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ファンシーショップ「トント」の思い出1 八王子店・田無ポポロ店オープン

父が昭和27(1952)年に創業したおもちゃ屋の、二代目社長を務めた私ですが、実は、おもちゃ屋にはなりたくないと思っていました。 
そんな私が短大卒業後に父の会社に入り、最初に担当したのがファンシーショップです。 
今では「雑貨屋」と言われることが多いですが、小学生~大学生くらいまでの女性をターゲットにした、かわいい小物を集めたお店です。 
このファンシーショップは初めて手掛けた仕事ということもあり、懐かしい思い出がたくさんあります。 
今回から何回かに分けて、1970年代後半ごろから私が手掛けていたファンシーショップの思い出を書いてみます。 


本当は舞台女優になりたかったけれど・・・ 

父が昭和27(1952)年に原宿で始めたおもちゃ屋「さくらトイス」は、昭和50年頃、スーパーやショッピングセンター内に出店し、順調に店舗を増やしていました。 
 
でも、長女である私は、本当は私は舞台女優になりたかったのです。 
中学を卒業する時に宝塚に入りたいと親に言ったら反対されました。 
そこで高校へ行き、大学は演劇科のある学校を選びました。桐朋学園短期大学部演劇科です。 
親は私に会社を継がせたかったので、 
「2年間だけ好きな演劇をやらせるから、後は会社を継げ」と言われました。 
 
大学時代はとても楽しい2年間でした。  
卒業しても未練がありましたので、それを察した父はすぐに、さくらトイスの本部に入れました。  
  
私が「おもちゃ屋はやりたくない」と言ったので「ファンシーショップはどうだ」と言われました。 
私は「ファンシーショップならやってもいいよ」と言いました。 
まずはさくらトイス八王子ダイエー店の隣に10坪の空きスペースが出来たので、その場所で始めることが決まりました。 
昭和51(1976年)のことです。  

お店の名前は、映画に登場する猫から 

父に「店名を考えろ」と言われました。 
どう考えたらいいの?と質問したら、「2文字か3文字で親しみやすい名前がいい。」と父がいいました。 
その時付き合っていた主人に何かないかと相談したら、「トント」はどうだと言われました。何か意味があるのと聞いたら「ハリーとトント」という、おじいさんと猫がアメリカ横断する物語の映画があり、その猫の名前が「トント」と言う事でした。  
  
ちょうど、サンリオのハローキティが流行り出した頃で、猫の名前か…いいかな!と思いトントに決めました。ローマ字では「TONT」とOを抜かして、お店のロゴマークにしました。 その後、主人の芸大出の知り合いに、店のマスコットとして猫のイラストも描いてもらいました。  
  
品揃えはサンリオの商品を中心に、ファンシー雑貨を扱っている取引先の問屋さんがやってくれました。  
トント八王子店の店長は、さくらトイスのベテラン女子社員の中から父が選びました。私は彼女の下で店長補佐をしてお店に立ちました。  

「田無ポポロ店」を店長として立ち上げる

翌年、西武新宿線・田無駅前のポポロショッピングセンターの1階入口エスカレーター脇に10坪でファンシーショップトント田無店をオープンしました。  
ポポロショッピングセンターのデベロッパーからは、1階はファンシーショップで2階にはさくらトイスのおもちゃ屋で出店をして欲しいとの依頼がありましたが、父は2階のおもちゃ屋は売上が難しいとの判断で、トントだけの出店となりました。 今度は私が店長です。 
  
八王子店はサンリオ商品を中心として文具・雑貨を揃えましたが、田無店は3軒隣の西友の中と、駅向こうの本屋さんの中にサンリオコーナーがあるという理由で断られました。  
サンリオ無しでどう品揃えを組み立てようかと思っていたら、学習研究社が玩具を扱う別会社「学研トイホビー」に加えて、新しい別会社で文具・ファンシー製品などの販売を始めると聞いたので、㈱ビクトリアファンシー販売と取引を始めました。  
  
その他、ファンシー雑貨を専門に扱っているマリモクラフト、ぬいぐるみや雑貨を扱っているツルヤ人形研究所の3社の取引先をメインに品ぞろえをして田無トントをオープンしました。  

おもちゃとファンシー雑貨の陳列は違う?! 

八王子トントではサンリオ商品が多かったので気が付かなかったのですが、田無トントではオープンの陳列に違和感を覚えました。 
何が違うか考えたら、「箱陳列」でした。おもちゃ屋は昔は普通、箱のまま売り場に陳列をします。 
さくらトイス各店の店長がオープンの手伝いに来てくれたので、おもちゃと同じように箱のままの陳列をしていたのです。
それに気が付き、箱から商品を出す「オープン陳列」にし、やっと思い描いていた店の雰囲気が出来ました。  
 
店は好きで小学校の頃から暇な時はお店に立っていましたので、品出しとかレジとか接客は慣れていましたが、仕入をしたことがありません。  
初めて自分の責任で、店の品物を選ばなくてはなりません。どう品物を選んだら良いか分からず父に聞いたら「お客様が喜ぶ商品を見つけて並べればいいんだよ。」と言われました。 
お客様は自分より少し年下の少女達なので、「自分が気に入ったものを並べればいいんだ」と考え、ヒントを見つけた思いでした。  
  
店の内装は専門家に任せ、入口はリンゴの切り抜きにしました。リンゴの葉っぱに店名の「TONT」を入れました。側面の壁には時計の模様を入れ、文字盤は半透明にしました。周りはリンゴの赤色で店を囲みました。  

リンゴの形の入り口。看板は葉っぱの形です
傘のラックの左側に、時計の文字盤を模した窓があります

いよいよ自分の店のオープンです。昭和52(1977)年、22歳になる年の春でした。  

なお、この頃のおもちゃ屋「さくらトイス」のお話は、こちらの記事に書いています。ご興味がありましたらご覧ください。


昭和27年から平成19年までの55年間、東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の各地に34店舗を構えていたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋・ファンシーショップの思い出話、懐かしいおもちゃのことをつづっていきます。毎月11日に公開予定ですので、続きをお楽しみに!
また「さくらトイス」「トント」のことを覚えている方、ぜひコメントをくださいね。

編集協力:小窓舎

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