「さよなら絵梨」を読んでみた
※言わゆるネタバレありまくりです。
それから、あらすじ、ストーリーは書かないので原作をまずお読み下さい。
さてさて、今日は趣向を変えて漫画の話を。
初めてネットで漫画を読んだ。
印刷された紙で読みたい、と何度も思った。
それでも何故読んだかと言うと、前作の「ルックバック」を読んでいて、その時、この作家は天才だな、と思ったからだ。
場面の反復はグールドのようでもミニマルミュージックのようでもあって、漫画表現にこう言うのが出て来ることに斬新さをこえた感動があった。
そこにセンスを感じた。
「さよなら絵梨」は作品論、芸術論であり、人生論である。何故なら、僕らはみんな作品を作る様に生きている。生きていることは、絶えずこの世界を作品として完成させようとしている様なものだから。
では作品を作るってどう言うことか、と言うとそれは実像を虚構として完成させること。虚構の中に実像を宿すこと。虚構でしか掘り起こせない真実を浮かび上がらせること。
だからこの作品に僕はいつも言う場と同質のものを見た。例えばたった1人のその人の中のエッセンスを美として作品に抽出すること。1枚の絵は何処までも綺麗でそこに人は感動する。引き出すと言う使命を持った人間はそこを答えとする。でもその人はひたすら美しいものを創れたとして、その人自身には苦しみも悲しみも、汚いものも沢山ある中で、出来あがった美しい作品がその人の全てと言い切れるのだろうか?答えはイエスだ。何故か、それが作品論とも言えるこの漫画にも描かれている。
ゆうたは何故母親の、そして絵梨の美しいところだけを切り取り再構成したのか。それを美として完成させ続けたのか。
生きていることは作品を完成させていくことと同じだと書いた。これは抽象的な意味でも例えでもない。
僕らの生きている現実とは、僕らが切り取り再構成した、し続けているものに他ならない。
人は絶えず現実を作り続けている。解釈し再構成し続けている。その絶えざる連続がこの世界だ。
携帯と言うカメラを与えられたゆうたが、レンズを通して見つめ、編集した作品としてのこの世界。
絵梨が出来上がった作品を見たかったと言ったとき、ゆうたは編集し続けているからいつでも見られる、と答えている。そうだ。編集は絶えず続いている。
だからこそ、絵梨はゆうたの酷評された作品の魅力を、何処までが作られた作品で何処までが現実なのか分からないところ、と言っている。
虚にして実、実にして虚。それがこの世界だ。
僕らが生き続けると言うことは編集し続ける、再構成し続けていると言うこと。
だからいつでも何処までがどっちかなんて区切ることは出来ない。
そこで一歩踏み込む。さてどんな作品が創りたいのか、と。それは取りも直さず、どんな風に生きたいのかと言うこと。何を見たいのかと言うこと。
解釈し、編集し、再構成する。それが生きていること。そこでどんな現実を創って行くのか。どんな作品を仕上げるのか。
母は確かに現実では綺麗なだけの存在ではなかった。
虐待とも言える振る舞いをしていた。でも、それが現実の全てではない。ゆうたが再構成した映像作品にしかない真実もある。何処までが作品で何処までが現実なのか、と言ったらこれは両方が現実であり、両方が作品なのだと言える。
思い出す過去は選べる、と言う言葉は限りなく深い。
それはもっと言うなら過去ばかりではなく、現在さえも。編集を続いている、とはそう言うこと。
綺麗な姿だけを取り続けるゆうたは、汚いものとか現実から目を逸らし、見たくないものを見なかったのではない。逆だ。良く見て、その奥にある真実を取り出した。再構成とは現実の奥にある美を掘り起こす作業だ。全ての真実がそのまま表に現れている訳ではない。感じ取ることによって初めて見えてくる真実がある。
美は醜の反対にあるのもでなく、その奥にあるものだ、と言っても良い。
だからゆうたが創った映像作品こそが本当の現実だとさえ言える。
目を凝らして奥底を見つめたのだから。
この重層的な作品は一体何処から語られているのだろうか、編集のどの段階なのだろうか。いや、今現在も編集は続いていることが暗示されているのだろう。
絵梨の友達が語った言葉によれば、普段の絵梨は眼鏡をかけて居たそうなので、そうなるとゆうたとの最初の出会いのシーンからして、既にゆうたの編集済みの作品だった訳で、そうすると一体、ゆうたと絵梨はいつ何処で出会ったのだろう。
ラストシーンでまた建物が爆破され、ゆうたは走っている。これはこのまま客席が映し出され、最初のシーンに戻ってしまいそうだ。
絵梨が言ったように、何処までが作品で何処までが現実なのか、分からない。
こうなると切りが無い。
でも、一つだけ言えることは、ゆうたの母や絵梨に対する愛は本物だと言うこと。
この世界に対する愛は本物だと言うこと。
だから僕もゆうたの創る映画が好きだ。
それは美しい。それは世界への愛に溢れている。