失われた20年じゃなくて、言い訳し続けた20年
我が家にインターネットがやってきたのは1996年、ポケモンが大流行した年。ネットにある裏技を調べて試して友だちに伝えるのが楽しかった。
「IT革命」が流行語になった2000年、僕は小学6年生。
その時にはPC教室ができて、学校の教室に1台PCが設置されるようになったけ。
2003年にはYahooBBでネット接続できてマイクロソフトコースある高校に入学。
2004年ぐらいにマクロミルとかで貯まったポイントを換金するためにイーバンク銀行の口座を開設(ネット銀行の口座を開設するために三井住友銀行の口座も開設)
2006年はインドネシアの友だちとMSNメッセンジャーでメッセしたり、Skypeしたり、あと念願のmixiデビュー
2007年は、フィンランドに行った時にFacebookを教えてもらいスタート
ふと自分とインターネットについて思い出したのは、以下の2つの記事を読んだからだ。
1年で行政デジタル化 「失われた20年」繰り返す懸念
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61298100Y0A700C2EA2000/
書面・ハンコ・対面削減へ共同宣言 政府・経済4団体
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61304550Y0A700C2PP8000/
e-Japan戦略は2001年に定められていて2003年度中に電子政府を目指していたという。
この事実を知った時に、すごく反省しました、自分に。
学生団体の時から助成金の申請や後援申請、営業で電話や書類の提出をしていたのですが、大人の世界は仕方ないとどこかで割り切っていたことを。
社会人になって、契約関係の業務につくことになって勉強してたら押印自体に何も法的な根拠がないことを知ったのだけども、そういうルールだから仕方ないと思っていたことを。
ビジネスの商慣習や慣行だから仕方ないと、どこかで諦め自分自身に言い訳をし続けたわけです。
ハンコ世代を打ち負かすほどの力がなかった自分も悔しい。
商慣習とか慣行というのはそれらしく聞こえるけど、「慣れ」であり「変わらなくて良いという甘え」ですよね。
失われた20年などいいますが、「こういうもんだから仕方ない」と言い訳し続けただけの20年だったなと。
失われたわけじゃなくて、同じ地点に止まり続けたので後退しているように見えるだけなんでしょう。
少なくともテレビ会議をするクラウドで情報共有するって10年前の大学生でもそもそもやってましたし。
未曾有の被害といわれた東日本大震災後にはテレワークの機運が高まったものの浸透するまでには至らず。
東北の知り合いの会社は、震災がきっかけでクラウド導入に踏み切った方が多かったけども、国全体として「紙」で保管し続けることのリスクの話はそこまで出ていなかったかも。
被災してハンコも流されて、印鑑の需要が急増したとの記事も・・。
生活再建へ印鑑の需要急増 釜石で被災の職人も再起
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106140238.html
新型コロナウイルスの影響は同じタイミングで長期間に日本全国に及んでいるというのが今回機運を高めている要因でしょうが、こういうタイミングや切迫感がないと「慣行」というものは大きく変わらなものなのか?と感じるところはあるが、
自然とスマホをつかってYouTubeも視聴できる姪っ子世代が気持ちよく働けるよう頑張っていこう。