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男が気がついていないずるさ

『月曜から夜更かし』の正月スペシャルでフェフ姉さんのプロボクサーを目指す回(+運転免許を取る回)を観て感動した。スポーツってこうやって感動できるんだって思った。誰かに勝つとかじゃなくて、自分に勝つためにスポーツをするってこういうことなんだなと思った。

今回の話を要約すると、「フェフ姉さんは運転免許証を取ることすら平均的な人間が想像できないくらい苦労するほどで、そんな感じだから今まででたくさん悔しい思いをして、それでもそんな自分に一つ自信をつけるためにプロボクサーという目標を立てて、努力の継続と周囲からの応援(凡人が有能な人間の人生に乗っかった気になるために応援するのとは全く種類の違う応援)によって目標を達成するという話」だったが、これは同じ努力の継続による成長物語でも、「小さい頃から周りの人間と比べて頭一つ抜きん出て運動神経が良かった人間が、そこから努力を継続してオリンピックに行くとか優勝するとかまでに成長する話」などとは全く異なるストーリーに私には感じられる

私は、自分がスポーツをするのは好きだが、観るのにはほとんど興味がない。
テレビがついていたら横目で見るし、人に誘われてサッカーやバスケは見に行ったことがある。面白いか面白くないかで言ったら面白いけれども、その面白さは、自分と同じ人間がこういう動きをすることができるんだっていう驚きと私が今後そのスポーツをするときのイメトレになるという程度の面白さのみであって、選手とかチーム自体を応援しようとか全く思えない。

わかりやすい例で言えば、大谷翔平は全く興味ないし全く見ていないし今どこにいて何をしているのかも知らないが、彼の姿は日本で普通に生活していればどうしても目に入ってしまう。その時に思うのは、大谷翔平を見てどうして人は感動できるのだろうかということだ。たくさんの成績を残していて、メンタルすごいなとか努力しているなとかは思うけど、あんなに恵まれた体格をしていて結局ベースは先天的な才能、つまり遺伝だろと思ってしまう。遺伝によって結果を出している人を見て感動している人、なんなん?普通の人はもう、私みたいな世田谷区で育って中高一貫校に通い高い塾費を親に払ってもらって現役で東大に行くようなエリート人間に対して、純粋な気持ちで「努力して勉強して偉らいね、尊敬する!」という風には思えないだろう(私だって努力してきた自負はあるが環境と才能に恵まれていたことは否定できない)。なのになぜ大谷翔平には感動できるのか。

私が大谷翔平と同じメンタリティで大谷翔平くらい猛烈に努力したら大谷翔平になれるのか?なれない。そもそも女なので甲子園にすら出られない、男と同じ土俵にすら立てないという絶望を中学頃からずっと感じている。特にスポーツに関しては、男と同じ土俵にすら立てないという絶望から、「ほぼ先天的に決まるじゃないですか?」という穿った見方が大きい。男の人には分からないかもしれないですけれども、「理系で東大に入った」「運動神経もとても良い」「女」の私には男が運動をしているのを見ているだけで羨ましさが上回りムカつき始めてしまう。生理痛のときに男の人を見るのと同じくらい男の人が運動しているのを見ると、男全体に対してムカつく

そんなこと言ったらスポーツだけじゃなくて全てのことが遺伝だろという指摘が入るだろうし、そういう側面は確かにどの分野にもあるとは思うが、やっぱりスポーツほど先天的に決まるなと実感するものはない

例えば、物理や数学は男の方が先天的にできるんじゃないかという説がある。しかし、少なくとも私は日本の90%の男の人よりは数学と物理ができると思う。一方で、スポーツはそうじゃない。私は、女性の中ではかなり運動神経がいい方だが、男性の中では平均にすら届いていない可能性がある。中高では毎年年度末にマラソン大会があった。毎年上位50%のランキングが玄関に張り出されるのだが、私は女子の中なら上位3%には入っていたにも関わらず、男子のランキングを見ると大体ギリギリ上位50%に入るくらいなのだ。さらに、素人の持久走の場合は、根性と日々の努力が貢献する割合が大きいので半分の男子には勝てたが、短距離走だともっと勝てない。私は、小一から高三までの12年間、リレー選手に選ばれなかった年はないほど短距離走も速いが、さすがに中学以降ほとんどの男の人に短距離走では勝てなかった記憶がある。

また、私は中高6年間バスケ部として文字通り毎日練習に励んでいたが、隣で練習する男子バスケ部を見るたびに「いくら練習しても叶わないな」と思うしかなかった。バスケを観たことがある人ならわかると思うが、同じ努力量でも、バスケというスポーツは男女で全く別のスポーツなのだ
なぜか男バスと試合したこともあったけれど、本当に酷かった。怖くてディフェンスができなくて、腰を落として立っているだけなのに、ドリブルで突っ込んできて、突き飛ばされて、うしろでんぐり返しで受け身を取ったり、ヘルドボール(二人の選手が同時にボールをつかんで、どちらもボールを占有できない状態)になって、できるだけ耐えようと思って必死にボールを掴んでいたら、振り回されて、空中で一回転したり。体の造りが全く違う。
私は、男バスの一個上のとてもとてもバスケが上手い先輩のことが好きで、先輩の教室までバレンタインチョコを渡しに行くほどだったけれど、「そんなにバスケが上手くてずるいな」という気持ちが憧れの気持ちと同じくらいあった。(結局その先輩は東大に現役で受かった後にパイロットになったし、なんてずるいんだろう。)
バスケ以外のスポーツについても、男女で全然スピードやダイナミックさが違い、同じ競技でも違う競技に見えてしまうので同様だ。

他にも東大学部には女性が20%しかいない、教授准教授に至っては10%になる未来すら見えないという話はよく聞く。しかし、スポーツと比べるとマシにしか思えない。東大の入試は、少なくとも同じ試験を受けて同じ評価基準で合否が決まるという点では平等な試験だ。つまり、男女が全く同じ条件で入試を受けているのに、3000人中約600人は女の人でも東大に合格できているとも言えるのだ。数%だが数物系の女性教授だっている。一方で、スポーツならどうだろうか?馬術や表現系、射撃を除いて、3000位以内に一体何人の女の人がランクインすることができるのだろうか?全国の18歳の中からマラソンのタイムが3000位以内の人を東大に入れようってなったときに、女性は一人も入らない可能性すらある大体、男尊女卑の環境のせいで東大の女性割合が20%しかないとしても、学力の先天的な男女差が現れた結果として20%だとしても、どっちにしろ男がずるいことに変わりはないのでアファーマティブアクションしろ

他にも、私は将棋を指さないが、棋士に女性が一人もいたことがないということを鑑みると将棋業界にはずるい雰囲気を感じる。しかし、圧倒的にAIの方が人間より強くなり、AIで勉強するのが当たり前となり、師弟制度のみでしか学べなかった教育環境が崩壊してからというもの、女性がかなり強くなり始め実力差が縮まり始めたという話もある。そのため、男女差が明確なスポーツとは違い、将棋に関しては環境要因による男女差の可能性を無視することはできない

だからつまり言いたいのは、私は「理系で東大に入った」「運動神経もとても良い」「女」として、いかにスポーツというものが遺伝によって出来不出来が決まるのかというのを嫌というほど実感しており、とても大谷翔平を見て純粋な心で「すご〜い、感動するな〜」と思える状態ではないのである。

こういう話を男の人にしてもピンとこないのは、本当に想像力の欠如でしかなく、呆れてしまう。馬鹿げている。一度女の体になって仕舞えばいい。ちなみに、生理痛で辛くて辛くて男全体への恨みが止まらない時は、YouTubeで、男の人が生理痛体験機器を装着してかなり痛がっている動画を見ることで私はなんとか恨みを治めている。しかしスポーツの場合はこの恨みをどうしようもできないから辛い。


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時田桜
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