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最終面接に落ちた話
人生で数少ない体が地面に沈むほど落ち込んでいた時の話を書く。もう今となっては笑い話である。これは私が就活時代、とある企業の最終面接で落ちた話である。
大学3年の1月。就活に向けて取り組んでいた私はとりあえず大手に行きたかったし、早く終わらせたかった。今時の大手志望の就活生は6月から動き始める。今の就活生は早期化よりも長期化している。そして2年生ごろに就活で話すガクチカ(学生時代力を入れたこと)や自己PRを作っておく(経験しておく)必要がある。そうつまり、就活を意識しなければいけない期間が非常に長いのである。
まず今回最終面接で落ちた企業は名前を伏せるがNik○nというカメラの会社である。夏インターンに参加し、優秀だったらしく冬インターンには書類選考免除で呼ばれた。冬インターンはいろいろな場所から選ぶことができ、選んだのは生産管理であった。理由は楽しそうだったから。開催は東京とか思っていたら、仙台だった。驚いた。そのため、私は3泊4日仙台で過ごすことになった。確かその時にできた友達とセリ鍋を食べに行った。美味しかった。
そして、1次面接を突破し、次に最終面接。面接に臨む前に就活生の情報サイトを見て挑んだ。そこには採用の場合は「その場で言われる」とあった。そして面接が終わって何も言われずに面接は終了した。落ちた。初めて最終面接まで進んだ企業。あと一歩でその夢は潰えた。ショックでしばらく動けなかった。品川マークシティのベンチで、サラリーマンがひっきりなしに通っていくその中で、私は分かり易く頭を抱えながら下をずっと見ていた。多分、若い新品同様のスーツを着た人間が分かり易く絶望している光景は異質であっただろう。結局40分くらいその場に座っていた。また家に帰る途中に高校があったので途中下車をしてその高校近くの公園でも同じように下を見ていた。16時ごろの公園は学校が終わった小学生で賑わっていた。その中で若い新品同様のスーツを着た人間が分かり易く絶望していた。
しばらくはその会社の看板すら見たくなかった。冬インターンで行った仙台も軽くトラウマだった。家電洋品店に行けば黄色いマークが見えるたびに嫌な思いになったし北村匠海を見ても同じような気持ちになった。そして品川駅港南口にではめちゃくちゃでかい某社の看板がある。気づいたら品川という地がトラウマになっていた。
時は過ぎ今。そんなことがあったなぁというくらいまで落ち着いた。久しぶりに品川に訪れたら、その看板は無くなっていた。会社が西大井のあたりに移動したようだった。
おまけ 某社へのES
私は三方良しという言葉を大切に、貴社の新しい価値を創出していきたいです。
現在貴社は映像事業と精機事業の2軸で収益を確保していますが、戦略事業が伸びきっていない印象があります。そこでソリューション提供を強化し、顧客と共に新たな価値を創出し新たな軸を作ることが重要です。
そのためには、まずは顧客との信頼関係が大切だと考えます。私はサークルの代表を務める中で、信頼関係を大切に部員と様々なことに挑戦していきました。この信頼関係を大切に顧客に寄り添い、共に新しい価値の創造に取り組んでいきたいです。そして、インターンでは事業管路部の○○課長から「三方良し」という言葉を頂きました。この言葉を元に顧客との協力のもとで双方が前に向かって行くことはもちろんのこと、社会に対しても「人と機械が共創できる」という価値を提供することで貢献していきたいです。
積極性があり、人を幸せにすることが好きな私の力が一番活かせるのが営業職だと考えています。ただ貴社の掲げる「お客様の欲しいモノやコトをお客様にとって最適な方法で実現」は、自分一人での力では実現しません。そのためには両者の信頼関係のなかで先方に寄り添い、話を聞き出せるようになるということを大切に取り組んでいきたいです。
事業管理職はものづくりの根本、と考えます。実際に事業管理部でインターンに参加させて頂きました。そこでは社員の方々が部品調達や開発など各所が協力しながら部品等を完成させていくチームワークにものづくりに対する確かな誇りを感じました。その協力を大切にする姿勢をもとに貴社の目指す「人と機械が共創する社会」の根幹を担っていきたいです。