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『アオのハコ』6話/雛ってそういう奴じゃん。断ち切る言葉と覚悟について

アニメ『アオのハコ』5話視聴。雛の回。雛の気持ちにとても共感する回だった。そして彼女の覚悟が決まるまでのお話が良く出来ていて、色々考えさせられた。思ったことをメモしておく。

#ネタばれあり

●「叶わない願い」と戦うしかない雛
足を捻った雛は大喜の肩を借りて歩きながら「やめてよ、気づきたくないんだって」と心の中でつぶやく。雛は「好き」という気持ちを受け入れられずにいる。もし受け入れたら「自分を好きになって欲しい」と思ってしまう。でもそれは「叶わない願い」だ。
私たちは「叶わない願い」を心に持ちづづける強さを持っていない。叶うかもしれないというわずかな望みすら持てないとき、心は自動的にその願いから逃げ出す。雛の心は「叶わぬ願い」を持ちそうになっていることを察知して「危機回避能力」を発揮している状態と言えるだろう。でも雛は大喜の言うように「戦わずに逃げる自分を許せない」人間。自分のなかの「危機回避能力」がもつ「逃げる」という側面が許せない。話をまとめよう。

雛に限らず、私たちの心には「叶わない願い」を持たないようにする危機回避能力がある。でも雛の「逃げたくない性格」はそれに反抗する。

この矛盾する心の動きのせいで雛は調子を崩していたのだろう。大喜のことを目で追いながら、一人で頑張らないと、と言い聞かせる自分を、自分自身が許していなかったのだ。どこかで「ズルい」「正々堂々と戦え」と思っていたのだ。彼女は孤独を感じて苦しんでいた。でも彼女の苦しみは孤独だけではない。「自分が自分をちゃんと受け入れられていない辛さ」も大きかったはずだ。そしてそれを大喜に言い当てられる。雛という人間は「うまく立ち回って危機を回避する能力」と相性が悪い。こういう場面では、すごく割を食う性格なのだ。

●雛の勇気と「すがすがしさ」
雛の言うように、世の中には逃げた方がいいことが沢山ある。逃げることは悪いことではない。ちゃんと逃げられないことの方が大きな問題なのだ。そして実際、雛は千夏先輩に勝てないだろう。逃げた方が良いに決まっている。それでも雛は逃げられない人だ。雛の性格は、危機回避能力を上手く使えなくしてしまう。でもその代わり、負けると分かっている戦いに「臆せずに」向かって行くことができる。それは「勇気」と呼ばれるものだ。でもそれは勇ましいものというよりも、どちらかというと「諦め」に近いものだろう。私はこれまで「自分が逃げ出すことを許さない性格」を誇りに思ってきた。今回も逃げられないのは、その代償だ。諦めて受け入れよう。私はこれから「負け戦」をするのだ。そういう「すがすがしい諦め」のようなものが「勇気」の正体なのだろう。雛の良さは「逃げられない負け戦」を前にしても、ウジウジせずに「逃げられないことをちゃんと諦められる」すがすがしさにある。

●「断ち切る言葉」を言える大喜の能力
大喜の「雛ってそういう奴じゃん」という言葉で、雛は「勇気」を手に入れる。確かに私はそういう奴だ、と思って腹が座る。これは言葉の「切る」能力によるものだ。
あなたはXXXな人だ、と言われたとき、そう思える面と、そうでもない面の両方を人は持っているものだ。本当は、言葉で規定できるほど人は単純じゃない。だからそういう言葉は人を傷つけることもある。でも人は、言葉で規定されることで楽になることがある。何かを断ち切らないと前に進めない時がある。いくら考えても「埒が明かない」とき、覚悟を決めるしかない。そのとき、私はXXXな人だ、という言葉で「もやもやした気持ち」を断ち切るのだ。もしその言葉が腹に落ちるとき、覚悟は決まる。
大喜は雛に、そういう「断ち切る言葉」を与えた。それで雛の覚悟は決まる。大喜は「雛という人の本質」がちゃんと見えている人なのだろう。自分に向けられた雛の好意とかには気づかない。そういう心情には鈍い。だけど人の本質的なところが見えている。だからドキッとするような「切れる言葉」を言う。大喜は今回「切れる言葉」で雛を救った。でもそれは人を深く傷つけることもできるものだ。それは、彼の持っている優しさでは防ぐことが出来ない。「切れる言葉」は無意識に人を深く傷つけてしまうからだ。大喜の良いところが見えた回だったし、同時にそういう「大喜の能力の危うさ」も感じた回だった。

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