今の率直な気持ち。
埼玉公演が終わり、ネット上には舞台を観た方々の作品に対する感想や考察が流れ始めた
その感動の言葉たちを読みながら、
その流れに身を任せられない自分がいることに気づいた
これから話す想いは、私が持つ創作というものに対する考え方に起因する所がかなり大きいと思う
羽生くんを大好きで観ている多くの方々にとって、
私のこの考え方は異質に映るだろうとも思う
感想を語る上で
羽生くんファン目線、フィギュアスケートファン目線、一般目線、アニメファン目線、ゲームファン目線…と様々な視点があるだろう
そんな中で
私はアマチュアだけどひとりの創作を行う者として
そして羽生結弦のファンとして
今感じている率直な気持ちをnoteに書いておきたいと思う
Echoes of Life
私は羽生結弦が書き下ろしたオリジナル作品の舞台を観たのだと思っていた
Echoes of Life初見の感想を書いていた時は完全にそう思っていた
鑑賞した物語に分からない事があっても
その答えはその作品の中にしかないのだと思っていた
作者の伝えたいものの結晶、、それが作品だからだ
原作本もあるじゃないかと言われるかもしれない
ただ私は、羽生結弦をフィギュアスケーターだと思っているし
羽生結弦の表現方法はフィギュアスケートだと思っているから
原作本はあくまでアイスストーリーの原作であり、Echoes of Lifeとして完成された作品はアイスストーリーとして舞台で演じられたあの物語とスケートだと思っているから
アイスストーリーだけを観てEchoes of Lifeを感じたい
羽生結弦を知らない観客ならば原作本を読むとは限らない
だから原作を知らなくても通じる作品でなければならないと私は考える
原作のある舞台や映画を観る時、原作を読まないと理解できないなんてことはない
例えばYOASOBIの曲は小説を元に作られているけれど、その小説を読まないと曲を堪能できないか?そんなことはないと思う
曲だけで十分世界観が伝わるし曲だけでひとつの作品として完成されている
noteを書き終え、他の方はどんな感想を持ったんだろう?と、ネット上を検索してみると
既存作品の物語からEchoes of Lifeを理解しようとされている方々だらけで私の頭の中は混乱した
あのスケートの演目たちはNOVAが聴いた音じゃなかったの?
Echoes of Lifeというオリジナルの物語なのに、なぜ他の作品を通してこの物語を解説したり理解したり補完しているの?
たとえ他の作品で使われていた曲を使用していたとしても、Echoes of Lifeという物語の中ではまた別の意味を持つ曲になっているはず
だって違う物語世界なのだから
しかし、演出や振付、衣装にも曲の元となっている物語を彷彿させる形があることを知り、、
映像や物語の世界観までもが既存作品と似ている部分があると知り、、
私は混乱よりも落胆を感じる様になっていた
あのスケート演目たちはNOVAが聴いた音のはずなのに
なぜ他の作品のキャラクターや世界が介入してくるのか
ここはEchoes of Lifeという物語世界ではなかったのか
そうか、、
だからあんなに既存作品を語る人が多かったのか
だから私はあの戦いの場面の曲と振付に違和感を感じたのか
合点が行くほどに、落胆から悲しみへと気持ちが変化していった
私は羽生くんのオリジナル作品を観ているのだとばかり思っていたから
生きるとは?命とは?という命題を、羽生くんが考え抜いて物語とスケートに落とし込んだ作品なのだと思っていたから
でも、
既存作品の世界観をそのままEchoes of Lifeの中に持って来れるということは
Echoes of Lifeとは二次創作だったということなのだろうか
二次創作なら二次創作として原作に敬意を表すために全て出典元として明示して欲しいし、
一次創作だというのなら既存作品が思い浮かばない完全オリジナル作品として創って欲しい
今回とても手が込んだ舞台だっただけに、
そして羽生くんが物語を書いた!ということで大きな期待をしていたために、
かなりショックが大きくなってしまった
初見時はその進化に本当に驚いていたんだよ
ただ話がよく分からなかったことが残念ではあったけれど、でも
それはまた再度舞台を見ることで分かってくるんじゃないかと考えていたんだ
このEchoes of Lifeという物語は
他のどのアイスストーリーよりも音、、音楽がとても重要な物語だ
だからこそ既存作品の世界観で語られることの違和感が強くなる
この物語ならクラシックはそのままとしても何故他を全曲オリジナル曲にしなかったんだろう?
映画でもドラマでも舞台でも、
物語と音楽がピタリと一致した世界観を持っていると
その音楽が鳴り出せばあの物語が思い出される、というくらい
音楽と物語の間に深い関係が生まれる
音楽は物語の世界観を構築するのにとても重要なものだ
何故オリジナル曲にしなかったんだろう
そうしていたらサントラも出せたよね
映画やドラマ化も出来たかもしれない
フィギュアスケートは既存曲使わないと成り立たないの?そんなことないよね
創作活動をする立場から考えると
オリジナルとして作っているのに他者作品で自作を語られたり理解・補完されることはとても辛く感じてしまう
私は作り手側も「テーマ」や「伝えたいこと」など、その作品で描きたかった本質をその作品以外で語るのは無粋だと感じるタイプでね
勿論語っちゃいけないなんてことは全然ない
ただ私はそう感じる、という話で
言葉で語るなら、語れるなら、作品を作る意味がないから
その作品でないと伝えられないものがあるから作品を作る
美術作品の中には作者の作品解説までが作品の場合もあるけど、そういった見せ方を除いて
私はそんな風に創作というものを捉えている
あまりにも作品に込めた想いが観客に届かない場合、
それはひとえに推敲不足だとも考える
もっと練り上げる部分があるという事を教えてもらえたのだと
つまりもっとより良い作品にすることが出来るということ
だから、作品を受け取る側もまた作者にとっての鏡というnoteを書いた
受け手の「分からない」「理解できない」などの疑問は、作者にとってとても大切なメッセージとなるからだ
だだ、どんなに推敲して緻密に作り上げた作品でも、作者が思った通りには伝わらないこともある
でもだからこそ、全く予期していなかった受け取り方をされる人に出会うこともできる
作者自身では気付く事さえなかった深層のテーマを観客の感想から知る事だってある
感動は分かることが全てじゃない
理解はできなくても、幾度も心に甦る場面があるとか
忘れられない映像や言葉があるとか
たった一つの言葉やスケートの姿が心に残って
それだけで、作品を観て良かったと思える感動だってある
一方向への解釈の扇動は、その作品の持つ可能性を狭めてしまうのではないかと思う
分からないなら分からないなりに
作品を受け取った人が自分の中に落とし込む
そこで生まれて行く幾つもの新たな物語も、とても大切なものだ
観るものの心を刺激した証
作者の意図通り1から10まで完璧な形で受け取らねばならないことはない
感動は自由だ
その感動の自由さが、観るものの心も作るものの心も互いに高め合って行く
新しい反応で新たなものが生まれる
想像する余地がなければ、自由に感じる余裕がなければ
フィクションという作品を作る、観る醍醐味がなくなってしまわないか?と思う
物語を生み出すその労力がいかほどのものか
頭で考えているものを現実の世界に現すことがどれほど大変な作業か実感があるからこそ
出来上がった作品を大切にしたい
だから分からないつまらないなら正直に伝えること
他の作品を紐解いて本作品の補完をしたりせずに
自分の感じた初見の感覚や想いを大切にすることが
その作者や制作に携わった方々への観るものとしての誠意の表し方だと思っている
作者はその作品に全てをかけて「勝負」しているのだから
でも多分、、
こんな風に感じているのは私くらいかも知れない
羽生くんファンの殆どの方は、羽生くんが羽生くんのしたいことをしたい様にできる事がきっと一番嬉しいのだと思う
既存作品の世界観が物語に入っていることに何も疑問などは浮かばなくて、逆にその既存作品のゲームやアニメが羽生くんにとってどんな意味や繋がりを持っているのか?を知れることの方が嬉しいのかも知れない
そして羽生くんも、もしかすると
私が考えている様な創作との向き合い方でものつくりをしているのではないのかも知れない
最初から既存作品を取り入れてその世界観を元にショーを組み立てるよう考えているのかも知れない
それなら既存作品を紐解いて理解する観客である方が、羽生くんは嬉しいのかも知れない
私は、そうは思っていなくて
思いたくなくて
こんな感想になってる
原作本があり、それは羽生結弦著となっていて
羽生くんのオリジナル物語だと明言されているのだから
このアイスストーリーはオリジナル作品なのだと思って鑑賞している
ここまで色々書いて来て、
自分が過去漫画持ち込みしていた時に編集の方に言われたことを思い出す
書いても書いても伝えたいことが伝わらなくて、
一生懸命言葉で説明してた自分
そんなに言葉で言えるなら小説を書けばいい、と
編集さんは言った
その時はとてつもなくショックを受けた
でも今ならとても良く分かる
伝わらないことを、既存の漫画のシーンを例にして編集さんに伝えようとしたこともある
それを全く聞き入れずに私が何を描きたいのかをしつこく聞き出そうとした編集さん
思い出すたび本気でこんな素人の若造に向き合ってくれてたんだなと今更ながら涙出るほどその真摯さが身に沁みる
例えたりなんか、できないはずなんだ本当は
私の中にしか、私の描きたい物語はないのだから
私も羽生くんが楽しく幸せでいて欲しい
伝わらないかもしれないけど
ここまで語って来たこの作品に対する想いは
それが元になっているんだよ
ファンであれば、
物語に不明なところがあったとしても
羽生くんの込めた想いを理解しようとするだろう
でも一般の観客は余程何処かに惹かれない限りは
ファンの様にそこまで観たものに寄り添ってはくれない、心に留めてはくれない
私は羽生くんの作り出す舞台が
羽生結弦に興味のない一般の方々にも広く届いて欲しいと思っている
羽生結弦はプロフィギュアスケーターで
このアイスストーリーという作品に
己の全てを賭けて
この作品で勝負をしているのだから
それは他者の作品も同じ
その作者や携わった方々の真摯な思いの結晶が作品だ
どの作品も、作者の深い想いと誇りが詰まっている
既存作品を存分に表現するスケートをされたいなら
そういう目的のショーを作る方が
宣伝の方向性も決まるし観客も行きやすいのでは?と考える
例えばゲーム曲を完全再現するショーとか
そうすればゲームファンにガツンとアピール出来るし
それぞれの作品に対して敬意を持ちながらその世界観を作り込めるだろうし
存分に既存ゲームの話題で盛り上がれると思う
プロフィギュアスケーターそして
プロとして自ら生み出した作品に
自分の名を冠して観る人々に問う
命とは何か?
生きるとは何か?
そこに広がる世界は羽生結弦だけが知るもの
それを物語に乗せて、観る人々へと届けたい
羽生くんにとって
アイスストーリーがその様な存在なのならば
他の何にも例えられない
他の何でも語ることのできない
羽生結弦のアイスストーリーを、私はみたいと思う
今の私の思いの丈を書き綴ったnote
最後まで読んでくれてありがとう