「"イキり"のアウトソーシング」という視点
男性の友人の不動産屋に相談すると悪徳不動産屋とのトラブルが解決したという体験からフェミニズムによって視野狭窄した思考によって「日本社会は男尊女卑社会なんだ」と認識する問題を以前note記事で取り上げた。すなわち、普通に思考すれば「世間知らずだから騙されかけて、専門知識があるから解決できた」と認識すべきであるにも関わらず、事態の発生や解決の決定要因はジェンダー問題にあったと認識する、歪んだフェミニズムの問題を取り上げた。
上記のnote記事で取り上げた事例は表面的には「女性が男性を連れていくと交渉が上手くいくという事例」であったといえる。しかし実際には、騙されかけた大学生の性別が偶々女性であったに過ぎないし、解決した友人の不動産屋の性別もまた偶々男性であったに過ぎない。
さて、今回取り上げる事例もまた「女性が男性を連れていくと交渉が上手くいくという事例」である。今回の事例は先に記事にした事例とは異なり、「女性が男性を連れてきた」という構造ゆえに生じているジェンダー問題が存在している。しかし、そのジェンダー問題は「男尊女卑社会だから男性有利女性不利な状況が生まれた」というものではない。そうではなく、「女性が男性に対して『マッチョな男』というジェンダー役割を押し付ける」というジェンダー問題なのだ。
今回取り上げる事となる事例は、以下のX(旧Twitter)のポストの事例である。この事例に関してXで投稿した女性は、日本が男尊女卑社会であるが故に「女性が男性を連れていくと交渉がスムーズにいった」と考えたようだ。
もちろん、やさぐれキャバ嬢氏の体験について、可能性としてはゼロではないので「それは日本が男尊女卑社会だから起きたことでは絶対に無い」とは言えない。しかし、彼女の体験に対する、販売店側からの観点(但し、匿名であるために実際に販売側の人間の見解かどうかは確実ではない)から、以下の見解がはてな匿名ダイアリーに投稿された。
このはてな匿名ダイアリーの見解においては、男尊女卑社会が原因ではなくゴネ得社会であることが原因と指摘され、また、連れてこられた男性は女性クレーマーの便利な道具として機能させられていることが示されている。そして、男性の道具化にはジェンダー問題が横たわっていると述べられている。この見解は非常に鋭いものであるので、上記の見解についてこれから詳しく見ていきたいと思う。
■男尊女卑社会ゆえでなくメンドクサイ客であるがゆえ
はてな匿名ダイアリーに投稿された見解において、「女性が男性を連れていくと交渉がスムーズにいった」という出来事は、日本が男尊女卑社会であるが故ではなく、その女性客がゴネ得を与えても早々にお引き取り願った方が良いようなメンドクサイ客であったが故であると述べられている。そのことを確認しよう。
はてな匿名ダイアリーの見解においては上記の引用から読み取れるように、店側からすると「男尊女卑社会であるが故に、連れてこられた男性を尊重してスムーズに交渉した」のではなく、「男を嗾けてくる面倒な客だから、損切りをしてお引き取りを願った」のである。
トラブルで男を連れてきた女の客をピットブルを嗾けるクレーマーに擬えて解説しよう(ピットブルはアメリカで闘犬として育成された犬種。飼い主に忠実な性格を持つ反面、凶暴性がしばしば問題となる)。
ピットブルに対して正論を主張しても時間の無駄である上に、クレーマーのピットブルを嗾けるという行為自体がソイツが話の通じないクレーマーであることの傍証となっているために、クレーマーへの説得もまた時間の無駄と店側からすれば思われたのだ。すなわち、「クレーマーに正面から対処するコストと労力」と「クレーマーにゴネ得を与えようがサッサと引き取ってもらうコストと労力」を比較したとき、後者がマシであるために店側は損切りしたのである。
このとき、ピットブルおよびクレーマーの性別はゴネ得が生じる本質的な要因ではない。また、ピットブルの狂暴さもまた店側が損切りをする本質的な要因ではない。クレーマー自身の話の通じないクソ面倒臭さこそがゴネ得が生じる本質的要因なのだ。
ワンワンキャンキャンとゴネることをピットブルにアウトソーシングしているために、クレーマー本人はゴネる精神的負荷を負わない。それゆえ、ネチネチネチネチ居座ったり何回も来訪してくることを痛痒に感じない。そんなクレーマーであるからこそ、不公正であってもゴネ得を与えてお引き取り願った方が厳正に対処することよりも店側としては安上がりになるのだ。
「ピットブルを嗾けるクレーマー」の譬えで理解できるように、「女性が男性を連れていくと交渉がスムーズにいった」ことの本質的要因は、男尊女卑社会であることではない。店側にとってメンドクサイ客であったことが本質的要因である。
もちろん、不公正だろうがゴネ得を与えて安上がりで穏便に済ませる社会と、いくらコストや労力が掛かろうが不公正なゴネ得を許さず厳正に対処する社会のどちらが望ましいか、といった議論は可能だ。しかし、その議論は男尊女卑社会がどうのこうのという議論とは全く別の議論である。
■なぜ女性客に連れられた男性はピットブルになるのか
さて、クレームをつける女性客に連れられた男性がなぜ正論が通じない相手になるのか、その構造を示した考察が以下の箇所である。
実に皮肉な話なのだが、女性客に連れられた男性が話が通じなくなって店側にひたすら噛みついてくる状態になることに関してジェンダー構造が立ち現れてくるのだ。つまり、店側ではなく客側にこそジェンダー問題が生じているのである。
連れてきた男性にマッチョさと盲目的な自分(=女性客)への信頼を女性客は期待し、男性がその期待を裏切った場合には、女性客は連れてきた男性にサンクションを与える。すなわち、旧来の男性に押し付けられたジェンダー役割を連れてこられた男性が熟さないならば、その男性に対して女性客は「人間的に価値のある相手」と見做さなくなる不利益を与えるのだ。したがって、ピットブルにならなければ失われる女性客との関係性ゆえに、男性はピットブルになるのである。これは、女性が男性の対して発揮するジェンダー権力である。
フェミニズムに被れると、常に「女性=被害者、男性=加害者」の図式で事態を解釈するようになるが、実際は性別が関係しない構造の事態であったり、逆に「女性=加害者、男性=被害者」の構造を持っている事態である場合も少なくない。
本稿で取り上げた事例のケースは正にそのようなケースであったと言えるだろう。
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