ガールズバンドクライ8話/私をあなたの思い出に閉じ込めるな
『ガールズバンドクライ』と言うアニメを見ている。8話は凄かった。自分にうそをつけない人にとっての「プロの世界」の残酷さ。そんな難しいテーマを扱ってるのに「あいまいな答え」に逃げずに、ちゃんとカタルシスがある物語になっていた。すげーよ。そしてなにより私も「殴られた」気がした回だった。感じたことをメモしておく。
●桃花への肩入れ
私はこの物語を「桃花の目線」で見てきた。桃花の「煮え切らない態度」にはちゃんとした理由がある。それは彼女が「過去の自分」と仁菜を重ねていて、仁菜がプロを目指すことに賛成できないから。プロになるとは「自分の気持ち」を最優先にできなくなること。それは仁菜のような「自分を曲げられない人」にとって、翼をもがれるようなこと。そのことを良く知っている桃花が、仁菜の暴走にブレーキをかけるのは自然だ。だから私は桃花を応援する気持ちだった。この状況で一番苦しいのは桃花で、仁菜はそれがちゃんとわかっていない。そう思っていた。
●仁菜の台詞に殴られる
でも8話を見て、私は仁菜の気持ちが全然わかっていなかったことに気付いた。分かっているつもりだったけど、それは薄っぺらな理解だった。だから仁菜の台詞に殴られたような気がした。
私はあなたの思い出じゃない。
あなたの思い出に閉じ込めないでください。
これは聞いている私も痛かった。私にも「閉じ込めようとしたこと」に身に覚えがあるからだ。どこにでもあるような話だ。
私は「自分の失敗」を他の人に繰り返して欲しくないから、誰かにアドバイスすることがよくある。でも結局「同じ失敗」をする人がいる。「だから言ったじゃん」と思う。ちょっとムカつく。「アドバイスを聞かない人」を肯定する気はない。それでも私の感じた「ムカつき」には良くないものが含まれている。仁菜が反発したものと同種なものがそこにはある。それを言語化するなら
「人に失敗させないためなら、人の自由を奪ってもよい権利がある」
という感覚だ。もしそれが「善意」や「愛」によって生まれたものだとしても、それは間違っている。人をコントロールしたい欲望が、そこには紛れ込んでいるからだ。人には「絶対に失敗すること」にだって挑戦する権利がある。そして「絶対に失敗することに挑戦して失敗すること」であっても、そこに大きな意味があったりする。
このとき仁菜が反発したものはきっと「パターナリズム」と呼ばれるものだ。私はその言葉を知っていたし、パターナリズムっぽくて(上から目線で)やだなぁ、と思うことが世の中には多いなぁと思っている。でも仁菜の言葉で殴られるまで、桃花の中にパターナリズム的なものがあり、それに仁菜が反発することを予想していなかった。つまり、仁菜ならこう感じるだろう、という気持ちが全然わかっていなかった。後から考えれば、仁菜なら絶対に反発するものだ。私には、私の嫌いなパターナリズムが染みついているのだろう。あーいやだ。
●仁菜が桃花に伝えたこと、そしてその凄味
仁菜の「思い出に閉じ込めるな」は私に刺さった。でも、仁菜が桃花に本当に伝えたかったのはそこじゃない。伝えたかったことを簡単に言うなら
桃花という人の中心にある気持ちは二つある
①自分にうそをつきたくない気持ち
②自分にうそをつきたくない人のための歌を、誰かに届けたい気持ち
①の気持ちは痛いほどわかる。
それでも②の方が、あなたにとって大事なんじゃないのか。
今の私は「あなたの②」から生まれたのだ。
いくら①のためでも②を捨てないでくれ。
と言うことになるのだと思う(勝手な解釈ですが)。これは「自分にうそをつけない人にとっての、プロの世界の残酷さ」に対抗する一つの答えになっている。桃花は単にビビっていたのではない。①と②は相互に矛盾しているので、桃花には答えが出せないのだ。仁菜はそこに「②の方が大事だ」という答えを出した。それは桃花をねじ伏せることができる答えだ。これは純粋にすごいと思った。仁菜の立場から言われた桃花はもう、やるしかないのだ。なぜなら桃花の歌によって、仁菜というロックモンスターがこの世に生まれたから。それはもう桃花の運命なのだ。こんなすごいストーリー、よく作ったな。マジで神。
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