物語をつなぐ、「江戸東京野菜」雑司ヶ谷かぼちゃ
江戸東京野菜って何?
江戸の町の人々の食を支えた江戸野菜。
古くからその土地で育てられていた在来種野菜や、
地方各地から運ばれ、栽培し種を採り、また種を撒いて育てる。
そうして、その土地にあった食味や姿形が固定されていった固定種の野菜。
それらの野菜は、現在では
病気に強いもの、形が揃っているもの、多収穫のものなど、生産しやすいF1種(その形を一代しか継承できない野菜、種を採って蒔いても、同じ形の野菜が採れない)にとって変わり、姿を消しているものも多い。
そんな伝統野菜を絶やすまいと、いろいろな人がいろんな地域で復活や、保護の活動をしている。
そんな江戸東京野菜の一つ
「雑司ヶ谷かぼちゃ」
小田原の畑で野菜を作っている私に、
雑司ヶ谷かぼちゃを育てて欲しいと声をかけてきた奥様は、雑司ヶ谷土地開発の役員をされている。
一昨年初めて雑司ヶ谷かぼちゃを育てた時は、JAさんが育てた苗を頂いた。
今年も雑司ヶ谷かぼちゃを育てて欲しいと、雑司ヶ谷大鳥神社の宮司さんの奥様からお願いされ、2株ならいいですよ。とお返事していた。
ところが、
苗を頂いくどころか、JAさんに種がない!と言う。
「えっ、えっ、え〜、
それって、もう雑司ヶ谷かぼちゃは作れないって事?」
雑司ヶ谷かぼちゃをテーマにした
「雑司ヶ谷かぼちゃと鎮守の祭り」を毎年10月に開催しているが、
そのお祭りもどうなる事か、話し合わなければいけないと言う。
一昨年、雑司ヶ谷かぼちゃを育てた私も、苗はまた来年頂けるからと、種を採った記憶がなかった。
それが、
冷蔵庫の片隅から、それらしき種が出てきたのだ。
種の採取日も、何の種なのかもメモがない。
うる覚えの記憶の中、たくさんの種から5粒だけ残した様な気もする。
とりあえず撒いてみる。
そして、株分けして
どうか、雑司ヶ谷かぼちゃであって欲しい。
雑司ヶ谷かぼちゃだったとしたら、
また、ここから物語をつなぐことが出来る。
絶やさない様に、万が一の為に、
一株は、埼玉で無肥料無農薬で野菜を育てているNAMIKOさんに、ご協力を頂き、育てて頂く事にした。
この日は暑くて、電車で苗を運ぶ間に
シナシナしてしまってる。
肥料なし、もちろん農薬無しで
上手に野菜を育てるNAMIKOさん、雑司ヶ谷かぼちゃも、この豊かな畑でのびのび育って欲しい。
そして、小田原の畑
こちらには3株植え付けた。草がたくさんで、まだ整備途中だけど、なんとか育って欲しい。
この後、畑の大家さんが、
ウリハムシにやられない様にと、ぐるりと肥料袋で周りを囲ってくれた。
雑司ヶ谷かぼちゃは極早生で8月〜収穫出来る。
流行り物が好きな江戸っ子に、
1番早く食べられるかぼちゃとあって、人気があった様だ。
そんな雑司ヶ谷で盛んに育てられていたかぼちゃが小田原を埼玉を経て、雑司ヶ谷に帰って行く、それもおもしろい物語の一つ。
元気に育って、
秋の雑司ヶ谷、大鳥神社のお祭りで皆さんに見て、食べて頂けたら嬉しい。
と言って、
雑司ヶ谷かぼちゃじゃなくて、きゅうりだったらどうしよう?笑