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見えるもの、見えないもの
「見えるもの・見えないもの」
「こんにちは。縦濱学園中学の3年生です。啓徳寺(ケイトクジ)の一日体験に参りました」
4人いる男子生徒の一人が、玄関先で大声で言った。
4人とも多少緊張気味の顔をし、背筋をピシッと伸ばしている。
「これはお暑い中、よくいらっしゃいました。どうぞ、お入りください」
中から作務衣を着たお坊さんが、出てきて言った。
「ハイ、失礼します」
4人は声を揃えて返事をすると、順々に中へ入った。
「おい、敷居は踏むなよ」
先ほど挨拶をした生徒が先頭に入って、後ろの3人に声をかけた。
「分かってるって、学校でちゃんとシミュレーションしてきたもんな」
2番目の生徒が言った。
4人は玄関に入ると、1列に並んで一人一人挨拶をした。
「縦濱学園中学3年、小島雅人、班長です」
「田川和也、副班長です」
「南裕貴です」
「清水俊です」
「私は啓徳寺住職のジンケイです。仁義の仁に、尊敬の敬、と書きます。
さ、お上がりください」
住職が言って、手招きをした。
「ハイ、失礼します」
4人は再び声を揃えて言うと、靴を脱いで高い床に上がった。
「おい、靴をちゃんと揃えろよ」
班長の雅人が言うと、
「分かってるって、これも学校でシミュレーションしてきたもんな」
と和也が言った。
「それでは、私に付いてきてください。部屋に案内しますから」
仁敬住職は、にこやかに話した。
4人は長い廊下を通って、奥の部屋に案内された。
「それでは、ここに荷物を置いて着替えたら、廊下で待っていてください」
住職に言われて、4人は部屋の隅に荷物を置くと、体操着に着替えた。
「オレ、なんかドキドキしてきた。こういう畳の部屋って、オレんちないから、
なんだか時代劇の中にいるみたい」
俊が言った。
「オレもドキドキする。ここが、東京だなんて信じられないよ。
周りに大きな木が沢山あってさ」
裕貴が、障子の外を見ながら言った。
「なんか、あの木の中に隠れてない?」
和也が言った。
「何がっ!?」
裕貴が、驚いて尋ねた。
「何も隠れてないっしょ。さ、みんな早く準備して」
雅人が言った。
廊下から外を眺めると、先ほど入ってきた門が見えた。
「オレ、お寺の中で迷子になるかも。だって、玄関から入って、ずっと
真っ直ぐ歩いてきたのに、なんで門がここから見えるんだ?」
俊が、頭をかしげた。
「お前、方向音痴だもんな。門はあそこだけど、玄関の向きが違うんだよ」
雅人が言った。
そこへ、仁敬住職がやって来て
「それでは、お寺の中を案内するので私に付いてきてください」
と言って、軽く頭を下げた。
「ここが、トイレと洗面所です」
住職が手で示した中を見ると、古い蛇口とタイルでできた流しがあった。
「ねえ、トイレ行くとき付いてきてくれる?」
俊が、小さな声で和也に言った。
「今、オレも頼もうと思ってたとこ」
と和也が答えた。
「ここが、食堂です」
そこには、20人ぐらい座れるテーブルとイスがあった。
「啓徳寺には小坊主さんが5人います。時々、檀家さんたちも、ここに集まって、雑務の後に食事を一緒にするんです」
住職が、説明した。
「ここが、お風呂場です」
10人は、一緒に入れるぐらいの広さがあった。
「ここが、本堂です」
本堂の中は、他より少し涼しい感じがした。
「それでは、たった1日ですが、啓徳寺で過ごされるので、ご本尊のお不動様にお参りしましょう。私のマネをしてください」
住職が言い終わると、いつの間にか、どこからか一人の小坊主さんが現れて、4人に経本を配った。
4人は小坊主さんの指示の通り、正座をして、合掌をし、短いお経も
あげた。
縦濱学園は私立の中高一貫校で、仏教の授業もある学校なので、多少
この雰囲気に慣れてはいたが、実際、本堂であげるお経は緊張した。
「それでは、この壇の上にある仏器をお磨きしてもらいます」
そう住職は言って、何か小坊主さんにも伝えた。
4人は小坊主さんのすることを真剣に見つめ、マネながら壇上の仏器を
磨きはじめた。
「黙ったままでなくて、いいんですよ。楽しくおしゃべりしながら磨いてください。その方が仏様も喜びます」
住職に言われて、4人ともホッと息を吐いた。
「あ~、苦しかった~。オレ、国語の吉田先生の授業、受けてる気分だった。一言しゃべるだけで減点だもんな、あの先生」
和也が言った。
「オレも、息がつまった感じだった。ここにいる間、ずっと私語厳禁だったら、辛いーって思ってたとこ」
裕貴が言った。
「ただ、心を込めて磨いてくださいね。仏様のものですから。みなさんの目にも私の目にも、仏様の姿は見えませんが、仏様は、いつも私たちのことを見ていらっしゃいますよ」
住職が、優しい笑みを浮かべながら言った。
お磨きが終わったとき、
「これ、ピッカピッカじゃない?なんかオレ、気分スッキリって、感じなんですけど」
俊が言った。
「オレも、自分の磨いたもの見て、スッゲー満足感、味わってる」
雅人が言った。
「そうですね。心の中は見えませんが、感じることはできますね。そして、
心で感じていることは、自ずと外に現れてくるんだと思います」
住職が言った。
お磨きの次は、本堂の床掃除と窓ふきをした。
「ハイ、みなさん、ごくろうさまでした。これから食堂で夕食をとって、
お風呂に入って、就寝前に、もう1度本堂に集まって、それで今日の
予定は終わりです」
仁敬住職は、ニコニコ笑いながら言った。
食事は4人が想像していた通り、ご飯と味噌汁と野菜の煮物という
質素なものだった。
「ご飯のおかわりは、自由ですよ。あと、今スイカを切るからね」
食堂のおばさんが、笑いながら言った。
「オレ、夜中に腹減りそう」
和也がボソッと言った。
食後4人は一緒にお風呂に入り、その後、本堂へ行って住職を待ってい
た。
「夜のお寺って、やっぱ怖いな」
俊が、辺りをキョロキョロ見渡しながら言った。
「そんなこと言うなよ。オレ、言わないようにガマンしてたんだぞ!お前が
言ったから、やっぱ怖くなってきたじゃん」
裕貴が、泣きそうな顔で言った。
「そんなこと最初から想像ついてて、お寺の一日体験を選んだんだろ~」
雅人が言うと
「オレは星空観察を希望したのに、定員オーバーだったから、こっちに入れられたんだし・・。おまけにクジで副班長になっちゃうし」
和也が言った。
「オレは、なんか、現実世界から脱出できるかも~って思って、これ選んだんだ」
俊が言った。
そこへ仁敬住職が来た。4人に合掌すると
「さあ、就寝前に、ご本尊様に、みなさんも手を合わせてください」
と言った。
4人とも、住職のマネをして手を合わせた。
「それでは、今日の体験授業はおしまいです。とは言っても、まだ中学生が寝るには早い時間だと思うので、私が一つお話をしてあげましょう」
住職は、そう言うとニコッと笑った。
「あの・・・それって、怖い話じゃないですよね」
裕貴が、恐る恐る尋ねた。
「ハハハ、怖い話ではなくて、心温まる話です」
住職は、優しい瞳で裕貴を見つめた。
そこで、裕貴はフーッと息を吐いて安心した。
「では、始めますね。これは、私がまだ僧侶になりたての若い頃、
実際にあった出来事です。もう随分前のことです。春の彼岸明けから
私は修行のため、托鉢をして関東地方内を歩いていました。
托鉢というのは、片手にのる程度の鉢を持ちながら、お経を唱え、人から
お金やお米などの施しをいただくものです。時には人家や寺を回り、時には人通りの多い道の片隅に立ち、お経を唱えます。見たことありますか?」
「オレ、駅前で見たことある。お地蔵さんが、かぶってるみたいな笠かぶってた」
雅人が言った。
「オレも駅前で見た。最初、どっからブツブツ声が聞こえてくるんだ~って、キョロキョロ見回しちゃったよ」
和也が言った。
「そうですね、私も笠をかぶって、ブツブツと、お経を唱えてました」
住職はニコッと笑ってから、話を続けた。
「托鉢の旅も終わりに近づいた5月の初め、とても気温が高く、日差しの
強い日がありまして、私は歩いている途中フラッとしてしまったので、近くの神社に入って、大きな木の下で少し休ませてもらうことにしました。その神社は普段、神主さんがいないようで、小学生の男の子たちが、遊んでいました。年齢は、まちまちで、小さい子から大きい子まで10人ほどいました。私は一休みのつもりが、子どもたちの遊ぶ声を聞いているうちに、ウトウトとしてしまいました。まだまだ、修行の足りないお坊さんだったので・・・」
住職が、軽く自分の頭をかきながら照れ笑いをしたので、4人もクスッと
笑ってしまった。
「目が覚めたときには、男の子たちの遊びも終わり、みんなが家に帰ろうとしていました。最後に10歳ぐらいの男の子が一人残って、ほこらの脇の方を何やら、ずっと眺めているんです。私も、その子が見つめる方に目を向けると、やはり10歳ぐらいの女の子が立っていて、男の子を手招きしているんです。男の子は何やら頭をかしげながらも、女の子がいる方へ行きました。男の子が近づくにつれ、女の子は顔から笑みを浮かべました。あ~、あの女の子は、あの男の子のことが好きなのか~と私は思って、気づかれないよう、その場から、ずっと見ていました。男の子が、女の子の目の前に来たとき、やれやれ、『あなたのことが好き』、とか、恋文を渡したりするんだろうかと、私はドキドキしてきました。私って、結構、俗っぽいお坊さんですね」
そう言って、住職は再び軽く自分の頭をかきながら照れ笑いしたので、
4人も再びクスッと笑ってしまった。
「ところが、どうしたことか・・・男の子は、女の子の前を通り過ぎると、ほこらの裏の方へ行ってしまったんです。女の子は、男の子が自分の脇を通り過ぎるとき、腕をつかもうとしましたが、つかめなかったんです。何やら変だぞと思って、私は息を殺して、その様子をずっと見ていました。そこへ、裏から再び男の子が、キョロキョロしながら出てきました。女の子は、再び腕をつかもうとしましたが、やはり、つかみ損ねてしまいました。そもそも、男の子は女の子に気付かないようで、そのまま神社を出ていってしまいました。もう夕日が沈みかけていましたから、家へ帰ったのでしょう。それを見て女の子は、とても悲しそうな顔をしました。私は、ようやく気付いたんです。その女の子は、霊だということに」
住職がそう言うと、裕貴が慌てて両手で耳をふさいだ。
「大丈夫ですよ。これは怖い話ではないんですから。これから私が活躍する、いい場面に入りますから、よく聞いててくださいね」
住職は裕貴の方を見て、なだめるように手を軽く上下に動かしながら、ニコッと笑って言った。
裕貴は両手を降ろし、少し腕に力を込めて体育座りをした。
「大丈夫だって、リラックス、リラックス」
雅人が裕貴の背中をポンと、たたきながら言った。
「霊だと気付いたら放ってはおけません。成仏していないわけですから、私がお経をあげてあげないと、と思い、女の子の方へ小走りでいきました。私に気付いた女の子は、サッと、ほこらの中に入ってしまいました。ほこらが、あの子の住みかなのでしょう。きっと、あの子は、まだまだ友だちと遊びたい盛りの年頃に、何かの原因で命を落としたのでしょう。神社に遊びに来る子どもたちの様子をほこらから眺めては、自分も仲間に入りたいな、と願ったのでしょう。私は、そんなことをぼんやりと考えました。女の子の霊が、この世に心残りのないようにしてあげるのが、私の務めと思い、私はその場でお経を唱えはじめました。そして、その神社を離れました」
住職が無言でうなずいたので、なるほど、いい話だったと思い、4人は
体育座りをしていた腕を緩めた。
すると
「まだ、話は終わってませんよ」
と住職が言ったので、4人は再びキュッと体育座りをし直した。
「次の日、私が大きなお寺の前で托鉢をした後、境内にある手洗い場を借りていますと、何やら笛のような音が聞こえてきました。辺りを見渡しましたら、門の前で虚無僧が尺八を吹いていました。虚無僧というのは、深編み笠をかぶって、尺八を吹きながら、各地を回って修行する人です。必ずしも、お坊さんというわけではないです。知ってますか?」
「オレ、時代劇で見た。たまに、尺八が刀に変わったりするんだよな」
和也が言った。
「悪人が、お坊さんのフリをしてるんだよな」
俊が言った。
「そうですね。時代劇では、よく、そんな場面が出てきますね・・・。私が、あのとき見かけた虚無僧は、とても強い霊感のある行者でした。尺八の物静かな音色に耳を傾けていると、1ヶ月以上続けてきた托鉢修行の疲れが、癒されていきました・・・。その虚無僧に私は、その晩再び、あの神社で会ったのです・・・。托鉢修行を終了する前に、もう1度あのほこらの中にいた女の子の霊のために、お経をあげようと思い、再びあの神社へ足を向けました。村に着いたのが夕暮れどきだったので、その日は宿に入る前に、ちょっと神社に立ち寄って、軽く手を合わせる程度にしようと思いました。神社に着くと、何やら人だかりがしたので、何事かと思ったら、あの神社の境内で村の人たちが、たき火をしていました。ほこらを修理して出た材木を燃やしていたんです。私は、たき火の向こうに見える、ほこらの方に目を向けました。中から、あの女の子がジーッと、たき火の炎を見つめている姿が見えました。すると、女の子の顔は鬼のような表情になり、体全体が怒りに満ちたように震え、片方の人差し指をピンと伸ばして私の方に向けました。指さされた私は、心臓が止まるぐらい恐怖で、全身が固まってしまいました」
仁敬住職が自分の心臓辺りを手で押さえたので、4人とも息を飲んだ。
少しの間を置いて、住職がスーッと息を吐き、話を続けた。
「私の方に指を向けたまま女の子は、たき火の中へ飛んできてメラメラと燃える炎と一体化しました。ピンと伸ばした人差し指を空高く伸ばし、体を反らして顔も空を見上げると、鬼の顔がパラパラと、はがれ落ちてきました。次の瞬間、パンと、はじけたと思ったら、優しい穏やかな顔をした大人の女性が、現れました。そして、ほこらの前でたき火を眺めていたあの男の子を抱き上げたんです。男の子は今度は、その女性に気付いたようでした。そして、しっかり抱きつきました。私は、そのとき気付いたんです。あの男の子も霊だったんだと・・・。私がキツネにつままれた顔で立っていると、すぐ隣にあの虚無僧が立っていました。そして、こう言ったんです・・・。『ようやく、あの子は、母親に会えました。2つ隣りの県から、私は度々あの男の子の霊を見かけました。いつもさまよって何かを探しているようだったので、その村、その村の寺の前で、あの子のために尺八を吹きました。どうか導いてやってくださいと・・・。あの子は、この村に2日間とどまっていたので、探し物に近づいているんだなと、私も感じました・・・。あの母親の霊も、自分の魂が、どのような状態か、よく分かっていなかったんでしょう・・・。あなたが、お経を、あげてやったのですか?』虚無僧に聞かれたので、私は、『ハイ・・・』と答えました。でも、私が言葉に詰まらせていたので、『どうかしましたか?』と聞かれたんです。『なぜ母親が、女の子の霊に見えたんだろうと思ったので・・・。普通、霊は、死んだときの姿で現れる、と聞きますから・・・』と答えました。『それは、たぶん・・・、母親が自分の子ども時代に強烈な未練があったからでしょう・・・。先ほどの怒りに満ちた姿を見ると、よほどの憎しみを抱えていたようです。たぶん・・・、自分も同じように、突然、親を失った経験をしたのかもしれません・・・。おそらく、あの親子は空襲か何かで、母親が先に焼け死んだんでしょう。焼け野原をあの子は母親を探して、そのうち自分も息絶えた・・・。母親は、境内のたき火の炎を見て、ようやく、自分が少女でなく大人になって死んだことに気付いたんでしょう・・・』 虚無僧の話は想像のことかもしれませんが、私は心から納得しました。私と虚無僧以外の人々には、二人の霊は見えていないようでした。たき火が終わって人々がいなくなった頃は、もう辺りは真っ暗になっていました。それでも、あの親子のために私は、お経をあげ、虚無僧は、手向けの曲を吹きました。昼間は初夏を思わせる日差しでしたが、まだ5月初旬、夜は寒いと感じるぐらいの空気に包まれていました。澄んだ夜空には星が瞬き、私と虚無僧は、しばらく黙って夜空を眺めていました。」
住職は、しばらく目を閉じた後、話を続けました。
「私は毎年5月の初めになると、あの親子のためにお経をあげています。すると、『ありがとう』と言わんばかりに、時々この寺に遊びに来るんです。特に男の子の霊は、寺に子どもたちが集まっている日などは、よく来るんですよ。成仏は、しているんですが、子どもたちが楽しそうにしている夏の夜などは、つい、この世に戻ってきたくなるんでしょう・・・。これで私の話は、おしまいです。ちょうど床につくのによい時間ですね。それでは、おやすみなさい」
仁敬住職はニコッと笑って4人に合掌すると、本堂を出ていった。
「なんか、不思議な話だったな」
雅人が、そう言って立ち上がると、他の子たちも立ち上がった。
「でも住職さん、そんなに活躍したか?」
和也が言った。
「どっちかっていうと、虚無僧の方が活躍したんじゃないか」
俊が言った。
「待った。あそこで座ったままの人がいるんですけど」
雅人が、裕貴の方を指さして言った。
「裕貴、行くぞ」
俊が言った。
「オレ、立てないんだよ。体が震えすぎて」
裕貴が言うと
「何で?」
和也が尋ねた。
「男の子の霊が夏の夜に戻ってくるんだろ。今晩オレらが、ここに泊まるの見て、絶対あの世から降りてくるよ」
裕貴は、震えながら言った。
「ていうか、その霊、もう、お前の背中に降りてるんじゃない?」
和也が言った。
「ギャーッ!」と大声を出して、裕貴は立ち上がった。
「じゃ、部屋に行こうぜ~」雅人が言って、全員本堂を出た。
次の朝、4人は5時起床で寺の中も外も掃除をした。
小坊主さんたちも一緒だった。
朝食のとき、4人が揃いも揃って何度も大あくびをするので、
「4人とも寝ないで夜中しゃべってたんだろう」
と食堂のおばさんが笑いながら言った。
実際、夜中誰も一言も、しゃべりはしなかったが、眠れなかったのは事実だった。
風の音、葉がこすれる音、虫がはえずる音・・・ちょっとの音に敏感になってしまい眠れなかった。
朝食後、一人の小坊主さんと本堂へ行くと仁敬住職が待っていた。
「みなさん、おはようございます。昨晩は、よく眠れましたか?今日は秋を感じさせる気候ですね。それでは、お経をあげるので、私についてきてください」
住職はニコニコ笑いながら話し、クルリとご本尊の方へ向いて座り直した。
小坊主さんが、一人一人に経本を配ってくれた。
ゴーンと鐘が鳴り響き、読経が始まった。
30分ほどで終了したが、4人とも足がしびれて立ち上がれずにいた。
「全員、しびれちゃったようですね。それでは歩けるようになったら、部屋へ戻ってください。確か、感想文を書くこと、と学校の先生から聞いてますよ。
私は他の仕事を済ませてきますから」
そう言って住職は合掌をすると、小坊主さんと本堂を出ていった。
しばらくして、ようやく足のしびれが消え、4人は部屋へ戻ることができた。
「これで一日体験、終わりか~。結構、アッという間だったね」
和也が言った。
「そうだな。オレ、結構楽しんだかも。いい体験できたんじゃない」
俊が言った。
「オレは、ちょっと怖かったけど・・・、よく考えると、住職さんの話・・・、よかった」
裕貴が言った。
「さ、早く感想文、書いちゃおうぜ」
雅人が言った。
4人が一つのテーブルを囲んで書きはじめると、どこからか笛の音が、聞こえてきた。
俊が廊下に出て外を見ると、門の前に笠をかぶって、尺八を吹いている人が見えた。
「おい、あれ虚無僧じゃない?」
他の3人も、廊下に出てきた。
「あれが虚無僧か~。オレ、本物見るの初めて」
「オレも初めて。結構カッコ良くない?渋いよね」
「江戸時代にいる気分になってきた」
「尺八の音をBGMに感想文を書くって、まさに、お寺一日体験って感じじゃない?」
「そうだね~」
と言いながら全員テーブルに戻り、原稿用紙と向き合った。
10分ほどして尺八の音が止んだとき、4人は畳の上でグッスリ眠っていた。
1時間ほどして、住職がみんなを呼びにきたときは、4人とも深い眠りの中で、なかなか起き上がれない。
「みなさん、おうちの方に連絡して、もう1日この寺に泊まっていきますか?」
と住職が、大きな声で話しかけた。
すると突然、裕貴がピンと起き上がって
「いえ、ぼくは今日うちに帰ります」
と言った。
そして他の3人をたたき起こし、無事、帰りの支度を済ませた。
「お世話になりました。ありがとうございました」
玄関で4人揃って頭を下げ、挨拶をした。
「また、いつでも、いらっしゃい。みなさんの今後のご健康とご活躍をお祈りしています」
と仁敬住職は言って合掌をし、4人を見送った。
「あとがき」
私は、和楽器の音色が好きです。
琴、三味線、和太鼓、尺八、雅楽の笙などです。
そのときの気分で、色々とCDを聴きます。
尺八は琴や三味線に比べると地味ですが、その静かな世界を
物語の中に取り入れてみたいと思い作ったのが、この物語です。
色々なCDを聴いていた中で、尺八奏者・小濱明人さんの”おんなぬこ”
という曲を聴き、添え書きを読んだとき、私の心に浮かんだ世界を物語に
しました。
”おんなぬこ”とは、”女の子”のことだそうです。
添え書きに、「”夕暮れ時、一緒に遊んでいた友達が、みんな帰って
しまった後、そこに一人の女の子がポツンと取り残された景色”と、
”自分が、神社で遊んだ後、不思議な感じや寂しい気持ちになった思い出”から作った曲」というようなことが、書いてあります。
機会があったら是非、小濱明人さんの”おんなぬこ”を聴いてみてください。
”おんなぬこ”セカンドアルバム「波と椿と」収録曲(Waternet Sound Group)
作曲・尺八;小濱明人、 薩摩琵琶;後藤幸浩
薩摩琵琶は、響きと重みが共存しているような音色に感じます。
素敵です。
物語の中で、虚無僧が吹く”手向けの曲”をご存じない方は、尺八奏者・
石川利光さんのCD「一管懸命Ⅰ」に収録されています。
機会があったら是非、聴いてみてください。
この「一管懸命」シリーズ3枚は、尺八を習っている方にお薦めのCDです