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【相談回答】罪悪感で苦しい時のとらえ方と対処法/介護中の親に対する罪悪感と複雑な気持ち

心理カウンセラーの飯道さくらです。

本日はココロノマルシェに寄せられたご相談にお答えしますね!

ご相談文はこちら
まーさんからのご相談です。

介護中の親に対する罪悪感と複雑な気持ち

40代長女、両親とは離れて住んでいます。
隣県ではありませんが仕事の出張や旅行で考えると、日帰りでは行ける程度の距離です。

介護を必要とする病気にかかっている父と、その介護を自宅でする母に対する気持ちについて相談したいです。
特に母に対してです。

自分だけ呑気に暮らしている罪悪感と同時に、過去のわだかまりから距離を置きたい気持ちもあり、苦しいです。

母は、特に精神疾患があるなどではありませんが(診断を受ければ何かでるかもしれませんが)、
自己肯定感が低く、誰かの役に立っていないと自分の価値が感じられないと思われるような自己犠牲の精神が強いです。
自分にかける負荷を自分で調節できず、ストレスを溜めまくった末に私が愚痴を聞く、というのが幼い頃からのパターンでした。

元からそのような性格なところに父の病気が発覚し、
足腰が弱っていく症状で介護認定は限界まで来ており
認知症まではいかないものの、コミュニケーションもハキハキとはできなくなりました。

私は自宅での介護は難しいのではないかと思いますが、母は寝る間も惜しんで毎日介護をしています。
良いのか悪いのか、それができてしまう体力と忍耐力があります。
介護の相談を受けられないのか聞いてみても、ケアマネさんに提案されてもお父さんが嫌がるからとか、施設はお金がかかるからとのらりくらりされます。
「お金がない」が口癖ですが、何がどのくらい足りないのか聞いても明確に答えは返ってきません。

私から見ると、父が苦しい思いをしている横で母が自分らしく暮らすというのが罪悪感が強すぎてできないのだろう、というのと、
世話をする対象がいなくなることのほうが恐怖なので、しんどい思いをしてでも父と一緒にいたいのだろうと思います。
それにいろいろと理由をつけているだけに見えます。
(罪悪感の母子連鎖ですよ…まったくもう…泣)

というわけで、母は解決をしたいのではなく私に話を聞いてほしいだけなのかもしれませんが
私は相手が誰でも全般的に解決する気がない人の話を聞くのが苦手で(男性性強いです)、また、しんどい思いをすれば娘に話を聞いてもらえるという、ねじれた愛の要求を助長するのではないかとも思い、あまり話を聞きたくないなというのが正直なところです。

「お母さんは立派な大人だから自分で解決できるよ」という考え方も学びましたが、
どのくらいの年寄りにまで適用していいものか、迷ってしまいます。

その一方で、私の「子どもの心」が消化しきれてないような気もします。

両親の近くに住んでいる妹がおり、妹と膝を突き合わせて話したことはないですが
妹は私よりも冷静な見方をしている気がします。
近くに住んでいるから必要な時は手を貸すし、大丈夫だと判断した時は妹自身の生活を大事にする、という腹がすわった対応で羨ましいです。

私だけ、遠くでなんの役にも立たないのに1人で悶々として
ゆるやかに体調も悪くなって、意味ないじゃん、と思ってしまいます。
手を貸したいのか貸したくないのかわからず気持ちがグチャグチャです。

日本各地で大きな天災があった時も、自分は被災していないのに不安や罪悪感を感じやすいです。
私1人がこんなところで悶々としたり自粛したりしても意味ないし、それならもっと生産性のあることをしなよ、と自分で思うのですが…

そんな感じで相手が親に限らず私はそういうところがあるので、
罪悪感が強くなればなるほど行動ができなくなって、場合によっては更に罪悪感を強めることになる、
こんなところも直したいなぁと思っています。
誰かのためというより、私自身の人生をもっと生きたいです。

何かご意見、アドバイスありましたら教えて頂きたいです。

まーさん、こんにちは。
ご相談をちょうだいしてから1ヶ月以上も経って、いまさらで恐縮です。

もうとっくに心が楽になっていますでしょうか?
であれば本当に何よりです。

罪悪感、罪悪感、とタイトル本文含め7回も罪悪感という言葉が出てきておりまして、罪悪感まみれカウンセラーの私が吸い寄せられてしまって、どうしても回答差し上げたくなった次第です。笑。

私もまーさんと同年代。
父も認知症の症状が進んできているようで、親の介護の話も他人事ではありません。そういう年ですよねぇ。わかりますー。


ご相談文を拝見しまして、まず一番に感じるのは、
「いやー、すんごい愛の洪水…」
ということです。ご相談文の中には愛しかないと感じます。

まーさんは、愛の大きな方なんですね。お母さまもそう。
その愛に罪悪感だの自己犠牲だの、色々なものをひっつけてややこしくしちゃっていますから、まずはシンプルに整理しましょう。

そして、まーさんが自分自身の人生を生きるための心の整え方をお伝えしますね!


罪悪感と同じだけ愛がある


罪悪感の裏には同じだけの愛があります。
愛が大きければ大きいほど罪悪感も大きくなります。

というのはご存知でしたでしょうか?

ご相談文の中にはまーさんの罪悪感であふれていますから、これは愛があふれているということです。

自分がこれだけ罪悪感を感じてしまうのは、これだけ悩んで苦しんでいるのは愛ゆえなんだ、ということを一度ご認識くださいませ。

その方が少し心が楽になるはずです。


ご相談文を読む限り、お母さまも罪悪感まみれ。

罪悪感というのは自分を責める感情ですし、自分何か迷惑だ、そんなふうに感じる感情ですから、ひねくれちゃいますね。

愛を素直に愛ととらえないで、ねじ曲がった表現をしたり。
ごめんなさいと言うところで、それが言えずに逆に憎まれ口をたたいてしまったり。

お母さまがそういう方だったので、子供の頃から罪悪感を通したコミュニケーションが普通だったのかな?と感じます。


罪悪感で物事を見ると色々苦しいですね。
罪悪感があると、心を相手から離せません。つねに相手が頭の片隅にあるような状態でひっついてしまって、自分の自由がなくなってしまうんです。

まずはそれを、愛としてとらえ直す。
愛は自由です。必要なときにそばに行き、そうじゃない時は自由に過ごせる。


妹は私よりも冷静な見方をしている気がします。
近くに住んでいるから必要な時は手を貸すし、大丈夫だと判断した時は妹自身の生活を大事にする、という腹がすわった対応で羨ましいです。

この妹さんの対応がまさに「愛」ですね。
まーさんと妹さんはどちらも根底に大きな愛がありますが、それをどうとらえているかで感じ方が違うんです。

少し、抽象的な説明ですが伝わりますでしょうか…?

まずは、「ああ、私がこんなに苦しいのは、それだけ家族を愛しているからなんだな」と思っていただくだけで大丈夫です。

今回のご相談も、本当にシンプルにそぎ落として愛だけ残せば「お母さん、体大丈夫?心配だよ」ということなのではないかと思うんです。


お母さんの気持ちを背負いすぎない


私のクライアントさまは、マーさんと同じ、愛たっぷり罪悪感たっぷりの親子関係の方がとても多いです。

私自身がそうだったので、引き寄せられてくるんだと思います笑。

そういう方に特徴的なのが、お母さんの気持ちが自分の気持ちに入り込んでしまうという状態です。


今回のご相談、まーさんの身に実際に起きて困っていることは

というわけで、母は解決をしたいのではなく私に話を聞いてほしいだけなのかもしれませんが
私は相手が誰でも全般的に解決する気がない人の話を聞くのが苦手で(男性性強いです)、また、しんどい思いをすれば娘に話を聞いてもらえるという、ねじれた愛の要求を助長するのではないかとも思い、あまり話を聞きたくないなというのが正直なところです。

ここだけですよね?

この問題の解決法は「解決する気がない愚痴を聞くのが苦手だから、そういうのはやめてくれる?」「解決したいと思っての相談ならいくらでものるから言ってね」と伝えて、愚痴は相手にしない、です。

ただ、ご相談文がこれだけ長くなってしまうのは、お母さんの気持ちを想像したり、その想像による罪悪感で苦しくなっているからですね。

まずはこの、お母さんの気持ちと自分の気持ちを線引きしましょう。


そのために、お母さんの気持ちについて、まーさんが楽になるとらえ方をご説明しますね。

母は寝る間も惜しんで毎日介護をしています。
良いのか悪いのか、それができてしまう体力と忍耐力があります。
介護の相談を受けられないのか聞いてみても、ケアマネさんに提案されてもお父さんが嫌がるからとか、施設はお金がかかるからとのらりくらりされます。

まーさんが、この部分に心を乱されるのは、お母さんの心と体が心配だから、というのはご自分で気づいていらっしゃいますかね?愛だなーと思います。

ただ、寝る間を惜しんで介護をするのはお母さんの選択ですよね。
周囲から必要な提案はされているけれど、お母さんはそれを選ばないだけです。体力と忍耐力もある。だから大丈夫。

私から見ると、父が苦しい思いをしている横で母が自分らしく暮らすというのが罪悪感が強すぎてできないのだろう、というのと、
世話をする対象がいなくなることのほうが恐怖なので、しんどい思いをしてでも父と一緒にいたいのだろうと思います。
それにいろいろと理由をつけているだけに見えます。

このように、まーさんはお母さんの気持ちを罪悪感フィルターを通して見ていますね。

だけどシンプルに、お母さんの行動の理由は「愛」なんだと思ってください。お父さんへの愛です。

愛の方を見ていただくと、「お母さんがやりたくてやってるんだから、本当に体がだめになってSOSが来るまでは、私も最低限できることだけしてほっとこう」という妹さんのような態度でいられるのではないかと思います。


「お母さんは立派な大人だから自分で解決できるよ」という考え方も学びましたが、
どのくらいの年寄りにまで適用していいものか、迷ってしまいます。

私の見解ですが、これは死ぬまで適用です。

「自分で解決できるよ」というのは相手の選択に対する信頼です。

もちろん、求められたら手を差し伸べるのもいいですし、必要だと思った助言はする。
だけど、最終的には他人の人生ですから、他人の選択に任せる。

自分がその他人の気持ちまで背負う必要はないんですね。


まーさんはそうやって、他人の気持ちを背負ってしまいがちなので

日本各地で大きな天災があった時も、自分は被災していないのに不安や罪悪感を感じやすいです。

という状態にもなりますね。

線引きができたほうが楽になりますので、まずは、お母さんの気持ちとの間に境界線を引くアファメーションをご紹介しますね。

「私は私、母は母」

時間があるときにこれをぶつぶつ唱えてください。

ぴったりくっついて身動き取れない自分が、お母さんと離れて自由にのびのびと動き回れる、そんなイメージを持ってみてくださいね。

母の部分を何か他のものに変えてもOKです!


私自身の人生をもっと生きるために

誰かのためにがんばりすぎてしまう。
罪悪感で自分のやりたいことよりも誰かのためを優先してしまったり、他の誰かの気持ちを背負いすぎてしまったり。

これは子供の頃から作ってしまった心の癖が関係しています。

その一方で、私の「子どもの心」が消化しきれてないような気もします。

これに気づいているのは素晴らしいなーと思います!

小さい頃からいっぱい我慢して見ないようにしてきた気持ちがたくさんあるんじゃないかと思います。

気づいてあげるだけでも少し楽になりますよ。

自分の心と対話するにはノートを使います。

今でも覚えている子供の頃のエピソードがあると思います。
それについて、感じたことなどを色々ノートに書いてみてください。

あの時、寂しかった。
あの時、もっとわかってほしかった。
あの時、もっと甘えたかった。

そういう気持ちが出てきたら、そう感じていた当時の自分の気持ちに寄り添ってあげてくださいね。

よくがんばったねー
あの時寂しかったんだねー
などなど。

ずっと見ないふりしていた気持ちを大人のまーさんが抱きしめてあげることで、少しずつ消化されていきますよ。


お母さんとの関係から起こる問題は、ちょっぴり厄介なときもありますが、でも向き合うことによって、色んな気づきとか変化が起きるのも事実です。

よろしければカウンセリングにもお越しくださいね。
第三者と取り組んだほうが、圧倒的に速いと思っています。

自分自身も罪悪感まみれ、母との問題と向き合い続けてきた私ですから、お力になれると思います。


【2023年10月~、カウンセリング実績延べ150人以上】
日程の調整も可能ですので、ご希望の方はご連絡ください。

よくあるご相談例:

・自分を好きだと思えない
・自分に自信がない
・自分に価値があると思えない
・自分責めがやめられない
・仕事が楽しくない
・ハードワーカーで燃え尽きそう
・やりたいことがわからない/みつけたい
・人づきあいが苦手/いつも孤独
・母親・パートナーとの癒着問題
・アルコール依存
・過食嘔吐


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YOUTUBEライブ出演動画(動く私)


2024/5/19(日)師匠のYoutubeライブ企画に参加。

第一部テーマは「自己肯定感」。後半から1時間ころから出演。


第二部テーマは「ライフワーク」、こちらも後半から1時間ころから出演。


2024/7/7(日)師匠のYoutubeライブ七夕企画に参加。

出演タイムは下記です。

1:29:55 特別企画「あなたの夢、応援しますっ!!!!!」Part.1
4:09:18 特別企画「あなたの夢、応援しますっ!!!!!」Part.2
6:30:00 特別企画「あなたの夢、応援しますっ!!!!!」Part.3


2024/9/16(月祝)ラジオな時間!特別企画


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