステキ。めちゃくちゃ、カッコイイ。
   ビデオクリップで見た、ストリートキッズみたい。
   ホンモノって、カンジだわ。そうか……。横須賀だったから…。

 きららの中でいろんな想いが交差する。
「家、どこ?」
 彼が、ぶっきらぼうに口をきく。
「えっ、あ…あの、瀬田。二子玉の先の」
 きららは突然聞かれて、しどろもどろになってしまう。
「送ってってやる。特別にな」
「えっ……」
「早く乗れよ」
 彼はそう言うと、メットを被る。
   それだけ?何も聞かないの?
   どうしてあんなことしたのか。どんな想いであなたを見てたか。
   聞いてくれないの?

 きららは思わず、首を横に振ってた。
「じゃ、どうすんだよ。おいてくぞ」
   冷たい。そんな突き放すように言わないでよ。
   やっと会えたのに……。助けてくれたのに。
 
 ブルルン 彼はサッとバイクに乗って、エンジンをかける。
   うそっ!このまま?
 一瞬、きららの脳裏にパパの顔が浮かぶ。赤いハイヒールと、クスクス笑いが聞こえる。
「わたし…、あそこへは帰りたくないの」
 気がついたら、そう叫んでた。
 きららは、彼の腕にしがみついて。
 彼は、ガッと、メットを脱ぎ捨てると、きららの両腕をグイッとつかんだ。
 抱き寄せられる。強引にキスされそうになる。
   コワイッ。
 きららはガチガチになって顔を背ける。
「フッ、その気もねーくせにバカ言ってんじゃねーよ。オレだってアイツらと同じかもしれないんだぞ。いいのか」
 彼が怒鳴りつける。
「えっ、だって、」
  どおしよう……
  わたし…頭ん中が、ぐちゃぐちゃになってる。

「あんなメにあってんのに、どーして他人を警戒しない」
 彼は、きららのことを突き放す。
「だって、あなたは違うもの。だって……」
   そんな、そんなこと言わないでよ。
   想いがあふれて、言葉になんない。つかまれた腕の後が痛いよぉ。

 きららは、涙いっぱいの瞳で彼をみつめた。彼もじっときららを見ている。
   あー、やっぱりこの瞳。胸の奥が、キュンとする……
 彼は転がったメットを拾いあげる。そして強引にきららの腕をひっぱった。
「乗れよ」
 
 街の明かりが、左右に切り裂かれてく。
 深夜の第三京浜。
 多摩川を渡る。川の部分だけ光を失って、闇が流れている。
   もうすぐ家についてしまう。
   そしたら、お別れなんだ。もう、会ってくれるわけない。
   きっとわたしのこと、あきれてるわ。

 見慣れた風景の中で、きららはどんどん夢から覚めていく。
 今夜のことは、あまりに非現実的で…。
 ドラマチックで…。
 でも、きららはこのままずっと、 彼の背中の温もりを覚えていたかった。
 キキーッ バイクがマンションの前に止まる。
 きららはとまどいがちに、バイクを降りる。
    こんなとき、なんて言えばいいの?
   あ、言葉がみつかんない。
   どーすれば、わたしの想いが伝えられるの?

「……ごめんなさい。…どうもありかとう」

 きららは、それだけを言うのが、精一杯だった。
 彼はフッとマンションを見上げ、
「あそこは、アンタみたいなコが来るとこじゃないぜ」
「えっ」
「ガラージュだよ。二度とバカなまねすんじゃねーぞ」
 そう言うと、ギアに足をかける。
   うそ! 信じられない。
   でも、でも覚えててくれたんだ。あの、瞳が重なった瞬間。

「待って、お願い。あなたのこと教えて」
「……オレに関わるな」
「どうして、そんなこと言うの? お願い。名前だけでも知りたいの」
「……葉山 エイジ」
 エイジは、そう言うと、きららを振り切って行ってしまった。
    エ・イ・ジ……。
   エイジっていうんだ。彼……
   ねーエイジ。わたしたちもう会えないの?
   一瞬の出会いで、こんなにも心に残ってるのに…。

花園からあぶれたチューリップ 

 
 いつもと変わらない朝が来る。
 きららには、昨日のことが夢のワンシーンのように感じられた。
 由梨ちゃんと東横線にゆられて学校へ行く。いつもの時間に。いつもの風景で。
 だけど、きららの中で、確実に何かが変わっていた。
 いつもだったら、まっさきに由梨ちゃんに昨日のことを話していた。由梨ちゃんも、きららに聞いただろう。でも二人して、このコトについて触れようとはしなかった。
 石川町までの50分ほどの時間が、いつもの倍ぐらいに感じられる。きららは由梨ちゃんといることが、初めて居心地が悪るかった。
 学校へ登校する。
「ごきげんよう」
 いつもと同じあいさつで教室に入る。白いセーラー服だけのきららたちの学院。
 みんな同じカッコウをし、同じコトを考えてるフリをすれば、そこは温室の花園だった。 色や開き方は違うけど、そこにはチューリップしかなくて。

   彩菜はどうしたんだろう。わたしがあんなことをして、驚いたに違いないわ。
 もうすぐ一時間目が始まろうとしていた。あの赤いバラはやって来ない。
 
 二時間目が終わった休み時間。
 きららと由梨ちゃんは、いつもの仲良しグループとダベッていた。
「ねえ、きのうの『DD』見たぁ?」
 美香が身を乗り出して言う。
 『DD』、正式には『D&Dファクトリー』。今、人気のダンス番組だ。
 深夜ワクで、オーディションを中心にゲストを迎え、海外のビデオクリップを紹介してる。
「見たぁー。アメリカンスクールのコが出てたよねー。あれじゃあ勝負になんないよ」
「でも、おもしろかったねー。MMブラザーズがゲストだったじゃん」
 きららは、こんないつもの会話を楽しいと思った。
 みんなと同じ笑顔でいられる。
   でも…エイジのとこに飛んでったハートのすき間がスースーしてる。
   本当のいつもに戻れないの。
   気がつくと、片時も彼の温もりが、わたしから消えない。
   あの瞳に会いたい。

「ねー、きらら。パパが『DD』に出てたけど、レギュラーになったの?」
 美香が、きららの肩をグワシとつかむ。
「えっ」
「きららは、パパに仕事のこと聞かないから」
 由梨ちゃんは、きららの代わりに答える。
「そっか。そうだよね。あのさー、来週、エンペリアルが出るんだって。でさ……」
 きららには、美香の言いたいことは分かってた。いつものこと。
「サインでしょ。一応きいてみるよ」
「サンキュー、きらら。アイシテル」
 美香がきららに抱きつく。これもいつものオーバーアクション。
 由梨ちゃんは、何か言いたげに、美香のことを見ていた。
   由梨ちゃんはわたしの気持ち、わかってくれてるんだ。
   芸能人してるパパをキライなの、一番よく知ってるから。
   でも、わたしたちの優しい関係には、NOって言葉はないの。
   イヤなことでも『一応……』って言葉に、 文法を置き換えするんだ。

 
 バシン 
 カバンが机に、たたきつけられる音。 
 きららたちはパッと振り向いた。

 温室に赤いバラ。彩菜は存在感があって。
 きららは彩菜と目が合ってしまった。こっちへ来る。
「あら、きらら。ちゃんと来てたのね。あたし、てっきりあのまま彼と……かと思ったわ」 
 クラスのみんなが一斉に黙る。
 由梨ちゃんが下を向く。美香たちはキョトンとしてる。
 きららは、絶句。
「通りすがりの男の子、どうだった?優しくしてくれたの?」
 ドン! きららは机に手をついて立ち上がる。
 一瞬ひるんだ彩菜。
 でも、きららを睨み返す。
 きららはプイッて横を向いて、教室を出ようとした。
 由梨ちゃんが、あわてて後を追う。
「昨日、サイコーのナイトクルージングだったのに。きららったらさ…。
 あたしたちの車から飛び降りて、通りすがりのバイクのコとエスケープしたのよ。
 あれからどうなったのか、聞きたかったのになー」
 彩菜は、わざと大きな声で、聞こえよがしに言う。
 クラスのみんなの視線が、きららの体に突き刺さる。
「ウソよ。そんなのウソだわ。きららはそんなコじゃないもの」
 由梨ちゃんはきららの腕をつかんで、彩菜に向かって叫んだ。
 そして、何かを言おうとしたきららの顔を、食い入るようにみつめてる。
   優しい由梨ちゃん。ありがとう。
   エイジに会う前のわたしだったら、由梨ちゃんの気持ち大切にして、
   自分の心を偽ってた。

「事実よ。でも真実は違うわ。彩菜が想像してるようなことじゃない」
 由梨ちゃんの手から、スッと力が抜ける。
 きららはひとり、教室から飛び出した。   
   由梨ちゃん、ごめん。ごめんね。
   取り返しのつかないこと、 言ったかもしれない。
   でも、一瞬でも、エイジとの出会いをウソにしたくなかったの。

 予鈴が鳴った。
 きららが教室に戻ったとき、
 そこはもう…、温室の花園では、 なくなっていた。

 あの瞳を探し求めて


 今日で9回目。
 きららは、エイジを探して、ずっとガラージュへ来ていた。
 バックの中に私服をつめこんで、デパートの化粧室で着替えて、横須賀へ行く。
 やっときららが、ウエーター姿のエイジをみつけた時、『来るな』って怒鳴られた。
 あとはてんで無視のされ通しで。
 きららの存在すらそこにないみたいに……。
   つらい……。でも、それでも……
   エイジと同じ空間にいられるだけで。
   あなたの姿、見れるだけでいい…。

 エイジは週3日ほど、ウエーターをやって。
 金曜の晩は必ず、踊っているようだった。
 それ以外の彼を、きららは全く知らない。知りようもなかった。
 ただ、まるでアフタースクールに通うみたいに、 7時に入って10時に帰ってたから。
 コトッ 
 きららのテーブルに、 オレンジのグラスが置かれる。
 振り向くと彩菜が立ってた。その瞳は、弱々しく揺れている。
    
 彩菜はゆっくりと、隣のスツールに腰掛け、きららに体を寄せた。
「このあいだは、ごめんね。あたし、くやしかったんだ。きららが逃げ出しちゃって」
 きららは黙って、彩菜をみつめた。
「きららと…友達になりたかったのは本当よ。あたし、どうしたらいいか、わかんなくて。フツーの女の子って苦手。いつもつるんでて。グループが決まってて……」
「どうして、わたしだったの?」
 長い沈黙の後、彩菜は、
「……たぶん。同じ心のすきまを、持ってると思ったから……」 
 きららはショックだった。
   彩菜には、そういうふうに見えるんだ。
   確かに、今のわたしには、彩菜の気持ちがわかる気がする。
   あの温室の存在に気付いた時から。

 きららは、ふっと、フロアのエイジの姿をさがした。
「エイジってコでしょ。きららのお目当て」
 彩菜は、きららの視線を追って言った。
「えっ」
 きららは、心の中を見透かされたようで、驚いた。
「やっぱりそうか。ここに通い詰めてるってウワサ聞いたから」
「ウワサって」
「あー、あたしの仲間内よ。心配しないで。あんたみたいな人種は、こんなとこじゃ目立つだけだから。もしかして、あの日、ひとめボレしちゃったとか……」
「……」
 きららは、いたたまれず、彩菜から目をそらした。
「そっか…。彼は諦めたほうがいいよ。きららとは、ちがいすぎるもの」
「どうして、そんなこと言うの?」
「えっ、だって…。エイジはガラージュじゃ有名で。あのルックス、あのダンスでしょ。
 ボビ男くんて、一時はボデコンのアイドルになってたみたい。
 だから、いろいろあったみたいで……」
 きららには、彩菜の言ってることが、よくわからなかった。
 たしかに、グサッて胸を突いたけど。彼の住む世界なんて想像つかないし、普段のエイジを知らなかったから。
 そんなことでエイジへの気持ちは、これっぽっちも変わらないって自分を信じてて。

「そう……。他にエイジのこと、何か知ってたら、教えて」
「マジなんだ。きらら…。そっか…。でも、あたしもそれ以上は知らない。それより、学校気をつけてね。生活指導があんたをチェックしてるって聞いたから」
「彩菜こそ、大丈夫なの?」
「あたしは慣れっこだもの。きららを、アイツラに傷つけられたくないのよ」
「ありがとう。彩菜」
 彩菜はゆっくり微笑むと、静かに店から出て行った。

 
 12回目のガラージュ。
 きららは彩菜の忠告を守って、週末だけに絞って来るようにした。
 エイジが踊るFRYDAY。
 その日はコインロッカーの場所も、更衣室のデパートも、いつも変える。
 フツーの日は、フツーのふりをする。
 きららは息苦しくて仕方なかった。もう、自分の心に平気でウソをつけないから。
 そんな夜、もう、フツーに戻れない事件が起きた。まるで嵐みたいに。
エイジが踊る。
 トゥループ。キャベッジバッチ。エレクトリックスライド。

エイジは、 多彩にステップをアレンジしていく。
   フー、なんてカッコイイんだろ。やっぱ、エイジはすごい。
   これが本物のDANCEよ。根本的に、ノリがちがうわ。
   『DD』にだって、エイジより上手なコは出ないもの。

 きららは、あんなにコワかったガラージュが、居心地よくなっていた。エイジを見てるだけで、想いが満たされてく。
 ぐちゃぐちゃのフロアの中で彼だけが、あんなに光って見える。
 その時……
 スッと、ひとりの女の人が、エイジの前に進み出た。
 パパの恋人みたいな、ギラギラした大人。
 背中が丸あきのミニのドレス。真っ赤なルージュと鋭い爪。ユラユラするゴールドのピアス。暗い照明の下で、きららには、それらがやけにはっきり見えた。
   エイジのダンスをジャマしないで。
   エイジに近付かないで。

 きららの心の叫びなんか、まるでおかまいなしで。ヘビのようにあの指が、エイジの首に絡まってく。
  イヤ。……ヤメテ。

 やっぱり、目の当りに見てしまうと、ショックで。
 きららは、胸に鉛の大きな塊を、押し込まれたようで。痛い。苦しい。
ハウスに曲調が変わる。
エイジはその女の人とフロアから姿を消した。
 きららのハートは、ズタズタに引き裂かれて。
 気が遠くなる。
 まともに立ってられない。
「よお、きららちゃんじゃない」
 きららはその声に、必死で意識を取り戻した。
 目の前に、あの橋本と吉川がいる。
   ! 逃げなきゃ。
 踏み出した足を取られて、きららは倒れそうになる。
 ガッと、吉川に腕をつかまれる。
「あらら、そんなに酔っぱらっちゃだめじゃん。僕たちとあそぼうぜ」
「そうだよ。まんざら知らぬ仲でもなし。あのバイク小僧がOKなら、オレたちだっていいはずだよな」
 ギュッ 強く腕を握られる。
「痛い。離して!」
「イヤだといったら?」
 吉川の目がトカゲみたいに光る。
   コワイ!だれか…! 
 きららは思わず顔を背ける。
 次の瞬間、つかまれた腕から、フッと痛みが消える。
「こうするまでさ」
 その声にハッとして、きららは振り返った。
うそっ! 
 エイジが、吉川の腕をねじあげてる。
「イテテテ。離せよ、エイジ。客に暴力ふるう気かよ」
「あいにくだが、今夜はオレも客なんでな。こんりんざい、このコにかまうな。」
 エイジは、彼の腕をぐいと引き上げる。
 吉川はぶざまに、体を前に倒してもがく。
「痛てーよ。わかったから、離せよ」
 エイジが離してやると、吉川はフーフー言って、ねじあげられた腕を上下に振る。
「珍しいじゃねーか。エイジよ。何でもありのおまえが、 女をかばうなんてな」
「今度はコイツが、ほしいみてーだな」
 エイジは自分の拳を、 ヒタヒタたたいて見せる。
「ちっ、覚えてろ」
 吉川たちは舌打ちをして、出て行った。

停学をかけた純情


「バカヤロー!自分の身も守れねえのに、こんなとこに出入りするんじゃねー!!」
 エイジはキッと、きららを見すえ、怒鳴りつけた。
 きららの肩が一瞬すくむ。
    どうしてここに?さっきの女の人と一緒で…
   なのに助けてくれるなんて……。

 エイジは、呆然としてるきららの腕をつかみ、強引に出口の方へ引っぱっていく。そのまま外へ引きずり出し、突き放した。
「もう、二度とココへ来るな!」
 言い捨てて、店へ戻ろうとする。
「待って!」
 きららはそう言うなり、エイジの背中にすがりついていた。
 涙が、次から次へと……。あふれて止まらない……。
 彼のTシャツを濡らしていく。
   止められない。この気持ち……。
「好き…。好きなの。あなたが」
 エイジの背中が一瞬、ビクッて揺れた。
「カンちがいするなよ。アレはただの気まぐれだ。次は何をするか、わからねーぞ」
 ドキン きららのハートが音をたてる。
    あ……わたし……。
この暖かい温もりを、信じてきたけど……。
   彼のこと、何も知っちゃいなくて。
   でも、心の……、いえ、もっと深いトコで、 エイジに魅かれてるの。
   わたし、言葉なんかで判断しない。

その時、背後で数人の足音が近付いて来るのを感じた。
 
 きららは、振り返る。
「1年C組の星野きららだな」
 生活指導の先生たちが、ズラリと並んでいた。
「何をやっているんだ。こんなところで。しかも男とラブシーンか!」
 頭ごなしに怒鳴られる。

「あっ……」
 きららは言葉を失って、立ちすくんだ。
 バシッ
 その頬を、先生の一人が、容赦なく平手打ちする。
 きららはよろけて、道路にへたりこむ。
「何をするんだ!いきなり。訳を聞こうともしないで!」
 エイジが、先生たちに叫ぶ。
「きさま、うちの生徒をおもちゃにしといて、なんて言いグサだ。まだ未成年だろうが」
「理由なんか聞く必要がどこにある。この事実だけで十分だろう」
 機関銃のように心のない言葉が、二人にふりそそぐ。
 エイジは自分の拳をぎゅっと握りしめ、先生たちをジッと睨み返えした。
「きらら、来い!」
 エイジが、叫ぶ。
 倒れてるきららの手をつかむと、ダッと、かけ出す。
 きららはもう、頭がパニックしてて。何が起こったのか、すぐには分からなかった。
 エイジに手を引かれて、きららは全力で逃げる。
 先生の集団が息を切らしながら、きららたちを追いかけて来る。
     うそっ…
   こんな……こんなことって……
   でも、わたし……エイジと一緒だから、コワクない。
   こんなに軽い体で走ったの、 初めて。風のように速いの。
   エイジの手の温もりが、どんどんわたしのハートを熱くする。

 
 きららはエイジのバイクで、逗子海岸に来ていた。
   あの先生たちを振り切って……。
 真っ黒な海。打ち寄せる波が、うっすらと白くくだけて。
 空は深い闇の中に、わずかな星の瞬きをこぼしていた。
 砂浜に二人、腰を下ろして。肩が触れそうなくらいに、すぐ近くに。
 きららは、そっと確かめるように、エイジのひざに目をやった。
 彼の顔なんか、見上げられないほど、切なさで胸がいっぱいで。
    エイジが、今……、わたしの隣にいるんだ。
   夢なら覚めないで、お願いだから…

 エイジは棒切れを拾うと、海へ投げる。
「……。かえって、アンタの立場を悪くさせちまったな」
 きららは、首を大きく左右に振った。
    この闇が、少しだけ勇気をくれる。
「……すっごく、うれしかった。それに……あの…名前を呼ばれたとき、心臓が止まるかと思っちゃった」
「え、あー」
 エイジはテレくさそうに、あいまいに返事をする。
「変わった名前だな」
「ん。……そうかもしれない……。昔、パパがこんなふうに海岸で、星を見上げてて……。好きな人がすぐそばにいて……。その時、星がとても輝いてたんですって……」
「それで、きららか……」
「小さいころ、よくからかわれたけど。気にいってるの。パパがつけて…くれた…名前…」 
きららの瞳に、フッと涙が込み上げる。
    やだ、どおして。エイジといるのに……、
   あの楽しかった頃が…ママやパパの想い出が……

「あ……ごめんなさい。なんか急に……」
 きららはあわてて、空を見上げる。
 エイジは、きららの肩を優しく抱いた。
 きゅん  

 もう、言葉なんかいらなかった。
 ハートのすきまがうまってく。胸の奥がじんわりと満たされてく。
      ありがとう……エイジ。
   わたし、どーしようもないくらい…エイジが……好き。


 きららは、自分の家に帰って来た。
 軽やかに階段を駆け上がる。
 気分はサイコーにハッピーで。
 すっかりハイのまんま、バンと無造作にドアを開けた。
 くたびれた男物の靴が、三足。そこにあった。
 紅潮してた頬から、一気に血が引く。
 パパはいつもの笑顔で、リビングから出て来る。
「お帰り、きらら。早かったじゃないか」
「パパ……」
 きららは、真っ青になって、パパを見上げた。
「大丈夫だよ。おいで。パパはきららを信じてるから」
 パパに促されて、きららは重い足取りで、リビングへ入っていった。
 ソファーにさっきの先生たちが並んでる。
「娘は、ちゃんと10時前に帰って来ましたよ。あなた方が心配なさってることは、おこらなかった、ということです」
 先生たちは渋い顔をして、立ち上がる。
「とにかく、今回のようなことがあっては、学院としても大変な問題です。以後、厳重なご注意を!」
 そう、グサッて言い残して、帰って行った。

 きららは呆然と、立ちつくしていた。
 パパが、そっとその肩をたたく。
「よかったよ。きららが早く帰って来てくれて。退学は免れた」
「え、うそ!!」
 きららはぶっとんで、パパの顔をみつめた。
「本当だよ。すごい見幕でさ。街の不良とかけおちしたんですぞ、なんて時代がかったこと言ってたよ」
パパは苦笑する。
「バイクの音がしたけど、彼が送ってくれたんだろ。電車じゃないぶん時間が稼げた。いいヤツじゃないか」
「うん」
 きららから、やっと笑みがこぼれる。
「好きなんだろ」
「うん。めちゃくちゃ好きなの。でも、片思いなんだ」
「そんなことないよ。きっときららのことが好きさ。あんなことしてくれる、お人よしの男なんているもんか」
「パパったら……」
 きららは、久しぶりにパパと、打ち解けて話せた気がした。
 パパは冷蔵庫の前にしゃがみこむ。コーラのCANをきららにほおってよこす。自分用にビールのCAN。
 二人でソファーにどっかりすわる。カツン カンパイ。
「きらら……、パパも少し反省したよ。今夜はね……」
 きららはじっとパパの横顔をみつめた。ちょっぴり、苦そうにビールを飲んでる。
「このところ、忙しくて君にかまってやれなかった」
「いいよ。そんな親みたいなこと言わないで。パパはいつだって、恋してないといられないんだから……」
 きららは、エイジに恋をして…。
 初めて、パパの一人でいられない気持ち、少しだけわかった気がした。
「そうか。まいったな。きららも恋する乙女か。早いもんだな」
「やだ。オジサンくさーい。パパはまだ36でしょ。まだ、青春してるんでしょ」
「ハハハ、そうだな。現役バリバリさ。きらら、そのうち彼に会わせてくれよ」
「えっ」
 きららは思わず、びっくり。
 そんなこと考えたこともない。だいいち、まだエイジは……。
「いいだろ。そのくらい。大事な娘が入れあげてる男だ。ちょっと見てみたいだろ」
「もう。もったいなくて見せられない」
「ケチンボ」
 パパは子供みたいに、すねてみせる。
   おちゃめなパパ。
   もしかしたら……こんな風に少しずつ、
   親子のバランスを、変えればいいのかもしれない。
   『K』が壊れたら、『M』にすればいい。

 きららはその夜、久しぶりにゆっくり眠ることができた。
 これからやって来る嵐の前の小休止。
 
 
月曜日。

 きららは、さっそく生活指導室に呼び出された。
 ホームルームの後、先生がきららを名指ししたのだ。
 由梨ちゃんが、美香が、唖然としていた。クラス中の子が、振り返ってきららを見た。
 彩菜だけは、先生を睨みつけていた。
 きららは、3日間の停学になった。
『左記の者……』なんて、掲示板にまで張り出されて……。
 きららが自宅謹慎している間、ウワサがいろんな姿に形を変えて、広がっていた。
 きららのキャラクターが意外だったらしく、みんなしばらくそのウワサでもちきりだった。 彩菜が、きららのうちに来て、そう話して行った。
 きららは悲しかったけど、逆にスッキリしていた。
 由梨ちゃんはノートを届けてくれたけど、何も教えては、くれなかったから。
   好きな人に会いに行くことが、そんなにいけないことなの?
    恋をするって、キタナイことなの?
   わたしは、なんて言われたっていい。
   もし、あの晩、ガラージュへ行かなかったら。
   先生たちに殴られなかったら。
   きっと……わたし、エイジに突き放されたままだったもの。
  
 こんなこと……。
   ほんの少しでも、わたしの気持ちが伝わっただけで嬉しいの。
   ただ、もうガラージュへは行けない。
   今度は退学が待ってる。

 学校のこの突然の強硬姿勢に、さすがの彩菜もビビッていた。
「悔しいけど、しばらくジシュクね。他にオモシロイことみつけるわ。こんどこそバレないようにするから」
 彩菜はそう言って、きららに笑った。

今だけでいい、そばにいて

 
 エイジに会いたい。 
 でも、ガラージュへは行けない。
 きららの中で、その二つが行ったり来たりしていた。
 エイジはあの日、きららに電話番号すら告げずに去った。
 きららのナンバーも、受け取ってはくれなかった。
 今夜はFRYDAY・NIGHT
   あのダンスはもう二度と見れないの?
   今、エイジは……。こんなに彼の姿を想うだけで、胸が熱くなる。

 気がついたら、きららは受話器を握り締めていた。
 ガチガチに震える指で、ガラージュのナンバーを押す。
 店の人は快く、彼を呼びに行ってくれた。
 きららは、ジッと受話器に耳を押し当てる。あのやかましいとしか思えなかったヒップポップが、今は、懐かしく聞こえる。
エイジは、なかなか出てはくれない。
 このまま出てくれないのかもしれない。そう思うと、きららは鼻の奥がツンとして来る。
「もしもし……」
 突然のエイジの声。
  あ……。エイジ…… 何か言わなきゃ。
 そう思った瞬間、きららの頭が真っ白になった。
「あ……あの……」
「……きららか?」
 エイジが、きららの名前を呼んだとたん、想いが一斉にあふれて……
「エイジ。会いたい。会いたいの。……」
 もう、それから何を言ったか……きららは思い出せなかった。
 しばらく、エイジは黙っていた。
「わかった」
 そう言ってくれた。
 もう、今までの気分がウソみたいで。体がフワリと軽くなる。
 きららのハートは、エイジのとこへすっ飛んでく。
 きららも、リビングのパパのとこへ飛んでいった。

「ねえー、パパ」
 お客様が来ていた。
 きららは、電話で舞い上がってて、全然気がつかなかった。
「いらっしゃいませ。狩野のオジサマ」
 パパの隣に座ってる人に、あいさつする。
「きららちゃんか。しばらく見ないうちにキレイになったな。どーだい、JRのキャンペーンガールでもやるか」
 そのオジサンの視線が、きららの顔から足までなめていく。
「ジョーダン!なれっこないでしょ。それにわたし、そんなの興味ないもん」
 きららはプイッて横を向く。
「きらら。つれなくしとけよ。このオジさんは、マジでくどくからな」
 と、おちゃめなパパ。
「おい、星野。オレをおちょくる気か」
 このヘンな狩野というオジサンは、パパの学生時代からの友人だった。
 トレンドクリエーターって、訳のわかんない仕事をしてる。いわゆる、業界の仕掛人。
 きららのパパを、今のメディアの人にしたのも、彼の仕業だった。星野家としては、財政難を救ってもらったんだから、感謝しなくちゃいけないんだけど。

 きららはどーも好きになれない。
 狩野は、今夜もパパなんか目じゃないくらいハデなファッションで。おヒゲと、ヘンなメガネが、かなりイヤラシかった。
「なぁー、きららちゃん。君のBFでカッコイイ男の子はいないかい? 新しいタイプのアイドルを探してるんだ」
 狩野はコリもせず、きららに話しかける。
「もったいなくて見せられない。オジサマなんかに、絶対、教えてあげないわよ」
「こらこら、見栄をはるなよ。彼氏なんかいないくせに」
 パパは、静かに笑って、きららたちを見ていた。

 
 SUNDAY

 よく晴れた山下公園。たくさんの人々で、にぎわっていた。
 海沿いのサクに持たれて、観覧車や行き交う船を見ているカップル。
 ベンチに腰掛け、午後の陽射しを受けながら、楽しそうにしてるファミリー。
 きららは一人、ポツンと。もったいないくらいカッコイイ彼を、待っていた。
 約束の時間をもう、30分も回っている。
 左手の時計と睨めっこ。ピンクの世界地図の上を、秒針がピッピッて歩いてく。

 その一秒ごとに不安が募ていく。
 もしかしたら、来てくれないかもしれない。
 気持ちのいいスカッとした青空とは裏腹に、きららのハートは曇天もよう。今にも雨が降りだしそう。
 キシキシするハートを持てあましながら、じっと、海の彼方に目をやる。
 もうすぐ1時間に、なろーとしていた。
    2時間になっても、5時間になっても、わたし、ここにいるわ。
   エイジを信じてるもの……

 きららは、キッと公園の方を振り返る。
 !
 その時、エイジがきららの視界に映った。
 遠くのほうから歩いて来る。
 ネイビーのレイブパンツに両手を突っ込んで。
 G&Sのキャップを深く被り、うつむいて。 
 通りすがりの女の子たちの視線が、一瞬エイジを捕えてく。
 外人が多いこの街でも、彼はルックスがいいから、めだってる。
 それに明るい陽射しの中、エイジの肌の色は、とてもキレイで。初めて見る太陽の下の彼に、きららは感激していた。
 待ちきれず、エイジにかけよる。
 彼が、あの瞳できららをみつめる。
    エイジだ……。
   やだ、なんか目が、うるうるしてきた。

「嬉しい。来てくれないかと思っちゃった」
 きららは、こみあげる想いに負けないように、ジョーダンぽく言った。
「当たり。来ないつもりだった」
 エイジはもどかし気に、瞳を海に向ける。
「でも、オマエがずっと待ってる気がして。だから、はっきり言いに来た」
「エイジ……」
 きららのハートは、不安で震える。
「オレたち、 もう、会わないほうがいい。お互いのために」
「どおして?どおしてそんなこと言うの?」
「オマエとはしょせん、住む世界が違う」
「そんなこと、関係ないわ」
「これを言うのも最後だ。もう、二度と会わない。オマエは自分を大切にしろよ」
 くるりと背を向けて、エイジは歩き出した。
「待って!お願い。わたしの最後のワガママきいて。今日だけでいい。今だけでいい。一緒にいて!」
 叫んでいた。きららは、彼の背中に向かって。
 大きな声で、ありったけ。
 まわりの人々が、きららの方を一斉に振り向いた。
 けど、そんなこと、今のきららにはかまってる余裕はない。
 そしてみんなは、ジッとエイジを見守っている。
 まるで、ドラマのワンシーンみたいな、ストップ・モーション。
 チッ、エイジは舌打ちをして、キャップのツバをぐっと下に引っ張る。
 きららに背中を向けたまま、さりげなく手を差し出した。
「エイジ 」
 きららは、その手に飛びつく。
 ベンチに座ってた、白人のおじいさんとおばあさんが、拍手してくれる。
 つられて、まわりから拍手と歓声が起こる。
「ずるい手を使いやがって」
 エイジは、きららの頭をコツンとたたく。苦笑しながら、みつめる瞳は優しくて。
 きららたちは真っ赤になって、その場から逃げるように歩いて行った。
 
 エイジときららは、公園から少し離れた埠頭に来ていた。

 そこには、人の姿はほとんどなくて。
 ところどころペンキのはげた倉庫を背にして、二人は岸壁に立っていた。
 エイジは、ずっと何か思いつめたような表情で、海を見ていた。
 ふいに、エイジが振り返る。
「オレ、もう行くよ」
「エイジ……」
   まだ来たばかりなのに、
   どうして……わたしといるのは、そんなに……

「ねー、わたしの気持ちって、迷惑なだけよね。エイジはわたしがかわいそうだから、無理して優しくしてくれたんでしょ」
「オレは、そんなお人よしじゃねーよ」
 エイジは、はき捨てるように言う。
「えっ」
 二人の瞳が重なる。きららの胸がキュンと痛くなる。
 エイジは眉の間にシワをよせて、遠い海に瞳を投げた。
「帰るよ。そして、さよならしようぜ」
 彼は促すように、きららの肩をそっと押した。
 きららの中に、行き場のない痛みがあふれる。エイジの心を見失う。
 あの夜……、やっと、エイジの心に触れたと思ったのに。
   どうして?何が、いけないの。
     住む世界がって……、そんなの大人が勝手に思うことでしょ。
   エイジ……何を恐れてるの。
   わたしはあなたを失うことのほうが、ずっとコワイ。
   ただ、あなたのそばにいたい……。
   あなたの瞳をみつめていたい……。
   それは、イケナイことなの。
   ただ、わたしがキライなの?
   エイジの気持ちが、わかんない… 
   すぐ、こんな…手をのばせば、触れられるのに……
   どーしたら、いいの……

 きららは、じっとエイジの瞳をみつめた。
 そこに、答えを探すかのように。
 揺らぎのない瞳に、何もみつけられない。
 きららは、やっとの想いで、つぶやく。
 ためらいがちに……そっと……
「……好き。好きなの。……どおしてもダメなの?」
「ダメだ」
 エイジはキツく言う。
 きららの心に、その言葉が突き刺さる。
 でも、言葉ほど、 肩に触れたエイジの手は、 冷たくはなかった。
 なんだか、暖かくって……きららは涙が出そうになった。


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