1月「雛菊の願い」②
今日も彼に相応しい女性になるために、少し背伸びした大人の女性の格好をして、化粧もして、ちょっとだけ高いヒールの靴を履く。いつも通り駅で待ち合わせをして、彼を待つまでの間に何度も鏡でチェックして、最後にリップを塗り直す。そうして何度目かのリップを塗り直した後に、向こうから少し速足で歩いてくる彼が、こっちを見ながら手を挙げて近寄ってくる。
「ごめん、仕事が長引いた。随分待たせたかな」
「いいえ、大丈夫です。待ってる間も楽しみだったから、全然苦じゃなかったし。それにこうして早歩きで近寄ってくるの見るの、凄く好きだから」
「えぇ? こんなオジサンが汗かいて、必死に走ってるのが好きなの? 君みたいな綺麗な子がそんな風に言ってくれて嬉しいけど、何だか申し訳ないなぁ。ああ、そうだ。いつものこれ、今日は握りしめて来たから…傷んでないか心配だけど…」
彼は胸ポケットから出したハンカチで、自分の汗を拭いながら、少しだけ照れた様子で私に花を差し出してくれる。あの日からずっと、待ち合わせの度にその習慣は続いていた。彼が選んでくれる花はいつも大人の女性仕様で、その中でも一番多いのはバラの花だった。彼がバラの花を買う情景を思い浮かべる。きっと花屋でも彼はスマートにバラを手にして、会計をする。そして包んでもらったバラを手に颯爽と歩く姿を想像すれば、誰よりもバラが似合うのは彼だと思う。そんな大人な男性の隣に立つために、私は今よりもっと頑張って相応しい女性になりたいと強く思った。
彼のデートはいつも大人なプランだ。駅で待ち合わせて、彼のおススメの店でディナーをする。帰り道は少しだけ歩いて夜景を楽しむ。駅まで送ってくれて、家に到着する頃におやすみメールが届く。会う度に好きになる、離れる度に恋しさが募る、そしてまた会いたくなる。この恋に際限なんてあるんだろうか…?
ある日の学校帰り、母からのメールが届く。どうやらおばあちゃんがぎっくり腰で動けなくなったらしく、おばあちゃんの家に居るらしい。おばあちゃんの家は、幸い学校からも近かったので、お見舞いがてら様子を見に行くと、なぜかおばあちゃんの家から出てきた男性と鉢合わせた。
「あれ? 学校からの帰り道? もう高校生になったんだ」
彼は一人暮らしのおばあちゃんの隣に住む大学生で、おばあちゃんと懇意にしていて、おばあちゃんの茶飲み仲間だ。おばあちゃんの家に遊びに行く度、何度か顔を合わせたこともあり、会話をするくらいには顔見知りだった。なぜぎっくり腰で動けないおばあちゃんの家から彼が出てきたのか不思議に思っていると、母親が続けておばあちゃんの家から出てくる。話を聞いていると、どうやらおばあちゃんを助けてくれたのは彼らしい。母親はお礼と言って、彼にいくつかおかずを持たせていた。彼は母親にお礼と挨拶をして、それから帰る前に私にも挨拶をしてくれた。母親はようやくそこで、家の前に娘が居ることに気づいたようだった。
「あら、姫奈(ひな)居たの?」
「うん、今学校帰りに来たとこ。彼がおばあちゃんを助けてくれたの?」
「そうなの。彼が居てくれて本当に助かったわ。ご飯を食べていかないって誘ったんだけど、これからお店に行く時間みたいでね。困ってる時はお互い様だからって…ホント、良い青年だわ~。うちの息子になってくれないかしらねえ…」
そういえばおばあちゃんもよく、「うちに来て欲しい」とか言ってた。確かに彼は世間でいうところの好青年というやつだ。話し方もおばあちゃんとのやり取りを見ている感じだと、物腰が柔らかそうで優しそうな人だ。大学生だと聞いていたのに、母親の口から出た「お店に行く時間」が少し気になったけど、きっとバイトが何かだろうと思って、深く追及はしなかった。けれど彼のこととお店のことは、意外とすぐに私の知る所となった。
彼との待ち合わせはいつも私の最寄駅だったのに、たまたまその日は彼の仕事先の最寄り駅で待ち合わせることになった。電車に乗り継いでいくと、オフィス街に近づいたこともあり、待ち合わせた駅の周辺には、格好だけの私とは違う、大人の女性や働く女性の姿ばかりが目についた。その中には夜のお店に向かう、少し派手な格好をした女性たちも居た。彼はこんな女性たちに囲まれて仕事をしている…そう思えば、格好だけ大人の女性に見せかけている自分が急に恥ずかしくなった。でもすぐに大人になることが出来ない私にとって出来ることといえば、この女性たちと並んで歩いても可笑しくないくらいの見栄えにしなければ…と、結局見た目をどうにかすることしか思いつかなかった。でもそれなら化粧だって、身に着けるアクセサリーだって、雑誌のモデルさんを見て研究するよりも、目の前の女性たちを見て真似するしかない…そう思い、なるべく変に思われないように、女性たちを観察する。口紅はもうちょっと紅い方がいいかもしれないとか、髪型も巻いた方が大人っぽく見えるかもしれないとか、服装だってオフィス街に立ち並ぶ店で買った方がいいかもしれないとか…そんなことを考えていると、私の横を通り抜けていく人たちの中で、ただ一人立ち止まった人が居た。視線を感じて振り向けば、そこに居たのはおばあちゃんの茶飲み仲間でもある、隣の家の大学生だった。
「姫奈ちゃん…だよね。何ていうか…どうしたの? こんなオフィス街でその格好は…待ち合わせ?」
彼は私の姿を見て、驚いていた。それもそうだろう、彼とは会う時は大概制服姿か、私服であっても休日仕様の格好だ。休日仕様の格好なんて、今とは正反対で、どちらかといえば可愛い系の格好だ。色味もピンクとか淡い色が多い。その姿しか見たことのない彼からすれば、化粧もしていて高いヒールも履いていて、原色に近い色味の服を着ている私はきっと、別人のようだろう。顔見知りにこんな格好で会うなんて、恥ずかしさしかない上に、彼が私をちゃん付けで呼べば、私がただ格好だけの大人に見せた、ちっぽけな人間だと露呈しているようで惨めな気持ちになった。
「そうですけど、いけませんか? 私がこんなところでデートしていたらおかしいですか? そんなことあなたに関係ありますか?」
思わず口から出た嫌悪感しかない言葉に彼はただ微笑むだけで、それが私を一層惨めな気分にさせた…。
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