11月「カランコエの想い」①
彼と付き合い始めて5回目の冬が訪れた…そしてそれは同時に、彼が目覚めなくなってから、3回目の冬でもあった……。
彼、田嶋春斗との出会いは、私が勤めている職場でもある総合病院の受付ロビーだった。彼は外から入口、ロビーをぐるぐると蜂のように何度も何度も行き来しては、キョロキョロと何かを探していた。声をかけた時、彼は健康保険証を落としたと言うので、一緒に探し歩いた。でも聞けば会社の健康診断に訪れただけのようで、指定の時間もあったため、私は保険証が不要であることを伝え、見つかり次第連絡すると伝え、彼の連絡先と名前を聞いた。その後、保険証が院内で見つかったという話を聞かないまま、1か月が経とうとした頃、彼は健康診断の血液検査で再検査となったと、病院に現れた。そして清算の受付に座っていた私の顔を見るなり、彼は「その節は・・・」と言いながら、何度も頭を下げて謝罪しようとしたが、清算の受付ということもあり、後ろにまだ数人待っていることを伝えると、慌てて「すみません!」と勢いよく頭を下げた拍子に彼は、受付のカウンターで頭をぶつけた。その場に重低音が響き渡り、私を含めて周囲が驚く中、彼は心配している周囲の高齢者の方々に何度も頭を下げながら受付を後にした。その後、清算待ちの人が居なくなってから、心配になり彼を探していると、現場を目撃して心配していた高齢の女性が彼の居場所を教えてくれたので駆け付けると、彼は中庭に面したベンチで目を閉じた状態で、天を仰ぐようにして座っていた。大丈夫か問いかけようと思ったが、彼が勢いよく立ち上がるような気がしたので、問いかけるのはやめた。けれど持ってきていた小さな保冷剤をくるんだハンカチを彼の額にいきなり当てるのも驚かせてしまうと思い、どう声をかけようかと思案していると、まぶたを開けた彼と目が合った。けれど意識が朦朧としていたのか、私がそこに立っていることに彼はすぐには気づかなかった。迷った末に私は、額に保冷剤を当てることを軽く告げた。冷たさに初めてそれが現実だと認識したのか、私を見ていた彼は目を大きく見開いて声を上げた。瞬間的に私は彼の肩を押さえて彼の動きを止めようとしたが、その勢いが予想を超える勢いだったせいで、彼の額が私のあごと衝突した。
痛みに悶え苦しむ私と立ち上がって必死に謝罪をし続ける彼の様子は、周囲の人々の視線に晒される。最初にぶつけている額のことを思えば、彼の謝罪を何とか止めたいが、私は自分の痛みから、なかなか声を発することができないでいた。そんな中で痛みはなかなか引かないのに、次第に笑いがこみ上げてくる。そんな私の様子に彼が心配そうに「大丈夫ですか?」と声をかけてきた時、いよいよ耐えられなくなって、私は痛みもそっちのけで、彼にツッコミを入れると、私のツッコミに対して彼は一瞬、ぽかんとした顔をした。その表情に今度は恥ずかしさが一気に増していき、私は「すみません」と一言だけ呟いて、その場から足早に去ろうとした。
「待ってください! これ、使ってください!」
立ち去ろうとする私を呼び止めて彼が私に差し出したのは、ついさっき私が彼の額に当てた保冷剤をくるんだハンカチだった…。
「憶えてる? 私が春斗のために持ってきた保冷剤、春斗が私に渡したんだよ? だからさ、その時の私たちの表情、ちょっとしたコントだったよね。2人してあれ? って顔してさ、その後の春斗すっごい慌てててさ…何度も頭下げるから、ベンチの前で気分悪くなってしゃがみ込んで…心配したんだよ。見つからないって探してた保険証も春斗の勘違いで、元々持ってなかったって言うし、ねぇ…春斗、聴こえてる?」
病室で仰向けに寝かされたままの彼から唯一聴こえてくる、機械を通した鼓動の電子音と呼吸音を耳にしながら、私は彼の右手をそっと握る。毎日仕事の合間を見つけては彼の病室を訪れて、その日にあったことや2人で過ごした日々の思い出を話す。雨の日も雪の日も、仕事が休みの日も欠かすことなく毎日、私はここへ通っている。「おはよう」も「おやすみ」も彼が眠るこの病室で1日を始めて1日を終える。