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情報の終点にならない

「えっと……」
思わず、声が出た。信じられなかった。まさか。そんなはずは。心臓の鼓動が止まらない。

映画「何者」を見た後のことである。余韻で、視界が狭くなっていることがわかる。主人公の拓人に向けられていた言葉は僕に向けられた言葉だった。

“自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。だから私だって、カッコ悪い自分のままインターンしたり、海外ボランティアしたり、名刺作ったりするんだよ”

“いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない”

ネットサーフィンをしながら、なんとなく見ていた映画に引き込まれ、一人でいたにも関わらず、

「えっと……」

と声を出すのが精いっぱいだった。5年前のことだ。

5年後のいま、ふと、あのときの心臓の鼓動を思い出した。僕は「新春セミナー 絶対達成LIVE2022」に参加していた。ロジカルに、ときに熱く、受講者に対して、行動変容を促すセミナーだ。WEBセミナーで、講師の顔が見えるだけで、受講者の顔は見えない。ときどき講師から投げかけられる質問にチャットで回答する。

このセミナーは9年間開催してきて、全国各地を回り、ときには1,000人以上を動員してきたが、今回で終わりにするとのことだ。講義の途中、講師が言った。

「9年間、いろいろと試行錯誤してきたが、しっくりこないことがあった。受講者の方々が勘違いに気づくように、ときに熱い言葉で本質を語りかけてきた。一度、熱く語るというよりは、論理的に、役に立つ話をしたことがあったが、そのときのアンケートでは、『もっと熱い話が聞きたかった』という声が多かった」

僕はこの言葉を聞いたとき、
“こんなところで話を聞いているヒマがあったら、頭を使って考えて動け”
と言われている気がした。そしてそのとき、心臓の鼓動の高まりと同時に、「何者」を思い出したのだ。

「何者」を見てからの5年間。仕事ではそれなりに評価され、仕事外でも新しいコミュニティに参加し、世界を広げる行動はしてきたつもりだ。でも、相変わらず、どこか満たされていないのはなぜだろうか?

情報を手に入れようと努力はしているかもしれないが、カッコ悪いと思われることから逃げ、自分の言葉で表現することから逃げ、安全な場所でじっとしていたい。根っこの部分が変わっていないのだろう。でも、行動しなさいというセミナーに、自分の顔も相手に見せずに、じっと座って参加している自分の滑稽さにようやく気付くことができた。5年前、「何者」を見終わった後で「えっと……」と絞り出すのがやっとだった自分。

思えば、講師は講義のルールとして、「アウトプットすること」を求めていた。アウトプットせずに放っておくと、「何者」のように、いつまでも引っかかってしまうのだろう。いや、いつまでも引っかかってくれるならまだいい。日々の情報の多くは、引っかかりもせず、流れていく。それは、僕が情報の終点になっているということだ。
情報の終点になってしまいそうな情報からは距離を置く。そういう情報は遠ざける努力をする。

安全な場所から情報に触れるのではなく、自分の力不足や孤独を感じる場に身をおく。情報の終点にならないようにする。そんなふうにして、何者かになるための努力は継続したいし、努力し続けるべきだよなあ。

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