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ファンシーショップ「トント」の思い出2 懐かしのキャラクター、雑貨に囲まれた店
おもちゃ屋「さくらトイス」を経営する父の元に生まれた私は、短大を卒業すると、「さくらトイス」のファンシーショップ部門を担当することになりました。それと並行して、さくらトイスとは別会社として私が社長を務めたのが、ファンシーショップTONT(トント)です。
今回はTONTのお話、二回目です。
さまざまなメーカーからの売り込み
1977(昭和52)年4月、田無駅前ポポロショッピングセンター1Fに、ファンシーショップTONT(トント)の二つ目のお店がオープンしました。
最初の店は八王子ダイエー店で、さくらトイスのベテラン女子社員が店長でしたが、田無店では私が店長です。
オープンの品揃えはファンシー文具、インテリア雑貨、ぬいぐるみなどアイテム数が少なかったのですが、店を開くと売り込みに来る業者が増え、取引会社が増えました。
そんな会社のいくつかを書いてみます。
◆株式会社ハニー
バラ売りキャンディを持ち込んでくれました。ハニーも初めてばら売りキャンディを展開しようとしていたところでした。
でも、10坪しかないうちの店ではハニーの提案什器では大きすぎて出来ません。そういったら、店に合わせた小ぶりの什器を作ってくれました。
商品は、1個10円の飴やチョコです。おしゃれな包み紙で包まれていて、売り上げは細かいですが、良く売れました。
お菓子を扱うことで、後にバレンタインやホワイトデーに繋がり、店で大々的に展開ができました。
◆井田両国堂
井田両国堂が持ってきたのは「LOVE」というブランドでした。トントでは、お化粧に興味を持ちだしたティーンエイジャーを対象にした基礎化粧品や初心者用のメイクアップ用品をおきました。
◆スタジオクリップ
布製品のポーチやバッグ、エプロン等おしゃれなオリジナル商品を展開。今はアストリア傘下で全国に小売店を展開していますが、創業当時は2人で始めた小さな会社で、毎回前橋から商品を運んできてくれました。
◆ソニーCP(ソニークリエイティブ)
ソニーのキャラクター文具は始めCBSソニーレコードで発売していました。問屋さんを通して仕入れをしていましたので、市ヶ谷にあった黒いビル、CBSソニーレコードへ新商品を見に行くこともありました。
しばらくしてCBSソニーから別会社ソニークリエイティブが出来、直接取引を始めました。
ソニクリの当初の社員の中には、「レコードの販売をしたかったのにファンシー文具に回されて・・・」と文句を言う人もいました。同じくらいの年齢の私が相手だったので、つい本音が出たのでしょうね。
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◆コージー本舗
つけまつげを始めて商品化したのが、コージー本舗です。
昭和51年、イラストレーターの原田治氏のキャラクターグッズを作り、OSAMU GOOS の取り扱いを始めて、評判を呼びました。
浮き輪や腕時計、手袋などさまざま扱うお店に
トントではその他、1980円均一の腕時計や、マジソンバッグ、ハンカチ、傘、3足1000円の靴下、夏には大型浮き輪、冬には手袋・マフラーなどありとあらゆるカテゴリーの商品を揃えました。
たった10坪の小さな店なのに、売り込みに来る会社は大手ばかりでびっくりしました。
もちろん各社が提案してくる品数は多くて、全部は無理です。それぞれ店に合ったものしか仕入れませんでした。
それでも皆さんせっせと店に通って新商品の売り込みに来てくれました。
私も若く、お店に来てくれるお客様と同じ目線で仕入れが出来たのだと思います。商品を並べるとすぐに売れていきました。
カテゴリーを増やしていく毎に面白いように売り上げが上がっていきました。
トントを有名にしてくれた、弾けるキャンディー「ポップロック」
店の知名度を上げてくれたキャンディがあります。
アメリカの「ポップロック」というお菓子で、口の中に入れるとパンパンはじけます。後に日本で「ドンパッチ」という名で似たお菓子が発売されました。
さくらトイスでは昔から付き合いのある、ぬいぐるみをメインとした問屋さん「つるや人形研究所」がファンシー雑貨を扱うようになり、トントにも納品するようになりました。
担当者が「アメリカの輸入品でこんな物が入ってきました。食べてみてください。」と紹介してくれたのが、ポップロックでした。食べてみた私は、即気に入りました。これは売れると思い、「今持っている数全部下さい」と、仕入れました。
1個150円で、店ではすぐに完売しました。
急いで問屋に電話して、「次回入ったら全部下さい」と言いました。
私の目利きは当たり、学生たちの間でドンドン広まって、他のファンシーショップでも売り始めました。
田無は小さな町なので、みんな新宿や吉祥寺へポップロックを買いに出かけますが、商品が売り切れ。でも、「帰りがけに駅前のトントで売っていた!」と、お客様の間で評判になりました。
もちろん初めに売れると確信して仕入れをしていたので、商品は沢山確保していました。ポップロックのお陰で、田無トントは有名になりました。
思い出のキャラクター「タイニーキャンディ」
私にとって思い出の商品は、ビクトリアファンシーから発売された「タイニーキャンディ」と言うキャラクター文具です。麦わら帽子を被った可愛い女の子のイラストです。色合いもソフトでとっても気に入り、店でも良く売れました。
ビクトリアファンシーの方が作家さんに合わせて下さると言うので、成城まで会いにいきました。どんな方だろうとドキドキしながらお会いしたら、クマさんのような方でした。
私が「初めまして」とご挨拶したら、相手はビックリしたように「さくらトイスのお嬢さん!」と言うのです。私もびっくりしました。
小田さんは以前ぬいぐるみ屋さんに勤めていて、さくらトイスのサンシャインアルパ店のオープン手伝いをしてくださり、その時に私も手伝っていたのを覚えていて下さっていたそうです。
小田さんはイラストレーターで、他にアップリケをあしらった手作り風のオリジナル布小物も作って販売していました。成城に「ジャングルジム」と言うお店を出していて、卸もしていたので、その後取引をしました。
その他、アメリカンPOP調の絵を描いたイラストレーター鈴木英人氏や、自然の風景画で知られる葉祥明氏の文具も良く売れたと記憶しています。
サンエックスも問屋を通して仕入れしていて、直接の取引はなかったのですが、毎月熱心に営業さんが来て新商品を紹介してくれました。当時はまだ「リラックマ」「たれぱんだ」はなく、初期のキャラクターだったと思います。
当時、トントのキャラクターを使ったオリジナル商品も作りました。
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こちらは販売目的ではなく会員のスタンプ景品に使用したり、お得意様の販促品に使いました。
小さな店ですが、新しい商品をドンドン取り入れました。
ファンシーショップなのでカテゴリーに縛られず、自分が売りたいと思うものを店に並べていったので、品数は広がり店には商品が溢れていました。
思い出していると、懐かしいですね!
昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋・ファンシーショップの思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!
また「さくらトイス」「トント」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。
編集協力:小窓舎