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夏を感じる『マケイン』を『あの花』と比べてみる/幼馴染と新たな仲間

アニメ『負けヒロインが多すぎる!(マケイン)』の最終回が放映された。とても夏を感じる作品だった。夏を感じると言えば、個人的には『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(あの花)』だ。こっちも最近再放送されていた。この二つは共通する部分が多い。でも重要な点で違っていている。思ったことをメモしておく。

#ネタバレあり

●『マケイン』と『あの花』の雑な説明
『マケイン』は、友達ゼロの「ぼっち主人公」が、3人の失恋の目撃者となり、けっこう深く関わることになってゆく物語だ。よくできた群像劇で、この作品を見ていると、どうしても私は『あの花』を思い出してしまう。
『あの花』は2011年に放送されたアニメで、幼馴染たち5人(と幽霊1人)が、過去に抱えた「それぞれの問題」に向き合う物語だ。「泣ける作品」として有名だけど、泣けるとかそんなことより「とてもよくできた群像劇」だと私は思う。夏で思い出すのはこの作品という人は多い(たぶん)。

●「マケイン」と「あの花」の共通点
この二つの作品の共通点は多い。まず、夏の風景がとても美しくて、懐かしくて、胸を締め付けられる「切なさ」がある。山と川。青い空と白い雲。夕焼けと夏の夜。名前も知らない花がたびたび映し出される。恋愛は重要な要素だけど、それがメインじゃない。恋愛感情を持て余す私たちは、自分とは違う感性を持った仲間と、どう生きていくものなのか。そういう「夏を舞台にした群像劇」だ。
そして一番の共通点は、主人公が世界を閉ざした「ぼっち」として登場し、物語を通して世界が開かれてゆく様子が描かれる、というところだろう。でもその開かれてゆく方向は逆だ。どういうことか書いておく。

●幼馴染に向かう「あの花」と離れてゆく「マケイン」
マケインの八奈見に習って、人間関係を「幼馴染」と「新たな仲間(泥棒猫関係)」の二つに分けよう。そのとき、あの花は「幼馴染の方向」に向かって世界は開かれてゆく。でも、マケインは「幼馴染」に回帰せず、「新たな仲間」の方向に向かてゆく。この「大きな方向性の違い」にもかかわらず、どちらにも深く感情移入できるのはなぜだろう。
まず、幼馴染への回帰に感情移入できるのは分かりやすい。「あの花」の主人公「じんたん」は、幼馴染たちがすっかり変わってしまったと思っている。でも、重要なところは変わっていないことを知ってゆく。「ゆきあつ」は「俺たちは取り残されちまっているのだ」と言うのだけれど、それは誰にとっても同じだろう。みんな幼いころの気持ちを取り残したまま、形だけ「大人のふり」をして生きている。本質的なところは何も変わっちゃいない。それが私を含む多くの人たちの実感だろう。だから幼馴染の中に変わらないものを再発見することで、引きこもっていた「じんたん」の世界が開かれていく物語に、私たちは自然に感情移入する。そこに夏の風景はとても似合う。夏の風景は幼いころの記憶を思い出すからだ。
一方、マケインの「新たな仲間」方向の場合、私たちは何に感情移入しているのだろうか。そこに夏の風景が似合うのはなぜか?それは、私たちが感情移入しているのが「新たな仲間への道のり」ではなく「幼馴染的な関係の終わり」の方だから、だろう。だから「切ない夏の風景」が似合うのだ。
「あの花」で描かれる「幼馴染への回帰」は、現実の世界ではなかなか起きない。経験するのは「関係の終わり」の方だ。自分の中に「昔と何も変わっていないところ」を抱えながら、それでも「幼馴染的な関係」は終わってゆく。そして「新たな仲間」とつながりを作りつづける。それは、ある意味ではちょっと悲しいことだ。でもそのとき私たちは「終わってゆく幼馴染的関係」という共通の物語で繋がっている、とも言える。幼馴染から離れ、新たな方向にむかって歩き出す負けヒロインの姿は、その「孤独な私たちを繋ぐもの」を象徴している。だから、まるで自分ごとのように切なく感じる。他人事とは思えず、応援したくなる。私たちは、そういうタイプの感情移入をしているのだろう。

●「温水」という新たなヒーロー像
幼馴染を中心に、逆方向に展開していく「マケイン」と「あの花」。でもこの二つの作品の世界観は似ている。それは、私たちのなかの「幼馴染的なものへの憧れ」をベースにしているからだろう。じんたんは、幼馴染の安城が教室で孤立しているのを見て、自分の立場を忘れて安城を守ろうとする。温水は、八奈見の気持ちを理解していない草介に腹を立て、自分の立場を忘れて食って掛かる。それは「お前は幼馴染なのに」という反発だ。じんたんと温水の「ヒロインのために、われを顧みずに奮起する姿」は一見似ている。けどよく考えると少し違う。幼馴染を理解しているじんたんと、幼馴染が理解していないことに腹を立てる温水。私たちはその両方に共感する。それは「幼馴染への憧れ」が私たちの中に強くあるからだろう。だからこそ「幼馴染を持たず(今のところそう見える)、それに引け目をまったく感じていない温水」は、今までの「ぼっちヒーロー」とは少し違った、新たな「孤高のヒーロー」なのかもしれない。

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