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外向性・内向性とは何か(2);行動療法からみる「外向性」の「外」が意味するもの

 ユングのタイプ論に登場する「外向性-内向性」とMBTI(というよりも通俗的な16パターン性格診断)の「外向性-内向性」の概念内容が異なっていると思われるため、河合隼雄の解釈による4つの心理療法―—行動療法・フロイト派(精神分析)・ロジャース派(来談者中心療法)・ユング派心理療法―—の特徴から、ユングのタイプ論の「外向性-内向性」の「外」「内」が何を意味しているか見ていきたい。

河合隼雄「Jungのタイプ論に関する研究――文献的展望――」より

 シリーズの2つ目の本稿からそれぞれの心理療法の目的とアプローチの対象から「外向性-内向性」の「外」「内」の指示対象を明らかにしていく。また、本稿で取り上げる行動療法は、河合隼雄の枠組みによれば「治療の過程」「患者の現実」の双方が「外的」である。ただし、「治療の過程」「患者の現実」の言葉のままだと少し何処に注目するのか分かり難いようにも思われるため、「治療の過程」を「治療の目的」に、「患者の現実」を「アプローチの対象」として見ていきたい。そして本稿からユングのタイプ論に登場する「外向性-内向性」の「外」とは何を指しているのか掴んでいきたい。


■行動療法とは

 行動療法(あるいは認知行動療法)では、現実世界の出来事への不適当な行動を問題視する。そして、認知行動療法における行動は「思考-感情-行動」という一連のものを"行動"と呼んでいる。このとき、思考に関しては認知という解釈もあり、感情についても身体反応も含めて考える解釈もある。そういった細かな差異は「行動療法」の流派で多少違うのだろうが、大筋では、「出来事に対処する思考-感情-行動等のプロセスに歪みがあるから出力される行動(や反応)がオカシイ」といった枠組みで考えるのが行動療法である。それゆえ、正常な形の「思考-感情-行動」が出来るように指導するのが行動療法である。

 行動療法のやり方は「水泳教室」の譬えで説明すると理解し易いだろう。

 水泳教室で指導員はプールでいつも泳げず溺れかける生徒を指導するとき、以下のような遣り取りを生徒と交わすだろう。

「人間は水に浮くから力を抜いて浮く練習をしよう」
「水の中で目を開けても大丈夫だから顔を水に漬けて目を開ける練習しよう」
「鼻から息を吸うと鼻に水が入って頭痛くなるよ。息継ぎは口でするようにしよう」
「腕をグルグル回すと考えるんじゃなくて、手のひらで水を前から後ろに押し出すと考えるんだよ」

 水泳教室では、溺れないようにする簡単なものから始めて、だんだん、ちゃんと泳げるような指導に移っていくだろう。行動療法もまた水泳教室と同じで、おかしい行動(=思考-感情-行動のプロセス)を止めるように指示し、正しい行動ができるように指導するのである。

 行動療法がどんなものであるかの理解するために、怒りの不適切行動に対する行動療法の手法である、普通の人にもある程度馴染みのあるアンガーマネジメントを例にとって見てみよう。


■アンガーマネジメントとは

 アンガーマネジメントとは、文字通り「怒り」をコントロールするための心理スキルであり、また不適切な怒りを周囲に撒き散らす人に対して実施されることがある、行動療法的心理トレーニングである。

 さて、最初にアンガーマネジメントでアドバイスされることは「カッとなったら、まず怒りを自分の感情から切り離して、6秒数えよう」と言われる。瞬間的な怒りの持続時間は長くて6秒なので、瞬間的な怒りによる不適切な行動は「6秒カウント」によって抑制することが可能になる。いわゆる「売り言葉に買い言葉」によるマズい事態の発生を防止することができる。

 「イラっとしたら6秒カウント」が出来るようになれば、つぎは「怒りレベルの把握」だ。「怒る」「怒らない」といった二値的判断をして、オール・オア・ナッシングの怒りの行動をとることは、不適切な行動に繋がる。

 怒りにも段階があり、例えば「大・中・小」といった形で評価することが可能だ(もちろん、もっと細かく分けても良い)。これまで自分が怒りを感じた体験を振り返り、それら過去の怒りの体験を評価すると「大・中・小」どれになるのか、怒りの経験をする前に分析しておく。当然ながら「すべてが怒りレベル"大"だ」や「怒り大と怒り小しかないなぁ」という判定をした場合は、適切な怒りの評価が出来ていないのでやり直しである。この作業によって、まずは「怒りの物差し」を手に入れる。

 次は、自分が怒りを感じたとき、実際にその怒りがどの程度の怒りであるか「怒りの物差し」を用いて怒りの段階を意識できるように訓練する。物差しを手に入れても怒りの感情に実際に自分が襲われたとき、咄嗟に使えるかどうかは分からない。譬えでいえば、AEDが準備されている事と、実際に倒れた人が出たときにAEDが咄嗟に使える事とが別物であるのと同様だ。事前に準備されていてもキチンと使えるように心構えと訓練がなければ咄嗟には使用できない。それはAEDであっても「怒りの物差し」であっても同じなのだ。

 同時進行あるいは半歩遅れ程度で、怒りの段階に応じた適切な行動を考える。そして、その事前に考えた対応に基づいて行動できるように訓練するのだ。言ってみれば「怒り大のときの行動マニュアル」「怒り中のときの行動マニュアル」「怒り小のときの行動マニュアル」を用意して、粛々と手順通りに行動できることを目指すのである。当然、このマニュアルに沿った行動も、咄嗟に行うには心構えと訓練が必要である。

 因みに、この怒りの感情の評価作業とマニュアル想起は、副次的に状況の客観視を可能とし、冷静に「怒る必要」の判断ができる精神状態を齎す。

 「怒りレベルに応じた対応」が出来るようになれば、次は「不適切な怒りが発生し易い考え方や態度」の改善を図る。

 怒りの感情は「当為」と密接に関係している。この当為とは「まさになすべきこと、まさにあるべきこと」を指す概念である。所謂「べき論」である。そして「べき論」が個々人で異なっていることで不適切な怒りが生じるケースが多い。昨今かまびすしいジェンダーやら差別のトピックにおいて「ポリコレ棒を振り回す正義の暴走」が取り沙汰されることがあるが、不適切な怒りの問題とポリコレ棒問題は同根の問題である。

 「異論を許さず相手をブッ叩く」あのポリコレ棒は、怒りの棍棒と同じである。つまり、自分の「べき論」と異なっているから棍棒を振るう。そして、過激派フェミニストが典型的だが「そこは違いを許容して寛容であるべきではないか?」という部分すら許さずポリコレ棒を振り下ろす。それゆえ彼女らの行動は「正義の暴走」と揶揄される。また、自分に都合が良ければ許されるべきと言い出すご都合主義極まりない"正義の味方"の振舞は、逆に「お前たちこそが不正義だ」と非難される。「不適切な怒り」の問題は、このポリコレ棒問題と構造が同じなのだ。

 つまり、「怒りの感情」は以下の2.と3.の事態で生じる。そして「不適切な怒り」は2.の事態で生じる。一方、3.の事態での怒りは原則的に「適切な怒り」である。ただし、2.や3.の事態であるにも拘らず、自分の都合・気分・好悪によって「怒る、あるいは怒らない」というご都合主義的な感情の発露をした場合、その怒りの感情は他者から見て「不適切な怒り」と認識される。

  1. 自分のべき論に適っている事態

  2. 自分のべき論には適わないが、寛容であるべき事態

  3. 自分のべき論に適わず、許容すべきではない事態

 したがって、まずは2.の事態での自分の怒りを見直さなければならない。それは取りも直さず、3.の事態との境界を確定し、自覚することだ。許容範囲を超える事態とは何であるのか、どこまでが寛容であるべき事態なのかを明確に認識するようにする。それによって「表に出すべきではない不適切な怒り」が何かを理解できるようになる。

 また、「自分の都合・気分・好悪によって変化するご都合主義の怒りの感情」もまた「表に出すべきではない不適切な怒り」である。もちろん、2.の事態で怒りの感情を出すことが不適切であるのは当然である。3.の事態について、ご都合主義によって「怒りを見せないケースがある」のであれば、「怒るべきではない事態」にすべく寛容の範囲を広げて、怒りを見せないケースと同種のケースを、3.の事態の範囲から2.の事態の範囲になるよう枠組みの変更を図る。あるいは、逆に理性によってどちらのケースも同等に怒るようにする。

 このようにして怒りの感情に関する公正な体系を構築する。

 怒りの感情に関する公正な体系を構築した後、「自分には表に出すべきではない怒りが多すぎる」と感じた場合には、自分の「べき論」が先鋭化し過ぎていないか確認する。もしも不必要なまでに先鋭化しているのならば、不必要な部分を改める。そして、あまりにも理想主義的・完璧主義的な「べき論」は人間性に反すると理解する。つまり、1.の事態の範囲を広げるべく当為について考え直す。

 また、怒りの感情に関する公正な体系において「正当であっても自分は怒る場合が多すぎる」と感じた場合は、自分が理解する寛容の範囲が狭すぎないか確認する。もしも不必要なまでに狭量であるならば、寛容の概念についての認識を改める。つまり、2.の事態の範囲を広げるべく考えを変える。

 この段階まで来ると、自己の怒りについてはかなりのコントロールが出来ている。次に目指すのは他者の怒りのコントロールすることで、自己の怒りのコントロールを図ることだ。

 怒りを伴うコミュニケーションにおいて、自らの怒りと相手の感情的反応には相互作用が働く。言い換えると、自分の怒りの感情的行動によって相手の反応が変化し、その相手の反応によって自分の怒りの感情もまた変化するのだ。したがって、相手の反応を見越して適切な怒りの行動を取ることで、相手の反応による二次的な怒りの発生を防止・抑制するのである。

 例えば、相手を完全否定するような怒りの言動を取ると相手側の反応は反発・反抗といった反応になる。また、責任追及型の怒りの言動を自分が取ると、大抵の場合に反論あるいは弁明といった反応を相手は返す。反発や反抗は当然ながら反論はおろか弁明であっても、その相手の反応は二次的な怒りを自分に生じさせる。したがって、怒りの言動においても相手を完全否定するべきではなく、また必要性が無いのであれば責任追及もすべきではない。

 具体的には「いつも」「必ず」「絶対」などの全称的な表現は怒りにおいて用いることを避ける。また「どうして?」「なぜ?」「どういうつもりで?」といった原因究明の質問を交えた怒りも、相手にしてみればその後の責任追及が容易に想像できるために、必要性が無いのであれば使用しない。つまり、怒りの言動において、これらのNGワードとなる語の使用の抑制を目指すのだ。

 そして、怒りの感情に襲われる場合というものは、怒りを招いた事態と同様の事態の繰り返しの防止こそが重要であり、その他のことはオマケに過ぎない場合が殆どである。したがって、基本的には繰り返し防止に繋がる怒りの言動が望ましいものとなる。つまり、目標は「建設的な怒り」が出来るようになることだ。そのためには「次からは○○しろ!」といった、相手からの反発を招いて繰り返し防止の実現にはあまり役に立たない押し付け型の言動は避ける。そして、相手が自発的に望ましい行動を取ることを言い出し、実効的な繰り返し防止に繋がるよう、賢明な「建設的な怒り」となるよう注意するのである。

 このレベルまで十全にできるようになれば、もう人格者といってよい。心理療法としてのアンガーマネジメントは卒業だろう。もちろん、それ以上の怒りの効用や効果を熟知して巧みに怒りの感情を操る交渉術も存在する。しかし、そのようなコミュニケーションを取るのは、外交官や代理人・交渉人といったプロの世界の話になるので普通の人間にとっては関係の無い話であろう。


■行動療法の目的とアプローチの対象と「外的」の意味

 以上のアンガーマネジメントを例にとった行動療法に関する解説から分かるように、行動療法がアプローチする対象は「行動」という現実世界における具体的対象である。行動療法は図2の第2象限に位置するため、横軸の左方向の「外的」の指示対象は現実世界における具体的対象であることがわかる。また、行動療法の目的は現実世界での患者の行動が適切になることである。したがって、縦軸の上方向の「外的」の指示対象もまた現実世界における具体的対象であることがわかる。

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