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【前半】「男性か女性か」という価値観に一度あいた風穴、もう止まらない(2022年wezzy掲載)

今回の記事は、2024年4月でサービス終了した株式会社サイゾーが運営するWEBマガジン「Wezzy」にて、2022年に掲載していたものです。

前回のエピソードはこちら↓

「ホンモノか、ニセモノか? 当事者にあった、そんな文化が嫌い」ーー先日話を聞こうと、とあるLGBTQ+の支援団体を訪ね、スタッフと意気投合して長々話し込んだ。私が「自分は女性を好きになれないので、本当に自分に性別違和があるか自信が持てない」と何気なく言うと、そんな言葉が返ってきたのだ。

その人によれば、1990年代、当事者たちのあいだでは「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」というものが、一般の世界以上に求められやすかったのだと言う。そんな話を聞きながら、私が自分を当事者だと思えなかったのは、そんな風潮を無意識のうちに感じ取っていたからかもなぁと思った。

10代のころには、自分も本当は性同一性障害なんじゃないかと思った時期もあった。だけど、やっぱり「ニセモノ」な気がする……。そう思うには、ふたつ理由があった。

ひとつは、女性を好きになれない、ということだ。
私が子どもだった90年代、多様な性の人がマスメディアで取り上げられるようになっていた。当時はトランスジェンダーに関するドキュメンタリーや再現ドラマも多くあった。しかし、テレビの向こうの彼らが体の性別を変える理由は、「同性愛を解消する」というものばかり。そういった情報に多く触れていたからか、私も「男性が好きか、女性が好きか」を自分に問うようになっていった。

そのころのことで、忘れられないエピソードがある。小学4年生、まだ恋愛感情がよくわからない年齢だった。それでも、男性であるはずの自分は女性を好きなはずだと思っていた。いま思い返しても我ながら気持ち悪い話だが、同級生たちに「女好き」だと思われたくて、女の子の体をベタベタ触っては「キモい」と白い目で見られていた(※90年代、『シティーハンター』の冴羽獠よろしく、かっこいいのに女性にはだらしない男性像が流行っていた気がする。たぶんそこに感化されていたのだと思う)。よく一緒に遊んでいたある女友だちのことが好きなんじゃないかと思いはじめた。友情だと思っていたが、これは恋愛感情ではないか?
と考えたのだ。

その甲斐(?)あって、私は同級生からレズビアン疑惑をかけられたわけだが……それは、なんだかひどくショックだった。私は、女性が好きな女の子、と思われただけだった。女性が好きなら男の子、と思われたかったのに。女好き=男性である証明にはならないと突きつけられた。それにもかかわらず私は、女好き=男性だと、なぜか固執しつづけた。

その後も、何度となく女性を好きになろうと足掻いたが、どうしてもできなかった。

男性が好きでも「ニセモノ」じゃない?

女性を好きになれない私は、男性じゃない……そうあきらめ、女性として生きなくては、と思ったのが20代半ば。好きになる性別と性自認が無関係だと知ったのは、30歳を過ぎてからだった。初めて知ったときの衝撃は大きかった。

トランスジェンダーのなかには「MtF(Male To Female男性から女性)レズビアン」「FtM(Female To Male)ゲイ」などと呼ばれる人たちがいる。レズビアンやゲイと、トランスジェンダーが両立すると、そのときまで私はまったく考えもしなかった。もちろん「LGBT」がレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字から来ていることはわかっていた。しかし、LGBの存在は認知しながらも、Tにも同性愛があるとはまったく考えなかったのだ。ダブルバインドも甚だしいが、男性は女性を好きに、女性は男性を好きになることが“自然”だと思いこんでいた。

その矛盾に気づいたとき、ひどく驚くとともに、心に小さな希望が湧いた。私も、自分を男だと思っても許されるのではないか、と。

初めて出会ったLGBT当事者

当事者に実情を直接確認したい気持ちはあった。しかし、私のような性別を変える勇気がない人間を「ホンモノ」の人たちは迷惑と思うのではないか。そんな疑念がずっと心に巣食い、身動きが取れなかった。

そんななか、「Xジェンダー」という人々の存在を知った。従来の男女の定義にとらわれない性のあり方を謳う人々だ。

「男性でも女性でも」なんて、今まで考えたこともなかった。学校の授業でも雄と雌しか習わなかったし、戸籍にも男性と女性しかない。だが、生物の雌雄のあり方は種によって実にさまざまだし、人間社会でも、国によっては性別欄には男性と女性以外もあるらしい。ただ、自分のなかにはない概念だった。

自分の価値観を否定される怖さよりも、知りたいという気持ちのほうが強くなった。私がとらわれている男性か女性かという価値観を押し広げてくれるんじゃないか、と期待していたのかもしれない。

調べると、当事者グループの交流会が定期的に行われていた。私はとりあえず、顔を出してみることにした。

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