見出し画像

切手だらけの手紙


父とは諸事情で、3年ほど前から会えていない。
手紙でのやりとりがあるだけだ。

最後に会ったのはむすめがお腹にいる頃で、
車を走らせやってきて
うちの近くの喫茶店で会い、私に金一封を手渡した。

なぜこのタイミングでお金かというと
おそらくコロナの影響で
結婚式も両家顔合わせもできなかった私たちへの花向けで
父なりの、最後の餞別だったのだろう。

前の記事でも触れたように
父は私が小学校にあがるとき、
この子と暮らす年月の半分がもう過ぎたぞ、と母に言った人物だ。

その予言を当時の私は知っていたのかどうか、
それでも私は本当に14歳で家を出て
以来、家族はそれぞれ別々に暮らしている。

手紙だけ、とはいったが手紙の中の父はなかなかに饒舌で
丸いダンゴムシみたいな字で、さまざまを綴っている。


これまで知らなかった父の
興味、関心。

私の住まう地周辺で
父がむかし縁のあった人や、場所のこと。

私が蒸留器を迎え、
水蒸気蒸留法を使って植物から香りを抽出する本気の遊びに興じていると知らせると
学生時代に手製で蒸留器を作ったことがあると返ってきて、笑ってしまった。  

父に会えるのは何年後になるのか、
そのときむすめは何歳になってるのか、
私はなにをしているのか。

歳を重ねるごとに年月は早く飛び去るけれど
父にとってのいち年、ひと月、いち日は
どんな比重で層をなしているのだろう。

知り得ることはないけれど
切手が貼り連ねられた白い封筒を
あと何通、受け取ることになるのかと
深まりはじめた秋の夜に思う。


いいなと思ったら応援しよう!