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11月「カランコエの想い」②

  初めての出逢いを経て分かったのは、彼が製薬会社の営業として働いていて、私が勤めている総合病院は、もともと彼の外回り先の内の1つだったことだった。受付業務として働いていた私が、職務中の彼と会うことはなかったけれど、彼は病院を訪れると必ず最後に中庭を訪れていた。中庭は入院中の患者が散歩をしたり、通院している人が息抜きに訪れたりする憩いの場所だった。彼は職務を終えると、決まって中庭のベンチに腰掛けながら、行き交う人をただ見つめていた。それが彼にとっては、病院を訪れたルーティンのようだった。それを私が知ったのは、昼休憩になると決まって私も中庭を訪れているからだ。最初の出逢いが印象的だったこともあり、彼とは顔を合わせるたびに挨拶を交わしたり、共通の趣味でもあった写真の話をするようになったり・・・と、コミュニケーションが自然と増えていった。そんなある日、私は病院のロビーで喚き散らしている入院患者のご家族対応に追われていた。前日に担当医師から今後の奧さんの治療方針のことで説明を受けたが、納得がいかないという理由から、受付にやってきた50代半ばくらいの男性は、担当医ともう一度話したいから呼び出してほしいという話をしに来ていた。けれど担当医師はその日、学会に出席するため不在だったことと、他の医師が対応する際の対応に勘違いもあったこと、入院中の奥さんの容体が悪くなったことが重なり、ロビーで暴れだしたのだ。騒然とする中で、他の患者に何かあってはいけないと警備だけでなく、警察を呼ぶ騒ぎに発展したが、警察を呼ぶという話がまた男性を興奮させてしまい、男性は手当たり次第に近くにあるものを投げ出してしまった。辺りが混乱に陥っていく中、居合わせた周囲の人たちの避難を終えたところへ幼い男児が駆けだしていくのが視界に入るのと同時に、男性が当たり散らして投げたプラスチックのペン入れが飛んでいくのが見えた。悲鳴が上がる中、誰よりも一番近くに居た私は、思わず走って男児を背に庇った。同僚が私の名を叫ぶのを聞きながら、目をつぶって飛んでくるはずの衝撃に備えた。『ガツン』という鈍い音が耳のすぐ近くに届いたのに、痛みも衝撃もいつまで経っても来ないことを不思議に思っていると、私が庇った男児が泣きながら母親の元へ駆け出していく。それと同時に視界に入ったのは、私を庇うようにして彼が横向きで屈んでいた姿だった。
「田嶋さんっ…」
 切ったのか、血が少し滲んでいる彼の額にハンカチを当てるが、彼は「大丈夫」と軽く右手を上げて、興奮していた男性の元へ静かに声をかけながら近づいていった。男性は自分が投げた物で怪我をした彼の存在に、ハッとしたような顔つきで一瞬怯む。その隙を彼は見逃さないように男性に近づき、その手に持っている物を静かに下ろさせた。そして彼は努めて冷静に、男性が興奮しないように何度も声をかけているようだった。それから周囲が見守る中で、男性と彼が小声で何度か言葉を交わすと、彼は警備員を呼んで男性に付き添うようにして廊下を歩いて行った。
 病院の職員で片づけをしていると、先程私が庇った男児の母親がお礼を言いに来た。何度も頭を下げながら、彼にもお礼を伝えたいと話していたので伝えると約束し、その場を去って行くのを見送った。片付けが一段落し、ロビーに少しずつ平穏が訪れると、同僚にも上司にも心配された私は、少し長めの休憩を取るように促され、気になっていた彼が男性と向かったであろう廊下を速足で歩いていく。どこに向かったのか分からず、廊下ですれ違う警備員に声をかけながら進んでいくと、警備員室の隣にある一室から、男性の謝罪の声が聞こえてきた。

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