無に近づくほどに、発露する美。
AERAビハインド映像
ニナミカさんの撮る羽生結弦を見ていて、浮かんだ言葉
官能
欲望
肉体
身体、じゃないんだよ
肉体、と言った方が印象に近い
蜷川実花の世界観を通すと、
羽生結弦は、こうなるのか
ストレートに言う
私はこの世界観、あまり好みでないなぁ
目に映る羽生くんの姿はとても鮮やかで、
刺激的で、整っていて、とても眉目秀麗だと思う
でもでもでもね、
私が「美しい」と表現したくなる『美』とは
ちょっと違うんだ
私が羽生結弦から感じる美は、ここにはない
以前、AERA羽生くんの感想で
ニナミカさんまだ遠慮してないか?
もっとどっぷりなニナミカ世界へ羽生くん連れて行ったらどうなるか?といったことを書いたけど、
まさにその世界に行った羽生くんだな、と感じた
蜷川実花の世界に住む住人
今この世界に生きてる羽生くんとは、別の存在
そのように切り離して
目に映る姿を愉しむための作品
そんな感覚になった
。。。。
私は、羽生くんの見た目は好きだけど
羽生くんの見た目が好きだから羽生くんが好き、なんじゃないのだよな
夏のオリンピックに参加されている選手たちが話す羽生くんの話題を読んでいたら
私の大好きな「羽生結弦」を感じて嬉しかった
これまで、色んな羽生くんの活動を見て来て
羽生くんは根っからのアスリートなんだなと
あらためて最近感じ始めてる
。。。。
ビハインド映像見て思った
雪肌精の時も、CITIZENの時も思ったな
写真よりも、動いてる羽生結弦のが断然良い
動いている姿の方が、羽生結弦を感じられる
でも一番は、スケートを滑る羽生結弦が最高
。。。。
羽生くんの美は、
誰にも再現できないところが稀有なんだ
描いても描いても再現できない
届かないくらい高いところにあって
予想なんか追いつかないところにあった
最近の羽生くんは
予想が出来る事が増えたと感じる
絵を描く人や創作する人が、想像の着く形に
羽生くんの方から近づいて来たみたいな印象
羽生くんの姿がね、
マンガや絵画の中で過去見た事があるような
姿のように私は感じるんだよ
だから例えば山本タカトとか
現在すでにある表現に
既視感を感じるようになった
羽生くん自身が既存の表現を踏襲してるのかな
何でも吸収し実践に活かす羽生くんだから
今回は蜷川実花の世界の中の羽生結弦だから
蜷川実花の過去作品の中に既視感を覚えても
おかしくないのかも知れないけど
これから販売するカレンダーの写真をみても
既視感を感じたから
私はちょっとした危機感を感じてます
このままこの路線が続くと
羽生くんのあの稀有な美を
もう二度と見れなくなってしまうのでは?と
ずっと見て来た、
あの羽生結弦だけしか生み出せない美を
最近あまり見れていないことが気になっててね
羽生くんの持つ
誰にも再現できない美の貴重さについて
羽生くん自身に、もっと伝わってほしい
多分、羽生くん本人は
羽生結弦が持つ稀有な美について
あまり気付いて無いのでは?とも思う
羽生くんの美は、
他者だから気付ける、というか、、
羽生くんの美は、
意図して生まれるものじゃないから
本人は無自覚だろうと思う
だからこそ、
周りが気付かないと無くなってしまう
羽生くんにしかないもの
羽生くんにしか出来ないもの沢山ある
それの貴重さを、本人は気づいてない気がする
新しい境地を見つけるには
様々な実験を重ねないと辿り着けないのだとしても
既存の形を吸収して行く中で
消えてしまわないように
羽生くんの美は一夜にしてならず
積み重ねた日々の賜物であるから
日々の弛まない努力の末に成り立つものだから
その日々の貴重さを
一番本人に感じてほしい、理解していてほしい
そこからしか生まれてこない美を見せてほしい
羽生くんにしか、生み出せない美
写真を撮るならば
羽生くんだけが持つ、特別な美を
写し取ろうとしてほしい
ただただひたすらに
羽生結弦を写し取る写真を見たい
。。。。
自分の中の細かい心の動きを書き留めたいと思いながらも
読む人にどう思われるかが気になってずっと書けずにいた
何故か?うーん。。
やっぱり一番は、多くのファンの方々と
自分の感じていることが違うから、が理由かな
もうひとつの理由は
情報が少ないからこう思っているのかも
もっと色んな事が分かれば
違う印象や感覚になるのかも知れないと
思っていたから
でももういいかな
どう思われてもいいかな
いや投げやりではなくてね、
どんだけ想いを尽くしても
誤解される時はされるし
理解されない時は理解されないから
自分が自分に、素直であれるように
情報も、待っていても
それで全てを知れたわけでもないし
たとえ何かを誤解していたとしても
その都度感じる想いって、実は
とても大事なんじゃないかとも思う
表現者の方々にとって
受け手の感想はとても貴重なものだから
感じたことは、素直に表現していきたい
。。。。
羽生結弦の美、を思う中で浮かぶ言葉たち
精神
心奥
魂
極限まで鍛錬し、
余計なものをすべて削ぎ落とした先に辿り着く
必然の形
そこに、混じり気ない純然たる魂が発露する時
光る美
天と繋がる姿
それは自身に翳りや嘘があっては生まれない
身体がどれだけ美しく鍛え上げられていても
そこに乗る精神の状態が、深く影響する美
選手時代の羽生結弦には、この美の発露があった
プロに転向してからは、
私にはこの美を感じ取れない時が増えた
それは羽生くんの精神の状態が
少なからず影響している気もする
目の印象や、見た目にまで
心配な印象が表れていた時もあったから
一時戻ったと感じた時があったけど
最近また少し目の印象が変わって来ていて
実はちょこっと心配なのだ、、
でもそれだけじゃないのかも、と考え始めた
この美の稀有さについて
感じ取ることの出来る方々が
羽生くんの仕事関係者には少ないのかも?と
煌びやかな衣装や化粧を施し、創る美よりも
羽生くんは、
何倍も何千倍も何万倍も美しい瞬間を
発露させることが出来る人
その美は、意図したところからは生まれない
他者、そして多分本人であったとしても
こうすれば美しいだろう、という
意図したものからは
あの崇高な美は生まれないと私は感じている
己を律して鍛錬して、
ある意味、無に近くなった時に
精神を高く研ぎ澄ませた時にしか生まれない
そして
そうした生き方をしている時の羽生くんは
何を着ていても、どんな髪型でも、美しい
羽生くんの美は、
外側から重ねて行くものじゃなくて
内側から発露するものから感じられる美なんだと思う
既存の美の形に当て嵌めて行くのは
野暮というか、
それはそれで美しいのだろうけど
もっと素晴らしい美を知っているので
折角の羽生結弦を
勿体無いことをするなぁと感じてしまう
内側から生まれる美しさは
目や肌などに特に顕著に現れるから
化粧が本当に勿体なく感じる
羽生くんの美を上から塗って消さないで〜と思う
スケートをただひたすら黙々と練習してる時の
羽生くんの乱れた髪の毛や
汗だくの肌や、息の上がって苦しそうな姿とか
どれも美しくて尊さを感じる
ただただ見入ってしまう
そんな美をすでに持っている人に、
既存の美の形は逆に窮屈というか
たまにこうした作り込んだ世界観の羽生くんを見るのは新鮮だけど
そればかりが続くと、普段の羽生くんを求める気持ちが強くなる
セットも衣装もポージングも要らない
ただスケートをひたすら滑っている、
そんな羽生結弦の姿が、私は大好きだ
久々に羽生くんを描いてます
なかなか進まぬ汗
まぁいつものこと
ここまで描いて
練習着の模様とか背中の動きとか
厚塗りにするのか
水彩的に塗るのか
どうやって描くよ?と悩み出した
細い身体なのに
中心に向かって
密度の高い厚みを感じる
柔らかそうな、軸の通った身体
この背中だけでもう、
美がいっぱい溢れてる
さて、描き上がるのはいつ頃かな〜汗
ふぅ。
気持ちぶっちゃけ文章になってしまいました汗
最後まで読んでくれてありがとう
では、またね