四月病
五月病ってものすごい来月にもなれば連休明けに私も俺も僕もと、こぞってみんなが言い始めると思うのだけど、なんか最近四月病な気がする自分です。
そもそも四月病なんて言葉があるのかなって、ちょろっと調べた感じ、ほんとかどうかの真偽は定かではないけど一応そういう名前で実は気を付けて!四月病!みたいにカウンセリングメインのどこぞの心理学系のサイトがいくつかヒットした。一応あるんだね。
別に、どうしようもなく苦しい訳でも悩みの種がつきないわけでもなくて
てりたまは美味しかったし、近所の公園の桜は満開だったし、ちょっと暑いな冷房いれちゃお、うぅ、やっぱり寒くなったな炬燵に入ろっとなどと一人暮らしをこれでもかってエンジョイしながら週末を過ごしたわけで
全然そこには悲しみも苦しみも悩みもなかったんだけど
どこかモヤモヤが頭の中にある感じ。何なんだろうこのモヤモヤほんとに。
春って出会いと別れの季節で新しい環境で新しい顔ぶれで丸っとこれまでの生活が変わる(実際はそこまでやと思うけど)からその影響なんだろうかなって考えてみる
私の職場にもこの度六年越しに後輩社員が入った。
待望の課の直の後輩である。
学生時代からこの後輩という存在を私は結局自分の中に落とし込めないまま
この年になってしまっている。
いきなりどうしたって話だが
近いかどうか微妙だけど大人になって友達の作り方がわからないってあるじゃないですか。あれに近い。定義がわからんというか。どう形成したらいいかまとまってない感じ
学生時代の部活とかでもこの後輩という存在は当然いて、一応の先輩という存在ではあったのだけど、何かあんまり距離感がわからなくて結局その部活も途中でやめてしまったからあんまりいい思い出がない
そのまま大人になったから、この後輩という存在がわからない
いや自分が先輩になるという事象を受け入れられてないのか
子供が出来たときに親としての実感がわかないみたいなやつ
(多分ちょっと違う)
後輩という存在を自分の中に落とし込みたくていろいろどんな生き物なのか見ちゃってる。下記一部例⇓
あっ、日焼けしてるアウトドア派かな。スポーツ何かやってるのかな(インドアな私)
あっ、たばこ吸うんだ、ちょっと苦手かも(ちょっとなんて付けてるけど実際はめっちゃ嫌い)
あっ、初日から業務中に隣の席でぼりぼりとお菓子とか食べちゃうんだ(気にしいの私からしたら魔王の住まう城に単身で乗り込む勇者のような行動。絶対できないそんなこと)
というか、何食べてるん?
そんなぼりぼり音出るお菓子ある??
音だすことに商品開発部がすべての力を注いでない??
(隣だけど顔向けられないから何食べてるかわからん)
とまぁ、生態観察をしてたんですけど
うーん、たぶんこの子はちょっと苦手なタイプなのかもしれない
と思ってしまった。。
後輩という存在になれてないだけかもしれない
というか生態観察もごくごく一部しか見てない
本質はめっちゃいい子かもしれない
六年越しだよ直の後輩だよ、大事にしなきゃ
わかってる
だから最初の一週間でかみつぶして飲み込んだ
大丈夫気にしない。変に干渉しないで後輩として同じフロアでいればいい
と落とし込んだ。納得させた。
***
場面代わって、先週の金曜日の仕事帰り。
帰宅途中で後ろから声をかけられて振り返ると別の部署の同期だった
家の方角が一緒だからと帰りが一緒になると近況報告よろしくお互いに話す仲なんだけど、今回は後輩の話に
同期「あっ、そういえば後輩入ったんよね?喫煙所で見たよ。先輩に場所教えてもらってたわ」
私「そうそう、今週から入ったんよ、タバコ吸いたいって先輩に言って喫煙所案内してもらってたね。そう言えば」
同期「何か部の先輩に”うぃーっす”って感じで挨拶してたね」
私「そ、そうなんや(うぅ、そのノリやっぱりきついかも。。)」
―――
同期「多分やけど、君とは合わんやろうなぁって思った」
私「えっ?」
同期「何となくやけど、ノリとか雰囲気でしかわからんけど、君とは合わない、君は苦手そうな感じがしたね」
見抜かれてしまっていた。
完全に。
この同期ともここ一二年で話すようになった仲でそこまで長い付き合いじゃないのに、それなのにこうもあっさりとわかられてしまった。
やっぱりそうだよなぁって思ってしまった
昔から人の好き嫌いが激しくて
大好きな人にはとことん愛を与えたくて、喜んでほしくて笑顔にしたくて
キライな人はとことん避けていきてきた
すごいここのライン取りはっきりしてるんだと思う。自覚有
家に帰って同期との話を学生時代の友人にLINEするとそんなもんだよ、気にしないでいいよって全てを理解してくれてるからこその素っ気なくも確信をもった言葉を返してくれた。ほんとにありがたい。
四月病の原因は多分これなんだろう
モヤモヤの正体もこれなんだろう
五月になったら五月病が上書きしてくれるかな
その結果が良いのかはさておき
あらためて自分のめんどくささに気づきつつも
この気づきをひとつひとつ自分なんだと理解して
そんな自分の傍にいてくれる人たちに感謝して
生きていきたいと思った。
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