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20年ぶりに十二国記シリーズ2作目「風の海 迷宮の岸」を読んだ感想
※ネタバレあり
前回の感想記事。よろしければどうぞ。
誰もが泰麒にやさしいモラトリアムな巻
今回原作を20年振りに読んでみて、特に記憶の中の印象と違いはなかった。
泰麒は昔読んだ通りひたむきで可愛いし、女仙や汕子は優しいし、誰もが泰麒に親切にしてくれるという、前作の陽子とは対極のような扱い。
今作1番の安心できるポイントは、前作とは違って意図的に主人公に悪意を向ける人物がほぼいないことだと思う。(蓬莱での回想は少し辛いけど)
泰麒は、胎果の時点で蓬莱へ流されたり、転変や使令を扱えなかったり、偽王を選んでしまったのかと苦悩したりはするので、運命に翻弄されている感じはあるけど、それが誰かの悪意のせいではないので読んでいて嫌な感じがしない。
そして泰国については、その後の方が波瀾万丈な物語が待ち受けているのでそれと比較するとこの巻は本当に安心して読める。
この巻は泰麒のモラトリアムだなあと思った。
今回は、特にキャラクターや場面で気に入ったところの感想を書いていこうと思う。それではいってみよー。
不器用な優しさを持つ景麒
前作では序盤と最後にしか登場せず、表情に乏しそうな神秘的な印象があった景麒。
今作での景麒は、泰麒のお兄さん的存在として登場して、不器用ながらも泰麒に麒麟の先輩としてさまざまなことをレクチャーしてくれる。
最初は憮然とした無愛想な印象の景麒だけど、すぐに泰麒に優しくなる。
理由は「女仙たちに泰麒をいじめるなと責められたから」笑
だけど景麒も優しくないわけではなくて、小さな麒麟を相手にどうして良いのかわからなかったようでそこが何というか面白いというか可愛らしくもある(可愛いキャラではないだろうけど)。
変わった麒麟だと思う。
麒麟であることは間違いないのだが、鬣の色が違うのでいま一つ違和感を拭えない。
違和感の元はほかにもある。景麒は子供に慣れていないのだ。小さな身体も細い手足も、別の生き物のようで馴染めない。
特にいまのように肩を落として丸くなっていると、何やら胸の中がさわさわとして、落ち着かない気分にさせられた。
景麒から見た初対面の泰麒。
他にも「女仙がしていたように抱き寄せると、景麒にしがみついてくる。悲しんでいるのだから哀れに思って当然なのに、温かいのが愛しい気がする。撫でてやると、いっそう強くしがみついてきた。」(本文引用)とあるように泰麒に対して庇護欲を感じているらしくてそれがあの仏頂面なイメージの景麒がだから、こっちとしては面白くなってしまう笑
泰麒と外見年齢が近そうなのは六太だけど、歳でいえば泰麒と一番近いのは景麒なんだよね。あれで末から2番目というのは面白すぎる笑
記憶にあるアニメとの違い 景麒の優しさ
気になったところは、アニメで景麒が泰麒と出会ったことで他人に対して優しさを示せるようになったことに「私がそうすることで前王は道を踏み外すことに繋がったかもしれないが、それでも泰麒には大切なことを教えてもらったと思っている」というフォローが入っていたこと。
原作ではこの文言がなく、ただ下記の引用のように書かれている。不穏な感を感じる。
ーー女仙はもちろん、玉葉でさえ予想はできなかった。
景麒が示す不器用な優しさこそが、景王舒覚に道を踏み外させることを。
しかし、これはまた別の物語である。
それでも景麒にとって優しさを示せる能力は必要だったと思う、でないと別の問題が起こっただろうし、別の理由で舒覚は天啓を失ってしまったはず。
ただ、前作でも「優しいだけでは国を乱れさせる」と書かれたようにそれだけでは足りなかったのだなあと。
不確定要素の多い泰麒
この巻は、その後起こる戴国での諸々や魔性の子の前哨戦となっている。
そのためもあるのか、泰麒には不確定要素や不安定な部分が多い。
例えば、最初は麒麟としての能力の転変や使令を扱うことができなかったりすることや、饕餮を使令に下す力を持っているのに常時は覇気がなく弱々しかったり。
「あれほどの力をお持ちにしては、覇気が薄い。御自分に自信がおありでないのか、それともほかに理由があるのか・・・・・・。いずれにしても、今後の御成長が楽しみなような、不安なような」
「心配には及びませんとも」
「そうであらせられればよいか。・・・・これを言うのは泰国の民としては許されぬことやもしれないが、できるだけ長く蓬山におられたほうが公御自身のためであろう」
驍宗も言っていた通り泰麒はこれから成長しなくては先がないような、そんな不穏な前フリが書かれている。
汕子から見た泰麒も、覇気が薄く酷く自分を軽んじる傾向があるというもので、能力があるのにそれを活かせていないことが読み取れる。
だから、シリーズ今後の展開が楽しみでもあるし不穏だなあとも思う。
驍宗はMBTIでいうと圧倒的ENTJ
驍宗は味方としては心強く敵に回すと恐ろしい、でもその人なりの優しさも持ち合わせていて、人を見る目があるところが本当に軍師という感じがしてカッコ良い。
特に泰麒が饕餮を使令にする場面、驍宗が無事だとわかることで泰麒の気が緩むことを考え、怪我で動けないふりをする場面は「軍師だ…!」と思った。
MBTIで言うとENTJ(指揮官)でしかないような。
少し脱線してMBTIの話になりますが、現実でもENTJの上司や人に出会うことがあるんだけど、本当に強くて論理的で人を率いる力があって尊敬できる。
ただ、他人の緻密さや繊細さが本質的に理解できないところ、情に流されずに相手に指示を出すことがあるので人の不興を買うのだけど。
何となく驍宗も同じな気がする。
ENTJの優しさって理解されにくいですよね。
驍宗は自分を恐れているように見える泰麒と話したり、偽りの王を選んでしまったと思っている泰麒に敢えて休む時間を与えたり景麒といられるように配慮したりしていて、泰麒がまだ10歳そこらであることや気弱な気質を理解して気を使ってくれている。
でも現実のENTJの人と照らし合わせてみても同じだけど、気遣いがあまりその人自身の求めているところでなかったり、気遣いをごり押ししてくることがあってなかなか伝わらないなあと。
ただ、驍宗の描写は今のところ悉くENTJらしくて本質からして軍師に違いないなあ…と思ったのでした。
泰麒と驍宗
驍宗と泰麒は凸凹コンビというか、真逆な気質を持っていると思う。
「お前一人でやるんじゃねえぞ。何のために麒麟がいるんだ。天が麒麟を王にしなかったのはなぜだ。お前は自分を醜いと言う。浅ましいと言う。自分で言うんならそうなんだろうさ。だがな、景麒がお前を選んだ以上、景麒にはお前の醜さや浅ましさが必要なんだ」
「そんなこと」
「足したらちょうど良くなるんだろうさ。お前だけでも足りねえ、景麒だけでも足りねえ。だから王と麒麟と、二つで生きるように作られてるんじゃねえのかい。麒麟もいわば半獣だ。半獣の陽子と、半獣の麒麟と、それでちょうどいいんだろうさ。きっと延王と延麒もそうなんだと思う」
前作での楽俊と陽子の会話。
泰麒の自己肯定感のなさは、蓬莱で家や学校で居場所が無かったり、母親を悲しませてばかりいたことなんかも原因だし、その他にも気質が優しすぎるのだと思う。ただ激しいところのある驍宗と足して丁度良くなるというのでは、それも納得である。
戴国の民は気性が激しいという話があるけど、泰麒は真逆だ。
李斎と泰麒では優しすぎるし、国を治める王という感じはしない。
おそらく戴国の登場人物については、シリーズ最新作で詳しく書かれるだろうと思うので、あとの楽しみにとっておこうと思う。
今回は泰麒のモラトリアムな巻だった。
おしまい。
関連図書&今後買う予定のものたち
原作本。少しずつ新潮文庫の方で買い足していくぞー。
ある程度シリーズを読んだら読む予定のガイドブック。
山田章博のイラストが好きで小さい頃ホワイトハート文庫の方を買っていたくらいなので、画集も欲しくなってくる…。
十二国記の原作が面白すぎて購買欲を押さえきれるかどうか今後の課題だ。
2025年の12月31日にオーディオブックが配信されるらしい!
1年近く後だけど、聴いてみたいなあ。
↑2か月間99円で体験できる。これが年末まであればなあ。。2月4日までだそうな。
今後増えてゆく予定の十二国記関連記事
ではでは。
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