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正しい『真実』
母がある日、興奮した様子でこう言った。
「マーカスの山とか書いた、なんとかって人って男だったのね!!」
読書家の方ならすぐわかる間違い探しだ。
「マーカスの山」ではなくて「マークスの山」だし、
なんとかさん、では当然なくて、高村薫さんだ。
そして、高村薫さんは、女性である。
「どうしてそう思ったの?」
そう問うと、「週刊誌を見て知った」と言う。
そのページを見せてもらうと、そこにはたしかに高村薫さんのエッセイがつづられていた。が、別にそこに、「自分は男性だ」とか書いてあったわけではない。
おそらく、小さく載っていた横顔の写真から、母は勝手にそう判断したのだろう(高村薫さんおよび、ファンの方にはさきほどから申し訳ない)。
「私ったらずっと勘違いしてたわ。だって女性としか思えなかったもの」
と、母はしきりに言っている。そりゃそうだ。女性だから。
そこで私はスマホで調べて、検索結果の画面を見せて、言った。
「ほら、高村薫さんは女性だよ。ママは勘違いしてないよ、大丈夫」
だが、それに対する反応は、かなり鈍いものだった。
「そう? でも…」
そのあとも、2分後には「知ってた? 高村なんとかって人、男だったのよ。そういえば名前も、男でも女でもありうる感じだったものね」と、母は驚きを私に報告していた。
母は、一応、まだ認知症ではない。
ただ、おそろしく勘違いと思い込みが激しく、しつこい性格なだけだ。これは、昔っからそうだった。が、近年、めちゃめちゃに拍車がかかってきた。
こうした勘違いを、私はその都度訂正する。
が、それでも五回目くらいになると、「さっきも言ったでしょ? だから、それは違うんだってば!」と、どうしても声を荒げてしまう。
結果として、母は、後日姉たちにこう報告するのだ。
「さくらちゃんに、高村薫の話をするのはやめるの。だって、あの子、その話をするとすごく怒るのよ。怖いわ」
…幸いなのは、事情を察している姉たちは、「そうなの」で済ませて、私に対して「あんた、怒ったんだって?」なんてわざわざ注意してきたりはしないってことだ。
なぜなら、まったく同じことを、母は私にもチクっているからである。
「姉ちゃんは、この話をすると怒るのよ。怖いからもう来ないでって言って」とか。
どうも時々、「可哀そうな私は、貴方だけが頼りなのよ」とそれぞれにアピールして、なにかしらのポイントを稼ごうとするのだ。もちろん、無意識になんだろうけど。
年をとるってのは、そういうものだし。
若くても、人間ってのは、無自覚に「自分にとって都合のいい角度の話」をするものだと思うから、それ自体は気にしていない。
ただ、母はどうにも、『怒られた』ことだけを記憶して、本来記憶してほしい『訂正内容』は、すっかり頭からすっぽぬけてしまうらしい。そして、とても悲しむ。
かつて、成績優秀と誉れ高かったことがなにより自慢だった人だ。努力家で、頑張り屋で、そこは今でも私は尊敬しているし大好きなところだ。
そんな彼女が、記憶がどんどん間違ってしまう。そして怒られる。悲しい。つらい。…そう嘆く気持ちは、見ていてこちらがつらくなってしまう。
私はモラハラの父が掛け値なしに大嫌いだったが、母のことは大好きだ。
欠点も含めて、家族として愛している。
それを踏まえて、先日、姉たちと会議した。
議題「母の間違いは、訂正する必要があるんだろうか」
結論「他人に迷惑がかかることでなければ、訂正しなくてもいいんじゃないか」
最初の高村薫さんの件でいえば、うちのなかで「実は男性だった」となっても、正直誰にも迷惑がかからない。
もちろん高村薫さんにはご迷惑かもしれないが、どうまかり間違っても、母が彼女に直接会うとは思えない。
多少他人に驚きを語るかもしれないが、それにしたってSNSで全世界に吹聴するわけでもなく、ご近所のご婦人との他愛ない世間話の範囲だ。
なら、申し訳ないが、うちでは「男性だ」が真実とさせてもらったって、いい気がする。
どうしても「いや、違うよ」と訂正したい欲求はある。
間違いをそのままにするというのは、存外心がざわついてしまうものだ。
でも、私にとっては、『絶対的真実』よりも、『母の心』のほうが大切で守りたいんだから、別にそれはそれでいいと思う。
正しいことじゃなくて、大事なことを守りたい。
正しさが武器みたいになって、なんだかよくわかんなくなってるこの時代だからこそ。
私にとっての優先順位は、見誤らずにいたいなぁと思うのです。
まあ、まだまだ、我慢できずに怒っちゃいそうですがね…。
娘と母の二人暮らし一年目は、こんな感じです。
よろしくお願いします。