なぜ日本語を大切にしないのか
自覚はしていないのだろうけれど、やたらとカタカナ語が増えている昨今。
なぜ、私たちが持っている日本語を大切にしないのか不思議です。
先日、デパートの中のアナウンス。
「エスカレーターにおのりになる時はハンドレールにおつかまりください」
なぜ、「手すり」ではいけないのですか?
大体、ハンドレールの発音は日本語ですし。
いわゆる外来語というのがカタカナになって表記されてきましたが、最近では日本語があるのにそれを無視してわざわざ英語とは思えないカタカナ語の氾濫には目を覆うものがあります。
英語になれるため、という大義名分もあるのでしょう。
しかし、日本語のハンドレールではおそらく外国人には通じません。
百歩譲って「聞いたことがある」と思えるのは英語の習い始めの生徒さんたちには少しは良いとしてもそれを使えなかったら困ります。
最近はもう慣れましたが、ハザードマップ、という言葉。これだって、この地図を作る目的は災害から身を守るためなのですから、日本人の誰にでも理解できる日本語で表記するべきではなかったか、と思いました。
趣旨は何で、誰のための表現であるかを、考えないと本当に日本語が衰え、それと同時に日本人の言語能力が落ち、ひいては英語を学ぶ力が低下につながると、危惧しています。