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11月「カランコエの想い」⑦
春斗のご両親がお見舞いに来ていたのは、事故に遭ってすぐの数回だけだった。当時小学生だった春斗の弟を交通事故で亡くしていたご両親には、事故に対するトラウマがあったんだろう。そんな中で、春斗は助からなかった弟と同じ年頃の小学生男児をかばって事故に遭い、そのご両親は意識不明の重体に陥ったまま衰弱していく春斗の姿を目の当たりにできなくなり、病院へ見舞うことはなくなっていったのだ。
春斗から弟の事故の話を聞いたのは、春斗が事故に遭うずっと前、今から3年前のことだった。それは私たちが付き合い始めてから2年が経った頃で、私が春斗のご両親に初めて会った日の夜に話してくれた。付き合うことに反対をされたわけではないし、始終和気あいあいとしていて何の問題もないまま挨拶を終えたけれど、一度だけ私の職場が病院だと知った時、ご両親の表情に陰りがさしたことを気にしたことがきっかけだった。病院で働いているといっても、私は受付業務で医者や看護師と違って緊急搬送されるような患者さんを直接対応することはないし、春斗と出逢ったきっかけになったようなトラブルも稀にしか起こらないし、まして死に直面している業務でもない。だけどご両親は『病院』と聞くだけで、絶望を体験した過去に引きずられては心を痛めていたのだ。それでも同じ痛みを経験した春斗は、ご両親に対して望みをもっていた。
「弟の事故が2人にとって、どれだけ心苦しいものだったか、当時の俺にも今の俺にも想像しかできないけど、それでもいつかその悲しみが、悲しみだけじゃなくて、弟が生きていた頃の楽しかった思い出や笑い合った家族の記憶として思い出せるようになったり、残ってくれたりしたら…って思うんだ。たとえそれが何年かかったとしても、俺は弟のことをそんな風に話せるように居続けたいし、そう思って居ようって決めたんだ」
春斗のことを思い起こしてみれば、彼は自分がどんな状況であっても、希望を抱き続けていたし、望みはいつか叶うと信じているような人だった。そしてそれが、いつか周りにも届くと疑わない人でもあった。誰よりも純粋で優しい人、そして奇跡を信じ続けた私の愛おしい人…。
「春斗…」
翌朝、冬の訪れを肌で感じながら、いつもの…通いなれた病院までの道を歩いていると、途中で通り過ぎる花屋の店先で、鉢植えのカランコエが目に映った。思わず足を止めていると、店の中からエプロンをつけた男性が私を見て声をかけてきた。
「おはようございます。今日は寒いですね」
男性は続けて、まだ花屋が営業前の準備中であることや、いつも花屋の前を通っている私のことを見かけていること、他愛もない季節の話をしてきた。失礼にならないように適度に相槌を打ちながらも、私の視線がカランコエから動かないのを見ていた男性は、私の視線と同じ高さに鉢植えのカランコエを持ち上げてみせた。
「お好きなんですか? カランコエ。可愛いですよね、小さな花がいくつも咲いて。女性のお客様もよく買ってくださるんです。よろしければお取り置きしておきましょうか? そういえばいつだったかな…ずいぶん前に男性が贈り物だって買いに来られたこともあったんですよ。熱心に花言葉も聞かれてたっけ。大切な人たちに贈りたいって…すごく印象的だったので、憶えてるんです…」
花屋の男性がずっと話し続けている中、私はカランコエの鉢植えを購入した男性の話に引っかかりを憶えた。なぜなら、私たちが付き合い始めて1年目を迎えた最初の記念日に、春斗が私に贈ってくれた花こそが、カランコエだったのだ…。