「オオカミの家」の感想考察~前提知識ありとなしでは全く見方が違う映画~
前フリ
オオカミの家を観てきましたー。
http://www.zaziefilms.com/lacasalobo/
この映画はXで予告を観ていて前々から気になっていました。
美術の授業で観るようなアーテスティックな、ヤンシュヴァイクマイエルのような雰囲気、絶対観ておきたい。
北海道では期間限定で、しかもいつも行くようなシネマフロンティアやファクトリーではやっていない。
シアターキノ…とは??といった感じでしたが、何事も挑戦のこの頃、平日木曜の夜という日程で観てきましたー。(公開初日は土曜ということもあってか売り切れで観られなかった…)次の日は眠気でしんでました。
元となった出来事を知っているか知らないかで解像度がかなり違う
前提知識ほぼなしのまっさらな状態で観たのですが、なかなかグロテスクというか陰鬱というか、閉鎖的な雰囲気の中で繰り広げられる幼稚な悪夢の世界って感じでしたね。
ちょっとRule Of Roseなんかも思いだした。(今やプレミア化しているPS2の雰囲気世界観抜群のホラーゲーム)
コロニー、はちみつ、マリア、二匹の豚(アナとペドロ)、そしてオオカミ。
それぞれ何かのメタファーなんだろうことはわかるけれど、いったい何の話なのかがまるで分からない。
ただ、手の込んだアニメーションの芸術点の高さだけでも楽しめる。
その分からなさを楽しんだ後に、調べてみると、どうやらこのアニメーションの題材となった出来事があったようだとわかりました。
ナチズムの影響を受けた「コロニア・ディグニダ」が元になっている
これを読めばだいたい把握できました
政権に犯された少年たち 連載第1回|小児性犯罪者のユートピア、南米チリの宗教コミューン「コロニア・ディグニダ」事件|エスクァイア日本版(全6回)
ドキュメンタリーがNetflixにあった
エマ・ワトソン主演の映画「コロニア」も、コロニア・ディグニダを題材にしている。
公開できるギリギリのところまで忠実に再現されているらしい。
コロニアの監督へのインタビュー記事が衝撃的だった↓
レイプと虐待が繰り返されたベッドで眠ることを、両親は誇りに思っているんです
自分なりの解釈
おおよそのメタファーを自分の解釈でまとめてみた
・コロニー
→コロニア・ディグニダ
・オオカミ
→コロニアの指導者・支配者(コロニアの創始者パウル・シェーファー?)
・マリア
→コロニアからの脱走者
・2匹の豚(アナとペドロ)
→コロニアで産まれた姉弟。
・家の中
→コロニアの影響のない外の世界
・蜂蜜
→教育
こんな感じかなと。
あくまで私の解釈ですが、そう考えて一見おとぎ話風に見えるストーリーをまとめると、次のようになりました。
だいたいのストーリーの解釈
コロニア出身のマリアはある時脱走して、コロニアの法の及ばない家の中に逃げ込んだ。
家の中は平和だけど外にはオオカミがいるから出てはいけない。
そこでは2匹の豚も一緒。豚は蜂蜜を舐めると賢くなっていき、外見も美しくなり、人間のようになる。
2匹の豚のアナとペドロは、動物同様の知性しかない、産まれた時からコロニアにいた最小限の教育を受ける前の子どもの象徴なのかなと。
(どの思想にも染まっていない状態)
蜂蜜(教育)を摂取することで、人間らしくなり、そしてその教育(マリアの思想・外には行ってはいけないなど)に染まってしまう。
ここで思うのは、マリアの思想というのは、結局コロニアでの思想と似ているんですよね。
3人にとっては理想郷でコロニアよりは良い場所だったのかもしれないけど。結局はコロニアの思想からは逃げられていない。
支配者がオオカミのコロニー→支配者がマリアの家の中、と変わっただけで支配者にとっての都合の良い教育を施されて支配されるという状況・閉じ込められて自由のきかない状況というのは、変わっていない。
それは現実でドイツからチリに亡命したパウルにも言えることでもあると思う。
ナチズムに染まった教育を受けたパウルがチリへ亡命し、その先でアウシュビッツ収容所の亜種であるコロニア・ディグニダを作り上げる。
そしてその思想をコロニアに収容された子どもたちにその思想、ナチズムに染まった環境を与える。
マリアは自分の理想郷である家で3人で平和に暮らしていたが、徐々に食糧難によって飢えてきてしまう。
家の中の平和が崩れ始める。
そこでマリアはあんなに窮屈に思っていたコロニーを懐かしく思い始めた。
マリアは自分でコロニーから逃げ出したのに、結局食糧難を苦にしてオオカミの支配するコロニーへ戻ってしまう。
オオカミ(支配者)の言ったとおりに。
メリーバッドエンドとはこのことか
私的にはオオカミの家はメリバだなーと。
マリアは、自分の受けた教育が窮屈でコロニーを逃げだしたのに、結局自分からコロニーへ戻って行ってしまう。
マリアは自分でそれを良いと思ったんだし食糧難からは逃れられたんだろうけど。
最初にオオカミに言われていた通り。オオカミの呼ぶ「マリアァ~」という響き(なんとも言えずねちっこくて気持ち悪い)が、まるで呪いのように思いだされる。ああキモチワルイ。
映画コロニアの記事で、協力者のインタビューが衝撃的だったのですが、まさにこの部分の狂気をオオカミの家は表現していると思う。
虐待を受けている人って、それでも虐待している相手を好きだったりしますよね。「お前のためを思って」とかを真に受ける。
虐待を受けたことを、本人は虐待だと思ってないし、むしろ虐待した相手を慕っていたりする。洗脳されている。自分のされたことを正当化するために、多分それで自分が傷つくのを避けているからかもしれないけど。
認知的不協和ともいったような…(曖昧)。
ほんとうに狭いコミュニティでの思想って恐ろしいなと思います。
まとめ
結局人は支配から逃れられないのか?
兎に角、色んな人に観てほしい映画だなと思いました。同時上映の「骨」もメタファーがあって不気味で良かった。
まとめタイトルも入れましたが、結局幼少期に自分が受けた教育・思想の影響って大きくて、それから逃れるのは尋常ではなく大変なことだと思います。
幼いころからそれしか知らないと、それが当たり前になる。
洗脳から逃れるのってすごく大変。
オオカミの家では、一種の洗脳からマリアは逃れられなかったし、ナチズムの恐ろしさもメタファーになっていましたが、このコロニア・ディグニダの出来事を知らずに観たとしても「わけがわからないけど、すごい!」とは思えると思うので、前提知識ないひとでも芸術的なものに興味があればぜひ…。
ちなみに私は前提知識なしで行って、芸術感とメタファーが気になって調べ、ナチスドイツの歴史にまでたどり着いたことで解像度がめっちゃくちゃ上がりました。
なので、やっぱり後からでも良いのでコロニア・ディグニダという場所があったことは知っておいて良いんじゃないかと思いました。
最後に、私の好きなPS2時代のゲーム、Rule Of Roseのセリフで締めます。
なんとなく似ているところがあるような気がするので気になる方はぜひ(原作はプレミア価格だけど、プレイ動画はあるはず)
ではでは。