自分自身何者なのか

コロナに感染してから、周りの景色が少し変わった。

どうして、政府は?とか。
この体制では?
とか、

どちらかと言うと、
他人のことばかりだったのだろう。
前向きな、話じゃない!多分、愚痴としか
聞こえてあなかったのだろう。

学校の教壇を去ってから、
こんな世じゃとか、
若い人達自身の時代に
自分達がなんとかしなきゃって思わなきゃ
おかしいだろう?
なんて、偉そうなことを考えて、県会議員に立候補した。
多くの方が、時間も惜しまず、
沢山協力してくださった。
迷惑かけて、話だったと
今になって気がついた。

また、
新設高のPTA活動や
同窓会で
中心に
改革、改革と
反旗を翻す行動は、
周りにいた人たちを困らせていたに違いない。

年度末になると
確定申告の時期だと
忙しない気持ちであっても、
どうせ、なんとかなるさとたかをくくとていた。
ところが、

コロナに羅漢したことも、影響があっただけれど、
 自分自身が、世の中の優しさを知らなすぎていたことに気づいたことは、残り少ない人生だが、ものすごく得した気分になれたのだ。

 きっかけは、大江健三郎さんのご逝去に際して、彼の日常に興味をもったことである。
 恥ずかしながら、これまで、彼がノーベル文学賞を受賞されていることくらいしか知らなかった。
 ご家族のことなど、これっぽっちも知ろうとしない で、知ったかぶりをしていた偽善者にすぎなかった。
 
 もっと、物事をストレートに考えて、みられる人になりたいと、今更思いはじめている。


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