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夏も終わろうとしている。のか (架空エッセイ)


夏も終わろうとしている。

そんなことを言ってみたかった。


よく聞いたようなフレーズである。


夏も、というからには
夏以外の何かも終わった、あるいは終わりそうなのか。


いや、
この場合の「も」は、
「夜も更けて」とか「世も末」と同じ「も」ではないのか。
 

「も」には、いろいろな意味と用法があるらしい。
助詞なのか、接続詞なのか、
助詞だとして、その中でも係助詞か、接助詞か…

 

えーい、めんどくさい。

そんなことが言いたかったのではない。

夏 が 終わろうとしている。
もうこれでよい。


そう、
夏がそろそろ終わるんだろうと客観的にイメージできる8月の終わり頃に、
海へ行くのだ。。

暑かろうが、スイカがまだスーパーに出回っていようが、
8月と言えば夏、その夏の代名詞が終わろうとしているのだから、
すなわち夏が終わるのだ。
きっと。
 

 

夏は海が混んでいる。
 
砂浜にぎっしりパラソルが敷き詰められた光景を高台から眺めるのが好きだ。

砂なんか見えないから、傘浜と呼んではどうかと思うのだけれど
誰に提案したらいいかわからない。
 

仲間内で流行らせるか…の、仲間が
まずいない。
 
友達がいない。


ネコに友達は、基本いない。
特に必要としない。

外で暮らしていれば、たまたま鉢合わせたのちに顔見知りになり
仲良くなることもあるだろうが、

外へ勝手に出ることなく、窓の外の飛んでいる鳥に向かって
「にゃキャキャキャ…」と話しかけて満足しているような一方通行ロンリネスネコには、
友達や仲間はいないのだ。 

 

 

え? ネコ?

 

あ、
そうです。 

猫が語っています。

猫なんです。


ワガハイは…、とか言うところなんでしょうか。


そんな一人称、使ったことないですし。
却下。


猫なんですが、
海へ行くのです。


この場合、
自らの足で海まで出掛けていくのではなく、

家人に連れられて行くのです。


問答無用です。

「家族でドライブだ」と言われたら
否応なしにヒモかけられてカバンに詰め込まれて車に乗せられて、たのしいねーと言われるのです。


ドライブ中は、ほとんど寝ています。
たまに景色を見ますが、「あれ何だろう?」と思っても確認する間もなく過ぎ去ってわからずじまいなので、興味が湧かないように目をつむっています。

 

 

 

海に着いても、誰も泳いだりしません。
そもそも夏の終わり頃の、人が少ないところを狙って行くのだから、もう泳いではいけないシーズンに入るというのもあるけれど、

泳ごうという気のない家人たちばかりなので、海はぶらぶら散歩して眺めるだけの場所なのです。


眺めるのは、もちろん、鳥です。
(家人たちは景色を眺めているようですが。)


普段、窓から見ているトリちゃんたちとは違う、見慣れない鳥が飛んでいるので、それを見上げて「にゃキャキャキャ…」と言うのです。


「にゃキャキャキャ」とは何か。


知りません。

口が勝手に言うのです。


飛んでいる鳥を見ると、
なぜか言ってしまうのです。
 

理屈じゃありません。
論理レスです。



とても仲良くはなれそうもない大きな鳥に、
話しかけるでもなく つぶやく「にゃキャキャキャ」。

一方通行の…

 

 

以前、描いたイラストに
どうでもいい話を添えてみよう
と書き始めたら、

とりとめもなく、
どんどん違う方向へ進んで
「海」しか共通項のない話になってしまった。

でこサングラスでボンボンベッドでブルーハワイ
どこ行った。



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