干渉してくる人:アドバイスは暴力:人間関係ストレス<福山桜子:本気で変わるコミュニケーション>
<突然、評価され、アドバイスされる>
先日、数年ぶりに会う友人と食事をしている時、「あなたのやりたいことはなんなのか?」「諦めてるんじゃない?」「戦ってない」などなど突然評価され、過去の仕事に関しても「あれで満足しているのか」といったようなことを、かなりの勢いで、わわわーっと言われました。
これが、けっこう、まいった。
現状をアップデートしようとしても話を遮られてしまうので説明しきれない。半分も話してないのに「事情はわかった」「それ言い訳」などと言われて話を終わらせられてしまう。突然、何年も前の仕事に話が飛んであれこれ言われても、なんで今更そこを説明しなきゃいけないかわからない。向こうは話を全く聴いていないわけではなく、聴いているのだけれど、食いついてくるところが「そこ?」という状況。
「え?なんでこんなに責められてんの?」
「なにを言われてるんだ?」
「っていうか、私の現状も事情も何も知らないじゃん」
そんな思いも脳をよぎり、とてもとても哀しくなってしまいました。
しかし、あとから「あー、あそこまで哀しくなる必要はなかったなぁ」と思いました。
「きちんと領域守れば良かった」。
どういうことか。
<自分の領域に入られるのはストレス>
人はそれぞれ自分の領域があります。それを侵犯されるとストレスになります。
人にはそれぞれ事情があり、他人の事情はわからない。
だから事情も知らずに干渉してくる人は、自分の領域に他人を入れないようにする。相手の価値観に合わせる必要はないのです。
しかし、あの時はそれが出来なかった。
大声で威嚇する人や、何を考えてるかわからない人の前では、人は萎縮します。パワーハラスメントやセクシャルハラスメントにあって、自分の領域を守るのは簡単なことではありません。
それと同じように、あの状況で、わわわーっといろいろ言われて冷静ではいられなくなって、自分の領域に入れてしまった。
<頼んでないアドバイスは暴力>
その友人は、自分の言葉で人が変わると信じている。もちろん、そういうこともあるのでしょう。あったのでしょう。しかし、アドバイスを求めているならともかく、私はアドバイスしてもらおうと思っていない。仕事のことは自分なりに考えている。にも関わらず一方的に「それが真実のように」価値観や評価を投げつけられて、それをマトモに食らってしまった。
アドバイス癖のある人というのはいます。「善かれ」なのですが、それはある意味、相手の現状を否定していることでもあり、暴力です。
さらに、人は「自分でもどうにかしよう」と思ってることを言われると、つい反応してしまう。たとえば「痩せる痩せる」と言いつつも実は自分に言い訳し放題で怠けてダイエットしてないことを後ろめたく思ってたりする時に(そういうことありますよねー)、「ダイエットしてるって言ってたけど、太ってない?ほんとにやってんの?」などと言われると、「うるさいな。やってるけど痩せないの!」などとムキになってしまったりする。
私の場合は、思ったより時間がかかっている仕事があり、もう少し早く進ませたいと自分自身も思っているところ、「時間かかりすぎじゃない?」と言われ、ムキになってしまった。つまり、領域に入れてしまった。
領域に入れなければ「心配ありがとう。一歩一歩は進んでるので、楽しみにしててね」なのか、「そう見えるのかー、なるほどー」と返せたのかもしれない。あくまでも相手の意見として線を引けたかもしれない。けれど、完全に自分の領域で話をしてしまったので、ものすごいストレスをうけて哀しくなってしまった。
プラス、大好きだった友人が、ぜんぜん知らない人のように、頭からいろいろ決めつけてくるのが、とてもとても哀しかったんだとも思います。
<干渉してくるのは相手の問題>
相手が干渉してきた「私の仕事が気に入らない」のは相手の問題であって、私の問題ではない。
アドバイスも評価も求めてないので、「あくまでもその人の意見」として聞けばいい。
事情も状況も知らないのだから、何を言われても「相手がアドバイスしたい状態」なだけ。
過去の仕事をいろいろ言われても「なんか気に入らないんだな。大変そうだな」と思えばいい。
その時はどうすることもできなくても、キッチリ振り返って、分析して、ストレスを理解しておくと、先々同じようなことが起きても、そこまで大きなストレスにならず、自分を守れる可能性はあがります。
そう簡単にできることではありませんが、考え方は癖をつけていくと、確実に変わっていきます。みなさんも、過去のストレスを分析したり、日々の会話の中でも、「干渉してくる人を自分の領域に入れない練習」、ぜひしてみてください。
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