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映画「風の谷のナウシカ」について思うこと/みたあとの焦燥感
先日、Amazonのレビューがすべて消えていた。私の作品に対する評価がずべて高かった(ほとんどが満点)ので、サクラを疑われたのかもしれない。自分が感じていたことを思い出すために使っていたので、とても悲しい。「Yahoo映画」に過去に投稿したレビューも、いつ消されるかもしれない。なので「当時の気持ちを思い出せるレビュー」はNoteにも投稿して置こうと思う。とりあえず「風の谷のナウシカ」について、2020/12/27に「Yahoo映画」へ投稿したレビューを書いておく。
この作品を子供の頃に見た後、ずっと居ても立っても居られない気持ちを抱えることになった。今から思うと、きっと焦燥感に駆られていたのだと思う。
滅びの危機に瀕しながら、それでも戦争をやめない人間達。そんな絶望が蔓延する世界が、圧倒的な背景美術・音楽で表現される中で、折れない信念と行動力で真実に迫るナウシカの姿は、力強いけれど同時に切なく儚い。例えば、腐海に落下するバージの人たちに、マスクを外して微笑むナウシカの姿は「圧倒的に一人で戦っている感」で胸が痛くなる。敵対するトルメキアの人たちだけではなく、味方である城オジ達ですら、ナウシカの本当の思いを共有してはいない。ナウシカは孤高で孤独な戦いを足掻いている。
クシャナは、頭が切れるが人間の愚かさに諦めている人。風の谷の人は、善良な人だが人間が滅ぶ運命にあることを諦めている人。その中でナウシカは「あがく人」として描かれている。そのあがき方が壮絶で切なくて素晴らしく、子供の自分はその姿に衝撃を受けたのだ。好きとか憧れとかとは違う。それは、私も何かしなければいけないのではないか、という焦燥感だ。ナウシカとはぜんぜん違っていても、自分にもあがき足りていないものがあるんじゃないか、周りに流されて諦めていることがあるんじゃないか。
今はもう中年だけれど、あの焦燥感にもう一度会いたくて、きっとまた定期的にこの作品を見ることになるのだろうと思う。