尊厳が踏みにじられている。
尊厳が、踏みにじられている。
ありとあらゆる尊厳が、踏みにじられている。
近年、強くそう思う。
人を人と思わず、弱いものや少数者を吊し上げ、袋叩きにする。
そのくせ権力者(=強者)には迎合し、弱者に対するそれとは打って変わって「かわいそう」「彼もがんばっている」などと肯定的な言葉をかける。
いまの自分もつらいはずなのに、
困っているのは彼も自分も同じであるはずなのに、
彼に想像力をむけることなく、
あたかも自らも同じ力を手に入れたかのような口振りで、
権力者と〈ともに〉、弱いものに自己責任を迫る。
人が死んだとき、その人が「誰」かによってまったく反応が違う。
ひとは、ひとであるというただその一点で対等であるはずなのに、
いのちの重さはみな同じであるはずなのに、
批判と誹謗中傷があべこべに使われ、
言葉を武器にし凶器にし、平気で人を殺める。
特定の出自や属性や性別で人をくくり、弱者や少数者には自己責任や自助を押し付け、厳しい目を向ける。
そのくせ権力者には猜疑の目を向けるどころか全力で迎合し、しっぽを振る。
明日の弱者は自分かもしれないのに。
さらにひどいことには、いままで迎合され、祭り上げられていた権力者でさえも、その〈死〉は政治利用される。
この世のありとあらゆる尊厳が踏みにじられている。
こんな世の中に誰がしたのか。
誰ひとり幸せに出来ないこんな世の中に誰がしたのか。
いや、もともとこうだったのかな。
少しばかりの想像力があれば救われたいのちには目もくれず、
権力を持つ者、もっていた者には死してもなお忖度を繰り返す。
人は、こんなにも悲しむことができて、こんなにも怒ることができる。
やればできるじゃないか。できたじゃないか。
もっと早く悲しんでいれば、もっと早く怒ることができていれば、
こんなことは、あるいは起こらなかったかもしれないのに。
そんなことが多すぎる。本当に多すぎる。
みんな、弱音をはこうよ。
みんながみんなして、弱音をはける社会にしようよ。
もう、疲れたでしょう。おれも疲れたよ。
もう、やめようよ、こんなこと。
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