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『アオのハコ』3話感想/爽やかな嫉妬とうなぎ説

アニメ『アオのハコ』3話視聴。主人公が嫉妬する回。なのに最後まで爽やかだった。リアルな嫉妬の描写は自分の嫉妬心を思い出させる。嫌な気持ちを思い出すはずだ。なのに、こんなに爽やかな気持ちで「嫉妬回」を見れるのはおかしい。そこには秘密があるはずだ。感じたことをメモしておく。

#ネタバレあり

●大喜という人間が分かる一言
主人公の大喜は、千夏先輩と針生先輩の仲が良くて嫉妬する。二人はお互い好きなのかもしれない。そう思うと、すべてがそう見えてくる。これは良くない流れだ。見ている私たちはそう思って身構える。でもその悪い流れは大喜の一言で断ち切られる。おれバド好きだし。
大喜はそういう人間なのだ。私たちはこの一言で「大喜の重要な部分」を分かった気がする。彼は大丈夫なヤツだ。

●うなぎ説と自己紹介
村上春樹の「うなぎ説」を知っているだろうか。普通の自己紹介というものでは自分の属性しか伝えられない。もっと知ってもらうことを望むなら、好きなもの(例えばうなぎ)について話すのがよい、と言う話だ。この説は説得力がある。好きなことをどう語る人なのか。そこに人柄がにじみ出る。確かにそんな気がするのだ。そして大喜は、好きなものをストレートに「好きだ」と言える人だ。それも、とても嬉しそうに言える。嫉妬に苛まれて自己嫌悪に陥っている最中でも、嬉しそうに言える。そういう人なのだ。彼は強い。そう私たちは確信する。

●うなぎ説と恋愛と爽やかさ
「うなぎ説」は、本当は単なる「自己紹介のコツ」ではない。人は二人で向き合っていると煮詰まる。そこに「うなぎ」なるものを引き入れて三者協議に持ち込むべきだ、というのが「うなぎ説」の本筋の話だ。そしてそれは大喜と千夏先輩の関係性に当てはまるものだと思う。彼らの関係性は煮詰まらない。そこには二人のほかに「部活」があるからだ。大喜の目線は「部活に向き合う千夏」に向けられている。それは大喜に対する千夏も同じだ。競技の違いはあっても「部活に向き合う姿」は自分と重ねることが出来る。自分と同じものを見ることもあるし、自分と違うものを見ることもある。
大喜がいつも見つめるのは千夏先輩が部活に向き合う姿だ。千夏先輩の目線の先に自分はいない。大喜は「自分をもっと見てほしい」と願わない。彼の願いはちょっと違う。千夏先輩が部活に真剣に向き合うその先に、自分の姿があることを願うのだ。千夏先輩が部活に向き合うことに対して、自分の姿がプラスになってほしい。励みになりたい。そういう三者関係のとき、嫉妬を感じてもその感情は長続きしない。それはきっと三者関係によって「相手を支配したい欲望」から逃れられるからだ。これが二人の恋愛関係が、煮詰まらなくて「爽やか」に感じる理由なのだろう。

●煮詰まる物語と、煮詰まらない大喜
物語は爽やかであればよいわけではない。煮詰まらないことは良いことばかりではない。私たちの人間関係には、ちょうどよい「うなぎ」がいないことがほとんどだ。私たちの人間関係は容易に煮詰まる。嫉妬は根深くなりがちなのだ。だから煮詰まった人間関係は、物語の重要なテーマになるものだ。煮詰まって、もうどうしようもないときに、思わぬところから「うなぎ」が現れて、煮詰まった関係が動き出す。大喜がその「うなぎ」になるような物語になっていくのかもしれない。(全然違うかも)


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