「夏へのトンネル、さよならの出口」と「葬送のフリーレン」:後悔で前を向くための物語
「夏へのトンネル、さよならの出口」をAmazonPrimeで視聴。最近放映された「葬送のフリーレン」との共通点について、考えたことをメモしておく。
●強い後悔に駆動される物語
「夏へのトンネル、さよならの出口」の主人公である塔野は妹を失い、深い後悔によって生きる力を失って死に近接する。ウラシマトンネルは「死後の世界のメタファー」だ。しかし、その死への近接が生み出した「特別さ」が、花城(ヒロイン)を呼び寄せる。でも「妹」を取り戻すために花城を失い、再び深い後悔を経験する。この2度目の後悔によって彼は前を向き生きる力を取り戻す。この「後ろ向きの後悔」と「前向きの後悔」の2つによって物語は駆動していく。
「葬送のフリーレン」の主人公は、先立った勇者と旅した10年間で勇者のことを知ろうとしなかったことを後悔し涙を流す。その後悔が「かつての仲間たち」を動かし、仲間たちがお膳立てする形で、フリーレンは前を向く旅に出る。この二つの物語で共通するのは、「後悔」が物語を前に進める起点となっていることだ。
●後悔が他者によって前向きに変わる
塔野は「妹を失った後ろ向きな後悔」によって、花城の喪失という「別の後悔」を経験するのだけれど、この「別の後悔」を生み出し、気付かせるための装置としてウラシマトンネルが機能している。フリーレンも「かつての仲間たち」が、彼女を「後ろ向きな後悔」から、前向きな旅へ向かわせる役割を担っている。この、「後悔に暮れるどうしようもない状況」をゆり動かす他者(異物)というものが、もちろんとても重要な役割を担っている。でも私がここで注目したいのは「物語の起点」のほうだ。
●後悔から始まる物語のリアリティ
今の時代は、今を精いっぱい生きている実感が持てない時代なのではないかと思う。充実感が持てないことの裏返しがインスタ映え的なものの流行なのではないだろうか。「ちゃんと生きているのだろうか」という不安が大きなリアリティを占めている時代に、リアリティをもって心を揺さぶり物語を駆動できるものは、「理想」とか「強大な敵」とか「迫りくる危機」とか、そういう力強いものではなく「後悔」なのかもしれない。そして後悔を持ってしまうことは、確かに悪いことばかりではない。
●後悔のもつ力
後悔はひとの心を強く揺さぶることができる。その本質はきっと「悲しみ」にあるのではないかと思う。不安に勝つのは悲しみ、というのはありそうな話だ。悲しみの裏側には愛があるのだと思う。悲しむことができるということは、深く愛することができたということだ。塔野は妹を深く愛することができていた(無気力な時ですらできていた)。それは自分の中に「愛がある」という深い確信を生み出すことができる潜在能力があるはずだ。つまり、後悔を感じられることは「深く自分を許せること」を潜在的に含んでいるのだろう。少なくとも「後悔するかもしれない不安」より「後悔している状態」のほうが、前向きな状態に近い気もする。そんな「後悔」の持つ前向きな力について、私たちはもっと真剣に考えてもよいのかもしれない。