![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/166057834/rectangle_large_type_2_a83b6a1804e633ecb1fe7de116c3e53d.png?width=1200)
節分に 〈負け力〉
メンタルヘルスに苦しんで、あるきっかけから手あてをはじめますと。そもそも〈苦しい感覚〉が日常になりすぎていて、気づいてすらいなかったことが わかってきます。
そんな、いつのまに できたのかもわからない 感覚や感情のごちゃごちゃした〈結び目〉に、すこーしずつ気づいている このごろです。
じぶんの 抑えていたほうの本心や、だれかほかに苦しみぬいた人の〈声〉に出会うたび、なにかが理解されていくみたい。
その声に導かれ、まわりの人たちの力も借りたりしながら、結び目をほどくように 自他の気持ちをほぐしては、癒していく。
ことさらに苦しいわけではないけれど、いまも、そんな時間がつづいています。
つらさをきらった私が
苦しみをすてたり わすれたり
しませんように
対人援助をしていると、他者の痛みを自分のものに置き換える力が発達して、脳が疲れやすくなるのだそうです。
年末のある朝、おだんごさんの note を読んでいて、私の病気のきっかけはここだったのかも。と、思いあたりました。
30代で病気になった頃、対人援助の仕事はしていませんでしたが、ワープロで口述筆記をする仕事をしていました。法律事務で、裁判にかかわる 込み入ったツライ話を聞きながら 入力していました。
子育て中で共感力がバチバチに高まるなか、朝3時に起きだして 創作(7~8人が出演する朗読台本)をしていたこともあって、私のバウンダリー(境界線)はゆらゆらして、脳がとても疲れていたのでしょうね。
30代といえば、ちょうど20年ほども前のこと。
よくがんばったね、ご苦労さま。あなたの病気にいちばん必要なことは、睡眠と休憩だよー。あわてないで じっくり、ゆっくりやるといいよ。だいじょうぶだよ。
そんなふうに、当時の私にも。
いま、ふんばっている人たちにも。
伝えたいです。
外に出してしまえば、私のなかのオニたちも、こんなにかわいかったかもしれない。ゆっくりお豆を煎って、あたたかいお茶も、いっしょに飲めたかもしれない。
気持ちを聞けたかもしれない。
![](https://assets.st-note.com/img/1738455386-T8B0IOsVuydqUcDvClar5ZJW.jpg?width=1200)
『P-act文庫』『できるかな?』より
そしたら、そばでにこにこ笑っていた福たちにも 気づけたかも💡 お湯呑みもって ずっと立っていてくれたかもしれないね。
どうぞ、すわって??
はなしていこうよ
おには そと
ふくは うち