見出し画像

アニメ「全修。」2話/制作過程の絵が持っている力について

アニメ「全修。」2話視聴。一見コミカルで軽薄な物語に隠して「本当に伝えたい何か」があるのでは、と期待させてくれる作品。妄想的に考えたことをメモしておく。(ほとんどが勝手な妄想)

#ネタバレあり

●タイトルからの妄想(と勝手な期待)
本作品のタイトル「全修」とは「全部やり直し」のこと。アニメーターではない私たちでも、その言葉の持っている絶望と、ある種の期待感のようなものを良く知っている。そういう絶望と希望の二面性の中にはきっと「何か深いもの」があるはずだ(勝手な思い込み)。2話ではテンプレート的な物語が展開される。でもそこでは、私の気づかない何かが進行している予感がする。そういう期待を私は勝手にしている。

●ミサイル攻撃シーンと「表層と深層の二面性」
ナツ子は、転生した「滅びゆく物語」の世界で自分の力を証明するために、「空を飛ぶヴォイド」からアーニメーターの力を使って町を守る。そこで使われるのは追尾型のミサイルだ。そのシーンのアニメーションとしてのすばらしさはさておき、私が注目したのは、ナツ子の作り出すアニメーションが「制作途中の絵」で描かれていること、だ。それは、ナツ子が作り出したシーンであることを視聴者にわからせる効果があるのだろう。でも、それ以上の効果を生んでいたように私は感じた。どういうことか書いておく。

この作品でナツ子が転生した世界は、テンプレ的で表層的な世界だ。一見、とても底が浅そうな世界に見える。それでも、それをアニメとして表現する制作過程が「大変そう」なことは、私のような素人にも想像できる。それは「制作過程の絵」を見れば一目瞭然だ。「止め絵」自体が、いまにも動き出しそうな絵になっている。そしてその絵には「ちゃんと動いているように見せるために気を付けるべきこと」が色々メモされている。制作過程の絵にはそういう迫力がある。面倒くさそうなものが積みあがって、ようやく絵は自然に動く。表層的にみえる世界は、実際には表層的にはできていない。背後に大量の「時間の積み上げ」がある。そこには何かしら「影に渦巻いているもの」がある。一見くだらなそうに見えるものを時間をかけて一生懸命作る。アニメーション制作自体に、そういう二面性がある。ナツ子が作り出した「ミサイルでヴォイドを殲滅するシーン」には、それが制作過程の絵で作られていたことで、そういう「二面性の迫力」が込められていたように感じられる。あのミサイル攻撃をあんな感じでかっこよく、気持ちよく見せるのは、とても洗練された職人芸で、そんな芸当ができる人は、見る人が見れば憧れの存在であり、「滅びゆく物語」の「ナインソルジャー」のようなものなのだ。そういう説得力があったのではないか。そういう私の勝手な妄想を、ここにメモしておく。



いいなと思ったら応援しよう!