ジャン・リュック・ゴダールの死去とヌーベル・バーグ
先日フランス人の漫画家のジャン・ジャック・サンペさんが、8月に亡くなってしまい、それに続き今月13日に、ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)映画監督が死去しました。
ジャン・リュック・ゴダールの生まれたパリのコニャックジェイ通り
ジャン・リュック・ゴダールは、ヌーベルバーグの父と言われている、フランスの映画監督で、91歳でした亡くなりましたが、老衰ではなく自殺でした。
数年前から生きる気力を無くしていたようで、死去が報道されてから、連日テレビではゴダールの特集がテレビやYoutubeで流れています。
私もゴダールの作品は随分とみましたが、いくつかの映画は記憶に残っています。
報道をきっかけに、生い立ちを読んでいたら、パリ生まれてと分かり、パリの7区の生まれた通りまで行ってきたのです。
アルマ橋がすぐそこにある道で、民家ばかりの閑静なとこです。 ここがスイスに行くまで3年住んでいた通りです
この道の名前、コニャックジェイは聞いたことがあるかと思いますが、あのコニャックジェイ美術館
パリ3区 「コニャック・ジェイ美術館」|sakurakoparis|note
サマリテーヌデパートの創業者の名前です。
ラ・サマリテーヌが16年ぶりに再オープン(パリ1区デパート)|sakurakoparis|note
このコニャックジェイ通りの2番地が生家とあります。
報道陣が沢山きているのかとも思っていましたが、閑静でした。
ここで何を培ったのか、ただこの2番地には3年しかいなく、その後スイスへ移り住んで行ったのです。
お母さんがスイス生まれということもあり、ゴダールは、フランコ・スイスの監督と言われています。
Wikipediaでも、
1930年12月3日にパリで生まれた、フランコ・スイスのシネアストのジャン・リュック・ゴダールは、2022年9月13日にロール(ヴォ県)で死す。
と書いている通り、幼少期をスイスですごし、スイスでの生活を人生の半分くらいをしめていたため、フランコ・スイスと言われています。
ジャン・リュック・ゴダールの医療自殺
91歳でなくなったジャン・リュック・ゴダール、老衰なのかのかと思ったら、自殺でした。と言っても服薬などではなく、医療自殺でした。
これは、フランスですると規約がややこしいのですが、スイスですると合法です。
高齢なので、体が痛くもう我慢ができないので、注射でというのでもなく、疲れていたのと、生きていても意味がないようなことは数年前に、テレビ取材で言っていたのですね。
それで、自殺といっても、医師が行うもので、
監督(ゴダール)は、スイスでは合法で規約化されている立ち合い自殺をした。9月15日に灰となり、未亡人へ渡される。
立ち合うのは医師で、医療的にも合法なのです。
麻酔自殺をする人もフランスでいますが、それで家族が他の家族に訴えられる問題もあり、スイスへ行くフランス人もいるくらいです。
でもゴダールはスイスにいたので、そのままできたということです。
Le réalisateur Jean-Luc Godard, figure de la Nouvelle Vague, est mort 出世作は、〚勝手にしやがれÀ bout de souffle〛。 この作品の主演のジャン・ポール・ベルモンドも亡くなり、寂しくなる。
勝手にしやがれÀ bout de souffle
ゴダールのヒット作は沢山ありますが、処女作の〚勝手にしやがれÀ bout de souffle〛がヒット作になり、一躍有名監督になった、ゴダールです。
この勝手にしやがれは、邦題で、フランス語題は、息切れの果てにというニュアンスです。
この映画は、ヌーベルバーグの記念碑的作品で、フランソワ・トリュフォーが原案、クロード・シャブロルが監修をおこない、ゴダールが監督・脚本を務めたのでした。
映画の始まりはマルセイユが舞台となり、ハンフリー・ボガートを崇めるミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は、自動車を盗み、追ってきた警察官をはね、パリに流れ着き、文無しとなり、アメリカ人のガールフレンド、パトリシア(ジーン・セバーグ)とパリ生活を楽しむのですが、最後にパトリシアに警察に通報されてしまい、警官に撃たれ死んでしまうのでした。
息をひきとるときに、「最低」という言葉を最後にミシェルが言うのです。
ミシェル: Tu es vraiment dégueulasse.
パトリシア: Qu' est-ce qu'il a dit ?
警官: Il a dit que vous êtes vraiment "une dégueulasse".
パトリシア: Qu'est-ce que c'est "dégueulasse"?
ミシェル: 「君は当に最低だ」
パトリシア: 「彼はなんて言ったの?」
刑事: 「あなたは本当に最低だと」
パトリシア: 「最低ってなに?」
という最後でした。
この映画はパリのいたる通りで撮影があり、パリの魅力がでている映画でした。
この映画1960年に公開され、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞しています。
ゴダールは、アンナ・カリーナと1回目の結婚をし、『気狂いピエロ Pierrot le Fou』ではアンナ・カリーナが主演女優をつとめ、これもヌーベルバーグを代表する作品となりました。
ゴーダルの作品で、特にヒットしたもう1つ〚軽蔑Le Mépris〛があります。
ブリジッド・バルドーが主演女優をつとめました。
ゴダールは当初は肌を出すのは考えていなかったのでしたが、興行上スポンサーからの要求で、バルドーの体ラインを出すのを要求され、そうなったのでした。
ゴダールは、金髪のバルドーを綺麗思っていなかったということだったです。
最終的に、バルドーの魅力も出成功した映画となり、バルドーも製作費の半分を報酬として貰うこととなったという経緯もありました。
今日もテレビでゴダールの映画が放映されます。
しばらく、ゴダールムーブです。
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