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「おじさんパーカー論争」で"キリトリ"と言っている人間の読解力の無さ2
※前回記事から続く
本稿での議論の前に、前回記事で明らかにしたことを確認しておこう。
炎上動画での妹尾氏の「おじさんパーカー論」の核心部分は前回記事で考察した「パーカーに若者要素が入っているが故に若者が不快だからやめるべき」というものだ。したがって、以下の妹尾ユウカ氏の「炎上はキリトリで起きたもの」という反論は虚偽であると判断してよい。
「ちなみにこれ『商談の際などにパーカー着てる会社員のジジイなんなん?』って話だったのが『ジジイはパーカー着るな』という形で拡散されてしまったんだけど、ジジイっつーのは先が短いからか早とちりだな!!」
つまり、妹尾氏の炎上発言「40近くになってパーカーとか着ているおじさんって結構おかしいと思う」は「商談に臨むおじさんの服装としてパーカーはTPOに合っているか?」という文脈で出てきた発言ではない。炎上動画での該当箇所を確認すれば、まさしく「ジジイはパーカー着るな」という形で出てきた発言である。前回記事でも確認したが、もう一度、「おじさんパーカー発言」の動画の初出箇所を確認しておこう。
妹尾:「若い子と居てエキスをちょっと貰っていることによって・・・」が気持ち悪い。どっちもおじさんなんですよ、コッチからすれば。若い子とつるんでるおじさんもおじさんだけでとつるんでるおじさんも。でもどっちが頂けないかと言うと若い子とばっかりつるんでいるおじさんの方がキツい
天野:それはなんでキツくなる?
妹尾:ファッションとかもちょっと若者の要素が入っているんですよ、エッセンスが。40近くになってパーカーとか着ているおじさんって結構おかしいと思う
炎上動画における中心的な文脈での彼女のおじさんパーカー論は、「おじさんが若者要素(若者エキス)を取り込む行動の一つとしての若者要素のあるパーカーを着ること」が「若者にとって不快だから止めろ」というものだ。
そして、キチンと炎上動画を確認して、妹尾氏のおじさんパーカー論に対してファンション論の観点から批判をしている議論は「若者要素を取り込む行動の一つとしてパーカーを着る」という妹尾氏の認識を批判している。例えば、以前の記事でも例示した以下の記事などの議論はそうである。
上記の記事では「おじさんは若者要素を取り込む為にパーカーを着ているのではなくて、ファッションに関心を持ち始めたおじさん自身の若者時代に取り込んだファッションをそのまま継続しているに過ぎない」と妹尾氏に反論している。例えば、以下の箇所などが典型である。
スウェットパーカーをファッションとして楽しむようになった大きな流れを作ったのは、妹尾さんに全否定された現代のおじさん(団塊ジュニア世代)だったのである。
(中略)
おじさんになった同級生たちは、もちろん最先端ではないにせよ、30年前とさほど変わらないカジュアルなスタイルに身を包んでいた
増田 海治郎 2024/12/15 東洋経済online
ただし、増田氏は「おじさんがパーカーを着る意図」に関する妹尾氏の誤認を批判しているのであって、「ファッションとしてのパーカーは若者ファッション」との認識は妹尾氏と増田氏は共有している。このことを示す箇所は以下である。
ここからはファッションとしてのスウェットパーカーに話を広げる。スウェットパーカーはアメリカの大学の体育会系のアスレチックウェア、ユニフォームを出自とするものであり、当然若者のほうが似合う。
大人になってもパーカーが似合うのは、今もスポーツを続けているタイプとストリートファッションを若い頃から貫いているタイプ。分かりやすく言えば、スポーツマンとワルが似合う。それでもアイテムの出自からして、加齢によるシワや白髪とは当然相性が悪いので、若い頃に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
団塊ジュニア世代のファッションアイコンである木村拓哉さんは、インスタグラムを見る限り今もパーカーを日常的に着ているが、やはりドラマ「ビュティフル・ライフ」の頃の神がかった着こなしと比べると、昔ほどは似合っーていない気がする。
また、増田氏は妹尾氏と分限(ぶげん)主義的価値観を共有している。このことを示している箇所は以下である。
昭和のおじさんの休日着といえば、ゴルフブランドのポロシャツにフレアのスラックス、ブランドロゴ入りのベルト、そしてローファーのできそこないみたいな"餃子靴"が定番で、若者ファッションとは明確な線引きがあった。
(中略)
失われた30年で経済的に前の世代ほど大人になれていない(余裕がない)こと、世界的にファッションのカジュアル化が進んだこと、ユニクロの台頭で世代間のファッションが平均化したことなどが挙げられ、外的な要因に導かれたとも言えるが、いずれにせよ昭和の大人像とはずいぶん違うのは間違いない。今回のおじさんパーカー騒動は、あらためて令和おじさんの特徴と特異性を炙り出したような気がしている。
増田氏の議論は、妹尾氏のおじさんパーカー論に対して「おじさんがパーカーを着ている意図に対する誤認」は批判していても、妹尾氏の基本的な考え方については迎合的である。分限主義的価値観を妹尾氏と共有して「年相応の恰好をおじさんはしないといけないよね」といった類の主張を彼はする。そして、パーカーという服装の若者性についての認識を共有し、「確かにパーカーは若者ファッションだよね。注意深くアレンジ等をしないとおじさん用のファッションにならないよね」といった類の主張もするのである。
とはいえ、妹尾氏への増田氏の批判は大して重要な批判でもない。
本稿で増田氏の批判を取り上げた私の意図は、炎上動画中の妹尾氏の主張における枝葉末節な論点ともいえる論点を今後無視するので、予めそれを明確しておこうとするのに増田氏の批判は役立つというものである。つまり、「おじさんパーカー論争」において程よく枝葉末節の論点を取り上げていた批判であったために、妹尾氏への増田氏の批判を取り上げた。
「妹尾氏への増田氏の批判」を批判的に考察することによって、「おじさんのファッションとしてのパーカー」という問題圏における、妹尾氏の主張の問題点を確認しておこう。
さて、炎上動画における妹尾氏の主張は「おじさんパーカー」といったトピックに限定されていない。また、炎上動画中で炎上したトピックもまた「おじさんパーカー」のトピックに限定されていない。そのことはシッカリと押さえた上で、「おじさんの着る服としてのパーカー」という問題圏に限定して、妹尾氏の主張を批判するのであれば、以下の3点の問題点が指摘できるだろう。
おじさんがパーカーを着る意図の誤認
パーカーが若者性を持つ服装との認識
ファッションに表れた分限主義
まずは、「1.おじさんがパーカーを着る意図の誤認」の問題点を確認しよう。この問題点は増田氏が批判していた問題点である。
さて、おじさんは別に若者要素を取り込むためにパーカーを着ている訳ではない。単に「自分が若者の頃から着ているファッションだから着ている」に過ぎない。これまで着ていたファッションだからパーカーを着ているだけであるので、「若者エキスを取り込んでやろう!」といった意図は特に無いのだ。したがって、存在しない意図を勝手に読み込むなという話である。
次に、「2.パーカーが若者性を持つ服装との認識」の問題点を見てみよう。
この認識に関しては、増田氏は妹尾氏と共有していたようであるが、パーカーが若者性を持つ服と決めつけることができるかどうかは明らかではない。そもそもパーカーのフードは機能性から付けられたものだ。防寒機能・防塵機能・直射日光遮断といった機能の必要性から生まれている。ファッション性が先ではないのだ。もちろん、もともとは実用的機能性から取り付けられたトレンチコートの肩章―—担架を使わずとも着用者を運搬できる――のように、今ではファッションの意味の方が重要になっているパーカーのフードもあるだろう。しかし、トレンチコートの肩章とは異なって、パーカーのフードは実用的機能が全く喪失しているとは言い難い。ファッション性のみならず機能性も含めてフードが付いているとも言えるからだ。それゆえ、パーカーを「若者性を持つ服装」と一概に決めつけることはできない。
とはいえ結論の如何に関わらず、パーカーが若者性を持つかどうかの議論はファッション性と機能性に関するテクニカルな議論であるため、枝葉末節の問題と言ってよいだろう。
最後に、「3.ファッションに表れた分限主義」の問題点を見てみよう。
分限主義については別稿で詳しくみていくが、まずは「分限」の語の辞書的意味を確認しておこう。
【分限】
1 持っている身分・才能などの程度。身のほど。分際。ぶげん。「—をわきまえる」
2 財産・資産のほど。財力。また、財力のあること。金持ち。ぶげん。「—者」
3 公務員の身分に関する基本的な規律。身分保障・免職・休職・転職など。
4 ある物事の可能の限度。また、その能力や力。
分限(ぶげん)という概念は、現代では明示的に意識されることは少なくなった。しかし、「分(ぶ)を弁えろ!」「○○の分際で!」「身の程を知れ!」といった言葉がいまの我々でも十分に理解できるように、分限についての意識は現代でもなお現役の意識であると思われる。
さて、妹尾氏は「おじさんの服装としてのパーカー」だけでなく、「アイコンでない人物の主張のある服装・会社員の高価な服装・オシャレでない人物のハイブランド服」といったものにもダメ出しをしている。つまり、年齢のステージ(=年恰好)に見合った服装という範囲を超えて、さまざまな分限(ぶげん)の人の服装について、「その程度の人間の分際で、その服を着るな!」と言い募る分限主義に基づくファッション規範を妹尾氏は有している。また、彼女は交友関係や行動に関して「おじさんの分(ぶ)を弁えろ・おじさんの分際で・おじさんは身の程を知れ!」といった意識での発言をしており、ファッションの範囲に限定されない分限主義的価値観が妹尾氏から窺える。
このことは妹尾氏の価値観に関して、年齢ステージで区分される分限主義——エイジズム――を超えて分限主義的価値観が適用されていることを示している。また、ファッションや行動のみならず交友範囲といったものにまで分限主義が適用されていることから、ファッションに限定されない普遍的な形の分限主義的価値観を有していることが分かる。
妹尾氏の炎上問題の淵源は、現代的な問題意識において時代遅れで差別主義と結びつく価値観とされている分限主義にある。おじさんパーカー論争において、ファッション論を超えて「妹尾氏のエイジズム」を批判している論者も少なくない。しかし、彼女の価値観はエイジズムといった「年齢ステージ」に限定された分限主義なのではない。先に述べた通り、エイジズムを超えた広範な分限主義なのだ。
したがって、「おじさんの服装としてのパーカー」を批判した妹尾氏の主張は、ファッションの分野において表れた分限主義に過ぎない。彼女のおじさんパーカー論の問題はファッションに限った問題ではないのだ。そして、彼女の「分(ぶ)を弁えるべきである」という分限主義は、昨今において非難の槍玉に挙がる「○○は△△であるべき」というバイアスと分かち難く結びついている価値観である。
結論として、本稿の表題に挙げた「キリトリとの批判」でいうならば、「自分はTPOの観点から(商談というシーンでの)おじさんのパーカーという服装に対して批判していた」と言い募り、「自分の主張がキリトリによって歪められた」と妹尾氏が反論していたことに関して、端的に言って彼女はウソついていると言ってよいだろう。
なぜなら、妹尾氏のおじさんパーカー論は分限主義に基づく批判なのだ。分限主義からくる彼女の考えは「おじさんの分際でパーカーを着ていることが間違い」というものである。分限主義においては、基本的に「TPOの観点で商談にパーカーは相応しくない」という考えは出てこない。
「TPO」という基準は「Time(時間)・Place(場所)・Occasion(場合)」であり、「分限(ぶげん)」という基準は「持っている身分・才能などの程度。身のほど。分際」である。TPOは原則的に状況によって適切な範囲が変わる基準なのであり、一方、分限は原則的に属人的要素によって適切な範囲が変わる基準である。つまり、判断に用いるスタンダード(=基準)が別物なのだ。そして、炎上した動画中の様々な主張において妹尾氏が用いている基準は、"TPO"基準ではなく"分限"基準である。それゆえ、彼女の「本当はTPOからみてパーカーは相応しくないという話だったのにキリトリされた」との反論は、虚偽と言ってよい。
もっとも、彼女が自分の分限主義的価値観に対してどこまで自覚的であったかは不明ではある。
※妹尾氏の分限主義について論じた記事は以下。
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