Letter7 大学三年生の冬〜編入試験の勉強を始めた私へ〜
もう一度。
別の方法で。
今度は、
編入を目指そう。
動き出したのは、大学三年の秋頃だった。
私はまず、予備校を探した。
編入試験の試験科目は、小論文と面接。
大学によって、英語や自然科学の出題もある。
小論文と面接・・・
それならいけるかも。
正直、そう思った。
倍率は当時で10〜13倍。
実施大学は8校。
どの大学も50〜60人受験し、
合格者は5人。
受かってから初めて聞いた話だが、
倍率を聞いた母は、さすがに無理だと思ったそうだ。
受験するのは、名だたる大学の卒業生。
その中で5人。
そこに入る・・・
さすがに無理だと・・・。
それでも、
母は全力で応援してくれた。
いざ予備校探しをはじめると、
編入試験対策をしている予備校はとにかく少ない。
しかし、
自分だけでは何をすればいいのかわからない・・・。
独学という選択肢は私になかった。
編入対策をしている予備校を見つけては、問い合わせた。
何件か問い合わせたが、どこもピンと来なかった。
とりあえず、一番大手のところに行こうかな・・・。
そう思っていた。
ただ、
一件だけ、メールの返信がない予備校があった。
返信がこないならもういいや。
そう思いながらも、
どうしても気になる。
1%の違和感。
重い腰を上げて電話をしてみた。
「お電話下さって良かったです!」
事務の女性が言った。
どうやらメールが返信エラーになっていたらしい。
色々話を聞いて、
ここなら受かるかもしれない・・・
初めて胸が高鳴った。
しかし、
費用を聞いて愕然とした。
無理だ。
母にも話した。
やはり費用が心配そうだった。
それでも、私がやりたいならできる限りサポートすると言ってくれた。
好きな仕事をやりなさい。
つらいこと、苦しいことがあっても、好きだから乗り越えられる。
好きだと思う仕事に就きなさい。
物心ついた時からの、母の教えだった。
私はその予備校に通うことにした。
通常週2回の授業を月1回にしてもらい、
大量の宿題をもらって家で進める。
アルバイト代は全て、予備校の授業料や本に使った。
本は古本で手に入れた。
先生方も理解して、サポートして下さった。
昔から文章を書くのは得意だった。
いけると思っていた。
忘れもしない、最初に提出した文章。
「これは・・・相当頑張っていただかないといけません。」
先生の言葉を聞いて、一気に現実に戻った。
甘くない。
予備校に通わなければ、
私は間違いなく受からなかった。
そこから、徹底的に文章の基礎を勉強した。
組み立て、論点、語彙力、表現力・・・。
一般入試でなぜ受からなかったのか。
その時はもうわかっていた。
答えは一つ。
「現実をよく見ていなかったから。」
ごくごく、当たり前のこと。
私はできない自分から目を逸らしていた。
できないことが怖かった。
自分はできると思いたかった。
できるつもりになっていた。
だから、
できないことは全て書き出す。
そして、確実にできるようにする。
覚えていないことは覚える。
頭に染み込ませる。
何があっても確実に出せる・・・
そう確信できるまで。
最初は、課題文の意味すらわからなかった。
先生から渡される本は、これが日本語かと疑うほど難解だった。
わからない言葉は全て調べ、文脈ごと書き出した。
それを今度は自分が使えるように、何度もアウトプットの練習をした。
先生の書いた論文は、音楽のように出てくるようになるまで、何度も音読した。
表現を全て自分のものにしようとした。
習った論点は、テーマを見ただけですぐに組み立てが浮かぶように、何度も書いて練習した。
学ぶは真似る。
覚える。
ひたすら覚える。
覚えてなければ、意味がない。
出せなければ、意味がない。
文章も、語彙も全て隠して、
ひたすらアウトプットの練習をした。
必死だった。
でも、
楽しかった。
文章を学ぶこと。書くこと。
新しい論点。新しい知見。
今まで考えたこともないような視点が、自分の中に入ってきた。
物事の捉え方が変わった。
予備校の授業が終わると、毎回母に電話した。
母は興味深そうにいつも私に聞いてきた。
「今日はどんなこと教わったの?」
私は習った内容を母に伝えた。
母はいつも楽しそうに聞いてくれた。
知識や学力以外にも必要だと思った。
本番に強くならなければ。
そう思って、沢山の本を読んだ。
「夢を叶えるには・・・」
「手放す」「何度も想像する」「潜在意識」「灯台の時間」「いいこと日記」「今を見つめる」・・・
数え切れないほどの方法。
そんな本を読むだけで、ワクワクした。
あの時とは違う。
今回は無理なく、楽しく進められている。
少しずつ階段を登っている気がした。
受験に指定の単位が足りない大学も受験するために、放送大学にも通った。
そうしているうちに半年が過ぎ、
試験まで2ヶ月となっていた。
自分は大丈夫なのだろうか。
不安だった。
自分のレベルが知りたかった。
そんな時、先生から
「小論文はもう十分大丈夫」
と言われた。
・・・私なんかが、本当なのだろうか。
半信半疑だった。
耳に入るのは、尻込みするような経歴の受験生の話。
授業量も少なく、経歴も及ばない私が、5人に入れるのか・・・。
ずっと不安があった。
いつのまにか、
私は大学四年生になっていた。
卒業研究。臨床実習。国家試験対策。アルバイト。編入の勉強。
そんな生活をしていると、
ついに6月。
編入試験が始まった。