性格類型論と四気質説
性格類型論は古代ギリシア・ローマの時代から四気質説(四体液説)がある。四気質説(四体液説)は、血液・粘液(リンパ液)・胆汁・黒胆汁を原因として性格が決まる説である。すなわち、多血質・粘液質・胆汁質・黒胆汁質の4つの性格分類を行う説である。
もちろん、それぞれの体液の生理的作用にそんな作用があるわけがないので、嘘っぱちである。とはいえ、四気質説(四体液説)の「黒胆汁」に関してそもそも対応する実際の体液が無いという点から、四気質説(四体液説)の各体液は実際の体液を指しているのではなく、4種類の心的エネルギーを「血液・粘液・胆汁・黒胆汁」との名称で呼んでいるに過ぎないという解釈も可能だ。
現代の日本語において「血気盛んな人物」「血の気が多い」という表現があるが、この表現における「血気」「血の気」が実際の血液を指していると解釈する人間はいないだろう。
もちろん、古代ギリシア人のヒポクラテスや古代ローマ人のガレノスは以下のように、実際の血液の量との因果関係があると考えていただろう(註1)。
1.→2.→3.
1.血液の量が過多
2.活力や意気が過多になる
3.バイオレンスな感情・向こう見ずな行動がみられる
ガレノスは古代ギリシア・ローマの医学を集大成した人物なので、その医学を引き継いだイスラーム世界および中世ヨーロッパでは、彼の考え方を引き継いで性格改良の手段として瀉血をしていたようである。つまり、血液を心のガソリンのようなものと捉えていたと言える。そんな心のガソリンを抜けばガス欠でバイオレンスな感情・向こう見ずな行動は治まるだろうというわけだ。実際、瀉血による貧血状態=体調不良により、バイオレンスな感情が湧いて向こう見ずな行動を取るどころの話ではなくなるだろうから、ガレノスの四気質説と整合的に思えたのだろう。
しかし、現代生理学と矛盾しない四気質説的思考をするならば以下のような因果関係を想定することになるだろう。
1’.→2.→3.
1'.血気という種類の心的エネルギーが多い
2.活力や意気が過多になる
3.バイオレンスな感情・向こう見ずな行動がみられる
もっとも、この解釈では「『血気という種類の心的エネルギー』ってなんじゃい」という疑問が生じないでもない。しかし、心的エネルギーという発想自体は構成概念として広く用いられているので、そこにイチャモンをつけることもないだろう。
因みにだが、構成概念とは(主に心理学で自覚的に用いられる)「実体を持たないが、複雑な事象の理解や説明に役立つ概念」の事である。ただし、別に心理学だけに限定せず、"構成概念"という種類の概念はある。いくつか例示しよう。まず、典型的には心理学でよく用いられる「知能」がそうである。社会学用語の「カリスマ」も構成概念だ。そして、日常生活で用いる「気品」「おしゃれ」「お茶目さ」などの概念も構成概念である。また、若者言葉の「(強者の)オーラ」「リア充」「弱者ムーブ」なども構成概念である。誤解を恐れずに言うならば、身長や体重などとは異なって「そのものズバリを指し示すもの=実体」が確定できないような"何か"を指す概念が構成概念である。
閑話休題。ここで心的エネルギーという用語が出てきたわけだが、実は四気質説にも心的エネルギーに相当する概念がある。それは「プネウマ」である。気息・精気・霊魂と結びついた呼気・生命の根源となる力という想像上のものを古代ギリシア人はプネウマと呼んでいた。このプネウマなのだが、古代ギリシア人は大気中に広く分布していると認識していた。そして、このプネウマを呼吸によって取り込むことで、人間を含む生命体が活動できると考えられていた。
古代ギリシア・ローマの「プネウマ(ないしはプシュケー)」の考え方を理解するにあたっては、現代物理学のエネルギー概念に擬えて考えると分かり易い。
さて、現代物理学のエネルギー概念では、エネルギーは位置エネルギー・運動エネルギー・電気エネルギー・熱エネルギー・化学的エネルギーといった色々な形になるがエネルギー総量自体は変わらないと考える。
具体的に思い返してみよう。
小中学校での振り子の実験で「高い所にあるものは位置エネルギーが大きいが運動エネルギーはゼロで、振り子が最低点を通るとき運動エネルギーは最大になっているが、位置エネルギーはゼロになっている。また、振り子が元の高い位置に戻って来たときは、位置エネルギーが回復するが、運動エネルギーはゼロになる」と習ったのではないだろうか。
運動エネルギーと熱エネルギーの変換について、自動車のフェード現象に関するマメ知識の話を高校の物理の授業でされなかっただろうか。車のブレーキシステムは運動エネルギーを摩擦によって熱エネルギーに変換するシステムな訳だが、長い坂でブレーキを踏み続けるとブレーキシステムの排熱が間に合わなくなって、運動エネルギーから熱エネルギーへの変換が上手くいかなくなり、ブレーキが利かなくなる。この手の話を学生の眠気覚ましに教師はしていただろう。
「実体は何が何だかよく分からないが、そうやって把握できる"エネルギー"なるものがある」という理解を学生時代にしていただろう。その学生時代の「エネルギーなるものへの理解の構え」と同様の構えで、プネウマを考えると古代ギリシア・ローマ時代の人々の思考が理解できる。
では早速、古代ギリシア・ローマ人のプネウマ概念について考えていこう。
プネウマは現代物理学におけるエネルギー概念と同様に、様々に形を変えて存在する。大気中に存在する状態のプネウマ、植物に取り込まれた状態のプネウマ、動物に取り込まれたプネウマなどがある。また、取り込まれた場所に応じて、脳に取り込まれるプネウマ、心臓に取り込まれるプネウマ、肝臓に取り込まれるプネウマといった形になる。
異なる形態のプネウマへの変換システムという考え方も、エネルギー概念と同じように考えればよい。すなわち、プネウマ概念が「精気・霊魂と結びついた呼気・生命の根源となる力」であることを思い出せば、粘液・血液・胆汁・(黒胆汁)は大気中のプネウマが様々な過程を経て臓器によって変換されて液体化したものであると古代ギリシア・ローマ人たちが認識していたと理解できる。
プネウマの物理的形態のバリエーションとして、粘液・血液・胆汁・(黒胆汁)を捉えたとき、プネウマを各体液の形態に変換する臓器はそれぞれ脳・心臓・肝臓(・脾臓)であると古代ギリシア・ローマ人は認識していた(註2)。また、液体化した各種のプネウマの性質の違いは、性格の違いとしても表れると古代ギリシア・ローマ人たちは考えていた。それゆえ、粘液・血液・胆汁・(黒胆汁)の分泌量を左右する臓器の働きの違いが、性格の違いとなって表れるとしたのである。
以上から「なぜ循環器や消化器が性格に関係してくると古代ギリシア・ローマ人たちは考えたのか」が理解できるだろう。
また、臓器の多面的性質は、プネウマ変換システムとしてだけでなく、体形や体質を決定づける要因でもあると理解されていたので、「性格と体形」の相関関係も四気質説では考察されることになった。
このように見てみると、四気質説の発想自体は現代人と大して違いはないことが分かる。
現代人も「脳のどこそこの場所の活動が活発なために性格はかくかくしかじかのようになる」といった思考をする。神経科学や大脳生理学そして心理学の進展によって、その「性格と器官の因果関係」についての認識は科学的な妥当性を有するものになっている。
しかし、発想自体は古代ギリシア・ローマ人の四気質説と大した違いは無いのである。
註
註1 流石にヒポクラテスやガレノスに関して、文献学的手続きを経て彼らがこのように考えていたと結論付けているわけではない。
註2 因みにだが、このところ「ChatGPTに分析させてみたシリーズ」で取り上げているエニアグラムのトライタイプのフレームワークに登場する「ヘッドセンター・ハートセンター・ガッツセンター」は、四気質説の「脳に取り込まれるプネウマ、心臓に取り込まれるプネウマ、肝臓に取り込まれるプネウマ」に対応していると思われる。