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華金の夜に、同僚と「ちがい」について語る。

金曜日。退勤後の20時から「ちがいと多様性」について考えるイベントが社内で開催されていたので、参加してみた。20人くらいのゆるっとしたオンラインの集まりだった。

セクシュアルマイノリティと、いわゆる世の中で呼ばれる同僚が自分の体験や思考を他の社員に共有してくれた。彼がシェアしてくれた「自分をうまく乗りこなし始められるようになった」という言葉がいいなと思った。

今までの悲しみ怒り諦めを全部ひっくるめて、そう言えるようになった彼が今ここに居てくれてよかったなと思った。思わず真四角な薄黄色の付箋にその言葉をメモした。

「自分を乗りこなすってどんな感覚なんだろうか」
「私はわたしを乗りこなせているのかな」

その後グループに分かれて、

自分のマイノリティ性とマジョリティ性の話。


わたしを構成するいろんなアイデンティティや個人因子や環境因子があって。たくさん詰まっている、たくさん集まって私なんだけど、「マイノリティな一面の方が人って意識できるよね。こだわっているよね。」と誰かか言った。

「マイノリティな側が自分を司るアイデンティティだと思いがち」だからこそ、「自分のマジョリティ性を自覚する必要があるし、あえて意識しておきたい。マジョリティであることは多数であって、多数派は知らず知らずに強さを持っているから、知らず知らずのうちに力を持っているから、その力を、その刀を持っていると自分で分かっていないと、知らず知らずのうちに他者を傷つけることがあるかもしれない。」

I

と私は言った。


「そもそも二分構造で考えない方がいいのではないか」と別の同僚が答える。「積み重なる”ちがい”との出会いによって、それぞれのアイデンティティを知ることで二分構造で考える思考がほぐされるんじゃないか。」

Kさん

私のアイデンティティをフリーマーケットのようなイメージで、風呂敷の上に一旦出して広げてみる。あなたの前にあるアイデンティティたちを眺めてみる。そんなことができたら、自分は何者か少しは輪郭が見えてくるのだろうか。

最後に、職場ではリーダー職を務めている彼が言う。

「孤立が一番の問題ではないか。他者との出会いで自分が救われるなら、他者との比較で自分を掴めるのなら、小さなコミュニティだけではなく、大きなコミュニティに出ていくと新たな気づきが得られるのではないか。一人ひとりが独りぼっちにならないようにどうするべきか」

Sさん

4人は少しずつ違う話をしているのかもしれない。たった25分だけだったから、論点の深堀がうまくできなかったかもしれない。でも、どの言葉にも何かしらのヒントが散りばめられている気がして、その言葉たちを書き留めたいと猛烈に思ったんだ。

どんなに暑くても、穏やかに週末を迎えられそうだ。

このテーマには定まった「正解」なんてないんだけど、それでもこの25分で私は何かに届きそうな気がしたんだ。掴めそうで掴めない何かを求めて。みんなで華金の夜、飲みに行くのでもなくて、「ちがい」って何だろうと画面越しで真剣に悩む。ギャラリービューの一覧で見える同僚たちの顔を眺めながら、なんて贅沢だと思う。

明日は午後からしか予定を入れていない。少し夜更かしをして、頭を整理したから、どんなに暑くても、穏やかに週末を迎えられそうだ。



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