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幸せになる魔法
最近、娘(小2)に言われてすごく驚いたこと。
「ねえ、ママ、今度いつ、お仕事忙しくなくて遊んでくれるの?」
これを言われたのは就寝前のベッドの中。その日は子供の洋服や自転車を買いに行ったり、子供の食べたいものを食べに連れて行ったり、お祭りに連れて行ったり。朝から晩まで子供の希望を叶えるために時間を使ってへとへとになっていた日でした。
娘に聞くと、どうやら、遊園地に行く、とか映画を見に行く、とかイベント感のあるお出かけ=遊んでくれた、という認識の様子。
娘が思う愛(=遊んでくれた)と、私が思う愛(=遊んであげた)の形が全然違っていてびっくり。このままだと娘は将来、「母は仕事が忙しく、ほとんど遊んでくれなかった」という寂しさを抱えてしまうかもしれない。そう気づいてちょっと慌てました。
この「私の思う愛の形」と「相手の思う愛の形」が違う問題、それによって愛を正しく受け取れず関係性がこじれちゃう問題、は全ての人間関係にしょっちゅう起こることですね。夫は家族のために稼ごうと思って残業しているのに、妻から見ると家庭をないがしろにしているように思える、といったような…。
↓このおもちゃを思い出しました…。
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「母への感謝100個」を書き出すワーク、とかをやっていると、最後は絞り出すように感謝を見つけるんだけど、でもそうか、これって気づいてなかったけど母の愛だったんだなぁ…ってそこでようやく気付いたりします。愛の形が私が望んでいるものと違ってたから見過ごしちゃっていた。単純にもったいなかったなぁ、なんて思うんです。
娘が思う愛の形、遊園地や映画館にはもちろん連れて行くのですが、でもそうしょっちゅう連れて行けるわけでもなく。なので日々の小さなことを、これもママの愛だよ、と娘にちゃんと伝えていこうと思います。
私の愛をわかってね!ということではありません笑。いろんな形の愛に気づくこと、それを愛として受け取ること、が当たり前の人生になるといいなーと思うからです。
かくいう私もつい最近まで、私の思う形じゃない愛なら必要ないわ!なんて受け取らなかったくせに、「私は孤独だ、寂しい」なんて1人ですねたりしていたのでした。それが今は、たぶん愛じゃないかもしれないものまで愛として受け取る構えです。太陽が東から昇るのも、月の満ち欠けも、季節の移ろいも、すべて私への愛なんだよね、という姿勢です笑。
自分が受け取り方を変えれば、こんなにも世界が愛であふれだす。ちょっと考え方を変えるだけ。だって世界を作っているのはあなただもんね。簡単なこと。
幸せになる魔法、ってこういうやつなのかもね。
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