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アニメ「花は咲く、修羅の如く」/誰かの言葉を届ける、とはどういうことか。

アニメ「花は咲く、修羅の如く」を3話まで見た。面白い。そして、これからもっと面白くなりそうだと期待させる。何が良いか。まず、アニメに出てくる文庫本の再現度が異常に高い。文庫本が読みたくなる。そしてエンディングがとても良い。自分勝手に感じたことをメモしておく。

#ネタばれあり

●誰かの言葉を届ける、というテーマについて

この作品は、主人公の花奈が高校の放送部に入り、朗読に打ち込んでゆく話だ。放送部と朗読。どちらにも興味がない人が大半だろう。私もそうだ。演劇部ならドラマになりそうだが、放送と朗読は「自分を消すこと」が必要とされるものだろう。そこにいったいどんなドラマが生まれるというのだろうか。そういう偏見が私にはあった。でもそれは、あまりにも表層的な物の見方だった。「誰かの言葉を届ける」とは何か。その問いの中に、どれだけ多くの「感情を揺さぶる要素」があるのか。思い知らされることになる。

●声の力を思い知るエンディング曲「朗朗」

エンディングで流れる「朗朗」の声の力は、とても胸に来るものだ。私はエンディングを聞いて、より作品に惹かれたのだと思う。

例えば、ここの歌詞。

それでいいなら、それでいいけど、
そうじゃないなら、今、覚悟を

さとう。『朗郎』より

この、どちらかと言えば低温に感じられる言葉。でもこれは「さとう。」さんの声で発せられると別の意味を持つ。ささやくような優しい歌声で聞くと、優しいのに「そうじゃない人」の胸をえぐることができる。「声の力」を改めて思い知る。声の力は言葉に「別の意味」を持たせることができる。そんな、一見陳腐に聞こえることを実感させられる。そういうエンディングなのだ。

●花奈の抱える問題と、踏み出すきっかけ

このお話で主人公の花奈は、朗読のことは大好きなのだけど、人と競いたくはないと思っている。
好きなだけでダメなのか。人と競いたくないのはダメなのか。
これが3話までの花奈が周囲に問いかけ続ける問いだ。私を含めた多くの人はこう思うだろう。「好きなだけでよいはずだ。やりたくないことを無理してやる必要はない。」でもこの作品では別の答えが用意されている。それがさっきの歌詞だ。
それでいいなら、それでいいけど、そうじゃないなら、今、覚悟を。
私の浅い答えには何が足りなかったのか。それは「人の気持ちは一つじゃない」ということだ。花奈が「人と競いたくない」と思う気持ちは本当だ。でも、花奈はそれでいいと思っていない。花奈の中で二つの気持ちが戦っている。だからこそ、周囲に問いかけていたのだ。今の私ではダメなのか、と。ダメだという自分がいるから苦しかったのだ。
でもここで私は違和感を感じる。では花奈は「本当は人と競いたいと思っている」のだろか。いや、それは違う。彼女は他人に勝つことを求めるタイプではない。では何を求めているのか。その答えを放送部の先輩である瑞希が言い当てている。花奈は西園寺修羅を見て目の色が変わった。花奈が求めているのは、彼女のようになることだ。誰かに勝つことではない。でもそこを目指すなら誰にも負けられない。だから、勝たなければいけない、のだ。こうして「他人と競争したくないが、それでよくない花奈」ができあがっていたのだ。
そのことを思い知ったのなら、やらなければいけないのは「今、覚悟を」だ。人の覚悟とは、どうしたら決まるのだろうか。どうしたら恐怖の中を一歩進めるのか。3話で瑞希が花奈に伝えた方法は「自分の気持ちをなかったことにするな」と「お前を信じる私を信じろ」の二つだ。これは、そうだよなぁ、と深く納得させられるものだ。自分の中に「確かなもの」があり、誰かも「それ」にちゃんと気づいているとき、人は覚悟が決まるのだろう。

●誰かの言葉を届ける、とは何か

朗読の本質は、誰かの言葉を届けるために、誰かの言葉と向き合うこと、なのだろう。誰かが残した言葉と真剣に向き合うと、そこには、やはりその言葉に向き合った人々が見えてくる。例えば、宮沢賢治の「春と修羅」は難解な文章で、どういうことかを知ろうとすると「そこにある賢治の気持ちを知ろうと向き合ってきた人」がたくさんいることを知ることになる。その人たちはみな、自分なりの「春と修羅」を作り出している。もちろん、共通の解釈の方向性はある。でもそこに悲哀を見るのか人間愛を見るのか、そこは人それぞれだ。でもここで大事なのは「自分バージョン」を作ろうとはしていない、ということだ。賢治の言葉のオリジナルの含意を、そのまま掴もうと必死で足掻くことで、どうしても自分の何かが、そこに入り込んでしまう。決して完全に透明な存在にはならない。そこに意味を追加してゆく。伝えようとする行為が、そこに何かを足してい行く。そして「文庫本」というものには、まさしくそういうエモさがある。脈々と伝えてきた人々の思いがそこに透けて見える。だからこの作品のなかで「文庫本」が異常な再現度で登場するたびに、そうそうそこだよ、わかってるなぁ、と感じてしまうのだ。

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