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MBTI:映画『ワイルド・スピード』からみるES世界とEN世界

 映画『ワイルド・スピード』シリーズは、1・2作目と5作目以降では全く別の空気感が漂う(以降『ワイルド・スピード』は『ワイスピ』と略す)。3作目と4作目はその移行期といったところか。3作目は1・2作目とかなり近い、4作目は1・2作目の空気感の名残を残しつつ5作目に近い空気感である。1・2作目と5作目以降の世界の違いは、ドムの世界かホブズの世界かの違いとも言える。そして、ドムの世界がES世界であり、ホブズの世界がEN世界である。

 MBTIおよび16パターン性格診断の界隈では、メインとサブで働く心理機能別に人間を分けて考えるのが「正統」であり、EI軸・SN軸・TF軸・PJ軸の4次元空間上の点のように人間を考えるのは「亜流・紛い物」との通念がある。しかし、どちらのモデルが優れているのか、私にはまだ判断が付きかねている。

 心理機能でみたタイプ分けと4本の軸で分けたタイプ分けの結果が同じになることが多数ではあるのだが、異なる結果となる場合もそれなりの数で存在している。ある意味で当然の結果ではあるのだが、この事態は少々不都合である。「ならば、正統とされた心理機能で考えるべきでは?」と疑問に持つ人もいるとは思うが、EI軸・SN軸・TF軸・PJ軸で区分けした方が、よりクリアに別世界に生きる人たちの感性を理解できるのではないかと考えさせるケースがある。その典型が冒頭に挙げた、映画ワイスピシリーズの二つの世界である。

 EI軸・SN軸・TF軸・PJ軸で考えるとクリアになる様子を、映画ワイスピシリーズの世界の違いで実際に確認してみよう。

 さて、ワイスピのシリーズが基本的にE型世界の話(ただし、3作目はI型世界っぽい)であることは視聴すれば感じ取れると思う。しかし、1・2作目と5作目以降は、カーシーンの魅力を前面に押し出す演出や登場人物こそ共通しているが、それらは全く別の世界のものとして存在している(故ポール・ウォーカーについては措いておく)。

 一般的な映画評としては、1・2(・3)作目はカーレース映画だが(4・)5作目以降はカーアクション映画なのだ、というものがある。もちろん、それらの評は映画のジャンル分けとして正しいと私は思う。そして、カーレース映画とカーアクション映画の違いが、1・2作目と5作目以降の空気感の違いとなっている側面もある。

 しかし、カーレース映画とカーアクション映画の違いもさることながら、映画におけるモブを含めた人間の位置づけが、1・2作目と5作目以降では決定的に違う。

 もちろん、中心的な登場人物であるドムは全編で「ファミリー」を大事にしている。ファミリーの大団円がラストシーンとなるものも多い。しかし、そんなドムが持っている家族主義が、1・2作目と5作目以降とを比較したときにギュウと縮んでいることが分かるだろうか。

 1・2作目では、モブであるレースの観衆すらドムの仲間だ。ドムはオープンなようでいてクローズな集団の王である。ドムとある意味で共に「生」をおくる人々としてのモブがいる。しかし、5作目以降でのドムの家族主義はごく少数の身の周りの人間に限定されている。5作目以降のモブはドムとは一切無関係の単にそこに居合わせた人として登場している。更に、ドムの「ファミリー」もまた、野球のオールスターチームのような「スーパースターの寄せ集め」の集団となっている。5作目以降の仲間は、メリトクラシーで認め合う仲間に過ぎない。

 シリーズが進むにつれて舞台はワールドワイドになっていく。仲間となっていく登場人物もまた様々な分野から集まり、ドムのファミリーは多士済々となっていく。しかし、それに反比例するかのように、ドムとある意味での一体性を感じる人々の集まりは小さくなっていくのだ。

 1・2作目の同じ場所で同じ感情を共有して生活者としての環境を共有する仲間と生きるドムの世界と、5作目以降の共通の目的あるいは理念もしくは利益を持った一定水準以上の能力を前提に集まってはいるが生活者としての環境を共有しない集団に生きるホブズの世界は、まったく別モノの世界である。

 この違いを心理機能のSeやNiとその他の心理機能を合わせて考えていくことも出来るとは思うのだが、ごく単純にEI軸とSN軸で捉えて「ドムの世界=ES世界」「ホブズの世界=EN世界」として捉えていくほうが、他者の視界に写る世界の解像度が上がるのではないかと私は思う。

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