ガールズバンドクライ11話/カタルシスのその先を描く
ガルクラ11話視聴。ライブちょー凄かった。でも私にはその凄さを文字にする能力はない。私が書きたいのは、これが最終回でないことについてだ。8話と10話は最終回でも良い内容だった。そして11話で「これ以上にないカタルシス」が描かれた。ちょー気持ちいい。でもその次の話のサブタイトルは「空がまた暗くなる」。あ、まだこの先を描く気なんだ。そして「まだその先を描くの?」と思った作品について思い出した。思ったことをメモしておく。(かなり勝手な妄想なので的外れかも)
●ここから「空が暗くなる」らしい
次回サブタイトル「空がまた暗くなる」RCサクセション。初めて聞いた。
清志郎はこんなことを歌っている。
こりゃ「カタルシスのその先」を妥協無く本気で書く気なんだろうなぁ。どこまでやる気なんだ、ガルクラよ。
●仁菜のこれまでの道、これからの道
仁菜は「いじめを受けたときの周囲の対応」に反発して、「桃花の歌」に背中を押されて飛び立った。そしてその力を証明してきた。桃花を前向きに変え、智を救い、父親と和解し、すばるも変えた。そして仁菜自身も、1話のときよりずっと前向きで明るくなっている。でも「間違っていないことを証明したい」という点では、1話から何も変わっていない。ブレない強さが仁菜の良さだ。そして11話までたどり着いた。仁菜は勇気を奮って飛び立ち、飛んで行けるところまで来た。そしていま、みんなで笑っている。
でも清志郎は歌っている。笑っていても隠すことのできない、暗く曇った空がやってきている。いじめを受けたときに飛び立ったように、また仁菜に「変われ」と言っているのだろうか。勇気を出せと歌っているのだろうか。まだ苦しむ必要があるのだろうか。それはあまりにも残酷なんじゃないか。そしてこの私の感情は、以前どこかで感じた感情と同じだと思った。それは「聲の形」という映画を見た時だ。
「聲の形」は衝撃だった。とても美しい映画。だけれど見るのが辛い映画。見るものをぜんぜん許してくれない。晴れた空はすぐに曇る。そして主人公には新たな勇気が必要になる。辛いことに立ち向かい続ける。でもそれが本当の私たちの日常なのかもしれない。そういう映画だ。
●空がまた暗くなる、という歌の持つ意味
私たちの日常で「空がまた暗くなる」からと言って、それをわざわざ歌う意味はあるのか。それをアニメーションで描く必要があるのか。そこは意見が分かれるだろう。現実から離れる歌も必要だから。でも少なくとも「空がまた暗くなる」ことを歌う意味はある。
RCサクセッションの歌のように、それが広く受け入れられるという事実によって、私たちは「空がまた暗くなる」とみんなが思っているのだと分かる。うすうすはそうだろうとは思っていたけれど、やっぱりみんなそうなんだと確信できる。「空がまた暗くなる」という運命で、私たちが繋がっているんだと感じる。ようやくつかんだカタルシスの先で、また曇り空がやってきて、ちょーやる気を失っているとき、負けそうになっているとき、でもしょうがないから勇気を出すか、と思えるかもしれない。
ちなみに、聲の形以外で「その先を描き続けた作品」を考えたとき、真っ先に思いつくものがある。「進撃の巨人」だ。こっちは日常から戦争まで「空がまた暗くなる」を続けた作品。3作品を並べて何か書いてみたい衝動に駆られているけど、私の能力が追い付かない。ので、また今度書けそうな気がしたら書こ。
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