HSP、祖父母と仲が悪い。
大学を退学してから、自分自身の過去と向き合うことが増え、私がHSPなのは幼少期の環境が影響している???と思い、今回、私の幼少期について綴る。
家族構成
まず、私の家族構成について紹介する。
父
母
私
弟①(年子)
弟②(7歳離れている)
5人家族と犬2匹これが私の家族である。
また、私が3歳の頃から、祖父母と同居している。祖父母との同居は、幼少期の頃は両親が共働きのため良かった点も多かったような気がする。しかし、振り返ってみると、今の私は祖父母と顔を合わせると、動悸や吐き気がする。同居しているといっても、祖父母と父の関係は非常に悪く、5年に1度くらい殴りかかりそうな喧嘩をする。その度に、関係ないのにかなり私は傷つく。人の怒鳴り声、物を投げる、父と祖父母が顔を合わせると絶妙に悪い空気感。いつ喧嘩が起こるか分からないため、常にドキドキ。
そんなこんなで、私は祖父母のことを家族とは思っていない。
なぜ仲が悪くなったのか。
多少フェイクを交えながら書いていく。
元々、祖父母には長男第一主義があり、私は虐げられていた。表向きには、仲が良い祖父母と孫であっただろう。でも、徐々に私の心は疲弊していく。
case 1
親戚と会った時の祖父母の対応
祖母「この子(弟①)は家の跡取り息子です〜!今後ともよろしくお願いします!」
私の家は、家業がある訳でもなく、ありふれた一般家庭である。(昔、貿易関連の仕事をしていたと聞いた事があるが…)物心ついた時から、祖母は私と弟を区別して紹介する風があり、その当時から、私の存在価値とは?と自問自答することがよくあった。
長男だから偉いのか。長男には価値があるのか。
幼心にも、ずっとこう言われてきたことは胸に残っている。20歳になった今でも、この言葉は忘れられないし、今も私が一番に生まれて来なければ、こんなに苦しまなくても良かった。と思っている。(弟は、長男ということに対して威張ることはないのが救いである。)
case 2
性格矯正しろ事件
大学生になりたての頃、祖父はトイレを開けてする時があり、トイレの音が嫌な私はその都度閉めていた。ある日、また、開けっ放しでトイレをしていたので閉めると勢いあまって音を立ててトイレを閉めてしまった。
すると、トイレから出た祖父は激昂し、
「家長をなんやと思っている」
「お前の性格は終わっている。矯正してこい」
まさか性格について言及するとは思わなかった。しかも、その怒り方は、水をやかんで沸騰させた時に鳴るあの音と一緒。(そのやかんを所持してないけど)
また、あの時反論しておけばよかったのだが、祖父は家長では無い。いや、家長は明治民法で廃止されている。家長を今の時代で置き換えてみると、世帯主と私は解釈する。私にとっての世帯主は父であり、祖父から援助を受けている訳では無い。むしろ、こちらが援助している。だから、祖父は経済的・社会的にも私を支援している訳では無い。
家長だなんて言われる筋合いはない。
この話以降、私は祖父と一切話をしていない。私は、祖父母と顔を合わせると、動悸・吐き気・過呼吸のような症状が現れるため、極力同居しているけど、生活が別になるようにしている。
まだ、2つ程しか紹介していない。が、極力嫌なことを思い出したくないせいか、嫌だったな〜と思うけど、はっきりとした事件を覚えていない。
幼少期はどうだったのか?
年子のため、物心ついた頃から弟溺愛だったのは記憶にある。例えば、私は家でこじんまりと初節句、弟はホテルを借りたり…などと格差を感じる。アルバムを見ていても。
後はお手伝い。祖父母は「女の子だから家事の手伝いしなさい」「女の子なのにこんなことも出来ないの?」とよく言う。女の子でも得手不得手はある。私はこのおかげで家事はある程度できるが、それよりも心にダメージを負ったので、この経験は忘れたい。無かったことにしたい。
なぜ同居をしているのか。
祖父母宅の家の老朽化に伴い、新しく家を建てることになった。当時、3歳くらい。家を建てる際、祖母は母に「同居するの?しないの?早く決めないと土地誰かに移っちゃう」としきりに聞いてきたり、長男夫婦(父のこと)は同居するのが当たり前。と言ってきた。私を21歳で産んだため、若く、お金がなかったため、同居することになった。といっても、父は家屋代を未だに払っている。祖父は土地代。
同居を解消するにもできない。父母はこの時の選択をずっと後悔している。
私だけ逃げ出したらいいのでは?
私は、体調が悪くなるほど祖父母との関係が良くないので、一人暮らしをすれば良いと思う。でも、大学を辞め、バイトはしているものの、扶養内。今の私には一人暮らしをする余裕は無い。また、地元が大好きなので、離れたくないし、地元で生きるなら今家から出て、家賃が発生する所で住むのは得策では無い。大好きな犬を家に置いておくことは出来ないし。
まとめ
私は狭くても良いから家族5人で暮らしたかったとずっと思っている。同居は様々なことが経験できるが、かなり気を使わなければいけない。階段を上る物音などにしても。祖父母と暮らすにあたって、怒らせると大変なので私は小学生の頃から顔色を伺って生活してきた。
HSPの素質として、人の機嫌を敏感に感じとれるとあるが、これは顔色を伺わないと生きていけない環境に身を置いてきた現れなのではないかと思っている。同居しなければ、真っ直ぐ、素直な子どもらしい性格だったのではないかな…。難しく考えたり、人の機嫌を嫌という程読み取ったりする私は好きではない。自由に鈍感に生きたかったな、何も考えずに過ごしたいなと思う。
この話は父方の祖父母の話だったが、母方の祖父母とも確執がある。またそのうち書こうと思う。
今は20歳になってから、買っている宝くじが当たらないか…と願うばかりである。
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